2017.4寄稿
幼・小・中・高と同期の男に、綽名(あだな)が「デブ」が二人いて、我々は別けるために各各上に苗字を乗せて「Oのデブ」「Tのデブ」と呼んでいた。中二の時、陸上部のI先生が、誰かに教えられたのか、自分で気づいたのかは知らぬが、突然「短距離には、細身より風圧に耐え得るデブの方がいいんだ」と言いだして、
「Oのデブ」を選び特訓を始めた。OもTも所謂「水デブ」で、傍目では無理だなと思ったが、I先生はそんなことに頓着しなかった。然し、この試みは矢張り成功しなかった。と言うのは、Oは歩くにも走るにも足裏全体を地につけて、つまりベタベタと言う感じの動きをする男で、おまけに爪先を外に向けるので、走るには向いていなかった。
結果0は特訓をまのがれたが、風圧も効かなかったのか、その太身は外目には何の変化もなかった。これに反して細身のSは速かった。いつかその走るのを横から見ていたら、ほっぺたが風圧でへこむのに気付いた。「成る程風圧だわ」と感心したことがある。このSは走るのが早いだけでなく、跳び箱も。空中回転も上手な上、左右の手で同じ距離だけボールを投げることもで来た。つまり、両手使いのスポーツ万能型だった。因みに私は、高2まで硬式野球の選手で、高1には打撃と出塁率で一位だったが、両手利きではでは全くない。例えば右手で耳垢を掻き出しながら、左手で鼻くそをほじくるなぞは絶対に出来ぬ。そんな私から見ればピアニストの手(指)の動きなんてのには只呆れるだけだ。
風呂から上がって右手でタオルを使う時でも、私の左手は何の動きもせぬ。という訳で、私の利き手は完全に右なのだが、それに関して先日投稿川柳に面白いのがあった。”右利きの人が多いの何でだろう”(水野タケシ)がそれ。それでお節介にもこの投稿子に伝えたくなった本がある。もちろん、この人ばかりでない。同じ疑問を持っている人に対してもだ。足立喬「左右考1 」がそれで、その67Pに「人類ではなぜ右利きが多いのか」なる設問の下、カーライルの「戦闘楯」仮説なるものが紹介される。
それによると、古代の人の利き手は左右半々であったが右利きは右手に槍を左手に楯を持ち、心臓が守られるので、生き残り、左利きは心臓が前になるので殺されやすく、次第に減ったという。然し、これには多数の反論があり〜と続ける著者は東大医学部卒の医学博士。興味のある方はどうぞ。序でだから私の書棚にある関連本を2.3点紹介しておこう。順不同に、①西山賢一「左右学への招待2 」(風涛社/1995/¥1600)
②松永知人「左手のシンボリズム3 」(九州大学出版会/2001/¥4500+税)③礫川全次「左右の民俗学4 」(批評社/2004/¥3800+税)など。
1965年のインドネシア、当時少将のスハルト(後に大統領)は権力掌握の過程で100万人を越える華僑や反体制派を「共産主義者」として虐殺した。殺人部隊の一員だったアンワル・コンゴは1000人近くを殺害したが、この男は今でも国民的英雄であるし、殺害の主体だった民兵組織は未だに現役の政治家に支持されて、権力を振るい続けている。この「共産化阻止」なる大義の下に行われた「正しい虐殺」を、先記の男アンワルを主人公にして描いたドキュメンタリーが2014年4月に封切られた「アクト・オブ・キリング」で私も観たが、中で若い美人の司会者がテレビでワンアルと対談し、「共産主義者をたくさん殺したそうですね!はい拍手」と、実に嬉し気にしゃべるのには一驚した。この映画監督は米国出身のジョシュア・オッペンハイマー。これとは逆なのがカンボジア初の女性監督、ソト・クオーリーカーによって描かれたポル・ポト時代の悲劇の「シアター・プノンペン」。ポル・ポト首相率いるクメールルージュは、1975年に親米政権を倒し、共産主義政策を展開したが、その際、スハルト劣らぬ、政治犯、知識人の虐殺をやってのけた。都市住民を地方に強制移住させ、強制労働に駆り立て・・・で監督の父親もこの時殺された知識人の一人だった。この政権は1979年に崩壊した。
トップのポル・ポトは98年に死亡したが、当時の政権担当者を裁く特別法廷は今も続いていて、時々新聞にその判決が出る。このカンボジアの悲劇を含めて、北朝鮮までの実態を描いたステファヌ・クルトワ他の「共産主義黒書〈アジア篇〉5 」が、ありがたいことに文庫化されたので勧めたい同時に上記2つの映画も観られたし。
「共謀罪」が閣議決定されたことで、全国紙をはじめ地方各紙も反対の論陣を張っている。そんな中、「横浜事件」の被害者・木村亨の妻女が、この法律は「治安維持法と重なる」危惧するのを読んだ。
ところで、「横浜事件とは」....希代の悪法と言われる「治安維持法」のもと、神奈川県の特高警察が拷問(4人死亡)で自白をでっち上げ、司法も追認して作り上げた、戦時下最大の言論弾圧事件、総合雑誌「中央公論」が潰された。これについては何冊もあるが、黒田秀俊の「横浜事件6 」と、先ほど挙げた犠牲者・木村亨の「横浜事件の真相7 」(筑摩書房/1982刊/¥(当時1,800)を出しておこう。
室蘭にも漸く桜の季節が来た。日本各地の桜の名所には比ぶべくもない室蘭だが、花見の場所に事欠くほどでもなかろう。花見に出かける前に、桜の名著を読む位の余裕をもってもいいのでは!!、勧めたいのが古典的名著、山田孝雄の(1875−1958,たかおではなくよしお)の「櫻史8 」。上古から明治に至る日本文芸史上の、桜の文章を集大成した凄い本。孝雄は神宮皇学館大学長を勤めた国文学者。息子が「新明解」の山田忠雄。(忠雄については、佐々木健一の「辞書になった男-ケンボー先生と山田先生-9 」文春文庫を見ること)
孝雄は国粋主義者だが、それはおいて、この「櫻史」通読は疲れるという人は、1日1度でも...開いたページの1ヶ所宛だけでも読めばどれだけ盛り沢山な本か!ということが分かる筈。
これ読んで「桜」を見れば一段と美しさが増して見えることだろう。孝雄の「君が代の歴史」(宝文館出版)も我が本棚にあるが、それはまた、何かの機会に。