第374回(ひまわり190)「ジョージオーウェル「1984年」「日本会議」

2017.2月5日寄稿

1986年の事だが、アメリカでの国際演劇祭で,英国国立劇場のピーター・ホール監督率いる「動物農場」の上演が禁止された。複雑な事情は今省くとして、「動物農場1 」は、ジョージ・オーウェルの代表作だ。

スターリンの独裁政治を風刺寓話小説だが、これ最初、フェイバー・フェイバー社に持ち込んで、出版を断られたという逸話を持つ。原稿返却を決定したのは、当時F&F社の編集顧問だったT.S.エリオットだ。エリオットとくれば、英文学の徒には「四月は残酷極まる月だ」で始まる長編詩「荒地」で有名な、ノーベル賞受賞の詩人だが、一般にはミュージカル「キャッツ 」の原作者として知られる人だ。余談だが、このミュージカル、いくら評判が高くても私は見る気がしない。それと言うのも、劇団四季を率いる浅利慶太を好きでないからで、どうしてかと言うと、今や老醜の無責任男・石原慎太郎の選挙中やら、議会での動作の振り付け役が、この浅利だと知ったからだ。もう一つ気に喰わない話があって、それは昔、北海道公演に際して「道銀文化財団」の初の援助が地元で地道にガンバッテいる道内芸術団体を飛び越えて、「四季」に与えられたことだ。まあ昔の事はおくとして、そういう私の本棚には原作「キャッツ」が3冊ある。一つは詩人・北村太郎の全訳「ふしぎ猫マキャヴィティ (1978/大和書房)あと2つは、中の3篇宛を詩人・田村隆一が訳し、エロール・ル・カインの画がついた「キャッツ」と「魔術師キャッツ」(1988・1991/ほるぷ出版)


ちなみに1991年3月、道教育大釧路分校の小山内洸教授が。公演に合わせて「ポサムおじさんのしたたか猫物語」なる英和対訳書を出したと報じられたが、私は未見。

前置きが長くなったが、「キャッツ」のT.S.エリオットに断りを喰わされた「動物農場」のジョージ・オーウエルが今や大変な話題の主になっている。というのは、アメリカを代表する愚か者トランプのせいで、またまたと言うのは、トランプ就任の日の聴衆の少なさをごまかそうと、スパイサー大統領報道官が「(インターネットを含めれば)聴衆は過去最多」と強弁し,ついでコンウェー大統領顧問が「alternative   fact    (もう一つの真実だ)」と屁理屈をくわえたからだ。この虚偽の押し付け、換言すすれば「世論誘導」がジョージ・オーエルのもう一つの傑作「1984年2 」が描く事態と似ているとて、「1984年」を読む人が急増していると言うのだ。例のアマゾン売り上げで1月末にはトップの由。「1984年」は「動物農場」のテーマをさらに大きく展開した未来小説で、非人間的な全体主義体制に生きるウインストン・スミスなる主人公が、人間性に目覚めて反抗するも、悲劇的な末路を迎える戦慄的な物語だ。

この物語では、テレスクリーンなる監視装置が至る所に設置され、完全なる管理社会となっているが、この1949年(原作発表)時のオーウェルの予想は今や現実のものとなっているわけで、それゆえ

この小説は「予言の書」として評価されるに足る価値を持っている。という訳で、オーウェルの本だが、「1984年」は各種文庫に入っているから読者に任せるとして、別に何を出すか。当のオーウェルが自身メデイアの世界に身を置いた時の「戦争とラジオ−BBC時代ー」(1994/晶文社)もいい。伝記を書かれることを嫌ったオーウェルが、「1984年」を控えて1983年に出たB・クリックの「ジョージ・オーウェルー一つの生き方」(岩波書店)もいい。又、第二次大戦後、GHQの検閲官を勤めたという珍しい経歴の英文学者・甲斐弘の「オーウェル紀行」イギリス編とスイス編(1983・1984/近代文芸社)も面白い。私の本棚にはオーウェルの翻訳は全点あるので、どの作品を....と迷う。でここにはその名もズバリの「ジョージ・オーウェル−1984年への道ー3 」ピーター・ルイス著、筒井正明・岡本昌雄訳(1983/平凡社)を出すとしよう。写真も多く読みやすい。

序でだが、これ書いている今日は2月5日(日曜日)だが、1月29日、英国俳優ジョン・ハートが77歳で膵臓癌で死去と報道された。映画「エレファント・マン」の主役、そして何より映画「1984年」の主役を勤めた名優だ。「1984年」の主役をつとめるに際して語った彼の言葉の一つは「限られた状況の中で人間が人間として何をなし得るかに興味がある」だった。

管理社会と言えば....昨年の7月中旬「成長の家教団」と「立正佼成会」が原発を再稼働し、立憲主義に反する行動をとる安倍政権を支持しない、と発表した。原発で言えば、「成長の家教団」は

すでに2012年に脱原発宣言をしている。反原発の側に立つ人達にとっては、実に当たりませのことで、胸のすくような話だが、世の中、複雑なもので、「成長の家教団」の昔のメンバーは現教団と考が違うらしい。

今ここに、菅野完「日本会議の研究4 」がある。評論家の橋爪大三郎と上野千鶴子が書評で取り上げ、上智大学の水島宏明、コラムニストの中森明男もメディア時評で触れ、いずれも褒める本だが、これによると、「日本会議」なる保守勢力の主役は、神社本庁や宗教団体にあらず、「成長の家」の昔のメンバーだという。ことが複雑だから是々非々は本書を読んでもらうしかないが,分からんことが一つある。東京地裁が、本書の販売差し止めを命じていること。これに対して出版元の扶桑社に加えて、日本書籍出版協会と、日本雑誌協会が、1月末抗議声明を出した。さて、どうなることやら。

「緑香堂」の松島みどり女が、「モザイク」の話できて、その話のあと「ところで『へちかん』については何を読めばいいですか」という。「へちかん?、あー丿貫か」と私は返した丿←この字、読める人は少ないと思うが「へつ、又はへち」読み、語義は「左へ払う」だ。序でに乀「ふつ」と読み、語義は「左からひねる」だ。...で、みどり女子との会話の続き。「へちかんなあ、茶人伝とくれば例えば桑田忠親の『本朝茶人伝』だが『へちかん』とくれば、ヒサカナントカだな」「ヒサカ?、どんな字ですか」「火に山坂」。するとみどり女はスマホだかケイタイだか(私は両方とも持っていないから区別がつかぬが)を出して、指でチョンチョンとやって「雅志」ですか」という「それ〜、それの豪快〜なんとか」。またチョンチョンで「豪快茶人伝ですか5 」「それ〜」と相成った。この変わった名の茶人が何者かは同書を読んでみてください。

漱石誕生150年で、私も1月末第35回「ふくろう文庫ワンコイン美術講座〜漱石と美術」をやったが,毎日新聞の「余禄」子が、漱石の弟子小宮豊隆のおかげで漱石の蔵書が戦火から救われて東北大にあるとして小宮を褒めて(?)いるが、これ正しいか。これについて「小宮さんが勤め先に手柄顔をしたかっただけの話でしょう。そうやって大学に点数を稼いだわけでしょうよ。あの人のやりそうなことだわ」と漱石の長女筆子が言ったと漱石の孫の半藤末利子が書いている。私もそうだと思う。詳細を知りたい人は「漱石の長襦袢6 」でどうぞ!!

  1. ジョージ・オーウェル.動物農場.早川書房; 新訳版(2017/1/7) []
  2. ジョージ・オーエル.1984年.早川書房新訳版(2009) []
  3. ピーター・ルイス著.ジョージ・オーウェル−1984年への道.平凡社(1983) []
  4. 菅野完.日本会議の研究.扶桑社(2016) []
  5. 火坂雅志.豪快茶人伝.角川書店(2016) []
  6. 半藤末利子.漱石の長襦袢.文春文庫(2016) []

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