2017.5.9寄稿
今、5月9日火曜日朝4:00、外は暗い。日が出る迄と、ストーブを点けてこれを書き始めている。5月12日から21日まで、東京の紀伊国屋サザンシアターで福山啓子作の「梅子とよっちゃん」が上演される。演ずるのは青年劇場。
観に行きたいのはやまやまだが、そうもいかぬので、せめて書いておこうと言う気持ちだ.何故、東京まで観に行きたいと思うのか、と言うと、それはタイトル通り「梅子」と「よっちゃん」の話だからだ。しかしこの隣家の娘と息子みたいな名前の主は一体誰なのか?。
先ず「よっちゃんは」・・・・は明治31年(1898)土方久元伯爵の息子久明の長男として生まれた土方与志(よし)伯爵、よし=よっちゃん。この「よっちゃん」なにをしたかと言えば、小山内薫らと共に大正13年(1924年)東京築地に「築地小劇場」を建てた人。これ、日本最初の「新劇」専門の劇場。「新劇」とは言うまでもないが、従来の歌舞伎や新派に対して、明治末期に西洋の近代劇の影響を受けて生まれた新しい演劇のことだ。
当時ドイツに留学していた「よっちゃん」は大正12年(1923)9月の関東大震災の知らせを聞くと、直ぐに帰国する。「よっちゃん」は10年間の留学費を持って渡独して1年過ぎたところだったから、まだ9年分の費用が残っている。...で、..これからが滅多にある話ではない...と言うのは、「よっちゃんは」このお金で劇場を作ろうとしたのだ。震災直後だから仮設の建築でも許可が下りる。こうして大正13年(1924年)6月13日開幕に至る築地小劇場は建てられた。この劇場は後、昭和20年戦災で焼失したが、そのこけら落としの作品は反戦を訴えるドイツのゲーリング作「海戦」で、「よっちゃん」の演出によるものだった。この時「よっちゃん」26歳。
昭和8年(1933)になると、「よっちゃん」は国際演劇オリムピアード参加のためモスクワに行き、大会で「演劇は民衆のものだ」と演説するが,神国日本の伯爵の身で、共産主義国に行くわ、演説はするわ...で、祖父以来の伯爵と言う貴族的地位を失う。
以後「よっちゃん」はスターリンの粛清にあってフランスに亡命、第二次大戦で本国に送還となったが、治安維持法に引っ掛けられて、敗戦の年の10月10日まで政治犯として獄中にあった。
一方「梅子」は、福島の民権運動を弾圧して鬼県令と呼ばれた三島通庸の孫、父は日銀総裁、横浜正金銀行頭取などを歴任した三島弥太郎の、つまりは子爵の令嬢で、「よっちゃん」とは16歳で結婚したが、自立した女として「よっちゃん」に添い遂げた天晴な女。と言う訳で東京まで行けぬから、代わりに「土方梅子自伝1 」と土方与志の「なすの夜ばなし2 」を出して来て再読しようと思っているところ。
前者は20歳の「よっちゃん」と結婚した梅子が、「よっちゃん」が買い与えてくれたミシンを使って衣装係として築地小劇場に参加する。つまり「よっちゃん」によって働くことを教えられた貴族の娘が、裁縫で自立した訳で、以後の波乱の生活を語って読むものを飽きさせない、誠に稀有な人生記録。
後者は「よっちゃん」が「私は9年の海外生活、4年の拘禁生活によって得た心身の疲労を当分癒す場所として、ここ那須野を選んだ」として、電気もラジオもない新聞さえも2日宛まとめて来るような辺鄙な土地で来し方行く末を語る、まこと滋味溢れる本。
今「港の文学館」前にある棟方志功の「版画碑」は世界に只一つと言うものの由。これは元水族館の敷地内にあったが、塩害で傷み激しく...で..「港の文学館」へ移すとなったもの。この移転ばなしに対して「青森県人会が水族館のために建ててくれたものだから」云々で、「碑をめぐって文学館と水族館が綱引きをする場面も出てきそうだ」と当時の(1996.3.17)の記事にある。この事で北大の水産を出て水族館長を勤めた、私と幼・小・中・高と同期の中村寿孝さんから話を聞いた事があった。
棟方志功というと、今出典を思い出せぬので記憶だけで書くが、それは稲垣足穂と志功の出会いの場面で....いずれおとらぬ奇人・変人のこの2人会うや抱き合っての挨拶の後、どちらからともなく踊り始めて、つまり盆踊りのような踊りを始めて、座敷の中をぐるぐるまわる。両人共汗を吹き出しながら時々ちらっと相手を見ては、相手が止める気配がないと見るや、また続けるの繰り返しで、これを見ていた人(これが誰だったか思い出せぬのだが)が呆れてしまったという話。
これ読んで私は、ハハア、やっぱりな!!2人共結構計算ずくのパフォーマンスをおやっている訳だ、と納得したものだ。つまり、私はこの2人に対して、かなり胡散臭いものを感じていたのだが...。
稲垣足穂については全13巻の筑摩版の全集こそ持ってはいないが、自伝小説と銘打つ「東京遁走曲(( 稲垣足穂・東京遁走曲・昭森社(1968)))」(昭森社)
や、中村宏との共著「地を匍飛行機と、飛行する蒸気機関車」(仮面社)などなど、それに志代夫人の「夫・稲垣足穂」(芸術生活社)と一応呼んでは来たが、どうも未だに肌が合わぬ。一方志功の方はと来れば「芸術選奨文部大臣賞受賞」作長谷部日出雄の「鬼が来た-棟方志功伝-(上•下)3 」で胡散臭さが消えた。いつか大原美術館で見た「釈迦十大弟子」も抜群に良かった。
ところで志功は真似のしやすい作家と言われ、昔「志功の偽物作りでは日本一」と美術ブローカーの間で評判の男がいた。木材商の父親から一刀彫を習った藤井和夫なる男で、1992年に志功の偽版画3,300枚を売りさばいて捕まった.1980年には名古屋のデパート、オリエンタル中村で、又群馬の桐生の古美術商の間で、偽物騒ぎが起きている。そして、ついこの間、横浜にある神奈川県民ホールの緞帳の原画「宇宙讃」がカラーコピーにすり替わっていたという珍妙な事件が起きた。横65cm・縦50cm、1974年取得時の値段は300万円の由。
丁度、長谷部日出雄の「日本を支えた12人4 」(中の第8章が棟方志功)を読んでいたので、切り抜いて貼った。この本、聖徳太子から美智子皇后陛下までの12人の顕影の文章で、どれもよかった。もっとも、映画の「小津神話」に対しては「占領軍の検閲制度が作り上げたもの」とする木下昌明「スクリーンの日本人5 」(影書房)なる否定論もあるけどね。