第383回(ひまわりno199) 「雪男」の正体は 「梅毒の文学史」「鳴く虫の博物誌」

2018.1新年号

もう60年余も前の話だが、私が栄高3の時に、隣の清水高の登山部10数人が大雪山へ登りに行った。国体登山の終了後で、人出は普通の状態に戻っていた時だ。
その中に、私の北辰中時代同期のMとHがいた。何合目まで行ったか知らんが、Mは便意(大)を催したので、一向に先に行ってくれと言って草むらに走り込んだ。ズボンを下ろして屈み込んで力んでいると、誰かが背中にかぶさるようにして両肩を抱え込んだ。Mは「いたずら止めろよ」と言って、右手で払ったが相手はよけぬ。再度払おうとして抱え込まれた腕(?)を見ると、それは毛むくじゃらだ。驚いたMは便意も吹っ飛んで悲鳴を上げて立ち上がった。その声の先に行った一行が振り返ってみると、小柄なMの背後に一頭の熊がいる。一行は友達甲斐もなく(は冗談だが)、これまた驚いて大声を上げた。するとMにとって有り難く、一行にとって有り難くないことに、この熊Mをほっぽらかして。一行の方に向かって突進した。一行にとって幸なことに、一行は固まって逃げずに、いわゆる蜘蛛の子散らすように逃げた。で、熊はその中の一人を追う。それが捕まりそうになると、四方に逃げ散った他の連中が泣き叫ぶ。すると熊は掴まえそうになった奴を置いて、声の大きい一人に向かう.この熊多少気が散る癖があったのかも知れない(は冗談だが)。

その内、Hが高さ2米余りの岩に登って、よもや此所まではと一安心(?)した所へ、熊が走ってくるかと見た途端に、2米上のHに跳び上がってきた。仰天したHは思わずのけ反ったが、その時全く無意識に振り回したピッケルの先が熊の鼻に当たって、Hの表現によると、「コツンと音がした」。有難いことに、鼻っ柱折られて鼻白んだか(どうかは知らず)熊は余程痛かったに違いない。Hの無作為の一撃によって熊は退散し、全員無事で、熊にカッチャカレタ(カッチャクは引っ掻くの北海道方言)Mの右肩の怪我だけで終わった。Hは大分前に死に、Mは今病床にあると聞く。

此所で話を変える。周知のようにヒマラヤにはイエティ(yeti)と呼ばれる「雪男」がいる。チベット人は雪男を「カンミ」或いは「ザーミ」と呼ぶ。さて、1954年夏、海抜1000米、周囲の山々は海抜4,000米以上という波密(ボウオ)県通麦(タンマイ)村で、道路工事のために工兵部隊が出勤していた時のこと。炊事兵の王が布製のバケツで川へ水を汲みに行き、川辺でしゃがんでいると。誰かが右肩を掴む。王は「冗談はよせよ」と言うが、まだ掴んでいる。そこで右肩へ手を持っていくと、毛むくじゃらだ。振り向くと、緑色のギラギラ光る目、高い鼻、大きな口etc.ここで王は気絶して....後で戦友に救われた。下線の部分が先のMの体験の下線とすこぶる似ていないか!。

この話は全編「雪男」が主題の周正著「中国の『野人』ー類人怪獣の謎ー1 」に出ている。同書には先日亡くなった日本の登山家・田部井淳子と新聞記者・北村節子の「雪男」の足跡を見た話も出ている。

さて、2017年11月30日の報道によると、ネパールやヒマラヤの寺院他に保存されている「雪男」の骨、皮膚、歯、糞、毛etc.のDNAを解析した結果、大部分が「熊」のもと判明した。調べたのはニューヨーク州立大学の国際チーム。「へえー」と思うが、さもありなん!。以上「だから、どうだ!」って話でもないけどね。何年も続いた「雪男」論争,これで一件落着となるのかな。

陣屋の「民族資料館」にまだあると思うが、「電髪機(でんぱつき)」というものがあった。パーマをかける機械だ。昔聞いた説明では、道内でこの機械を置いたのは、小樽が最初で、戦後室蘭の理美容店がこれを設置するまで、待ちきれない女性たちが、パーマをかけるべく、長万部乗り換えで函館線で小樽まで夜行列車で行ったそうな。と思えばいわゆる天然パーマを嫌がる人もいて、私と同期でクリーニング屋の娘のSは、いつもその頭を気にして真っ直ぐにしようとしてた。

こんな話を何故思い出したかと言うと、今日これを書いている12月10日だが、つい先達ての12月6日の新聞で、大阪の府立女子校が黒髪を強要しているので是正を!!との問題が起きたからだ。大阪府知事になった途端に、茶髪を止めた橋下徹のせいでもなかろうが、妙な事をするものだ。

妙と言えば、この強制、外国人に対してもしているという。橋下であれ。阿倍であれ、自分又は自分の娘が、例えばトランプの国に留学して、「ハイ、明日から金髪にしておいで!!」と言われたらどうするのだろう。或いは又、ハゲ禁止!明日からカツラ着用と言われたら、男性の1/3といわれるハゲ族の居場所はどうなるのだろう。

私の高校時代にも、男子は坊主が原則、夏は足駄、女子のセーラー服とスカートの間は?cm以上離してはダメetc.と、色々禁止事項があったが、今になって思い返して、自身も丸坊主だった斎藤校長の硬直した顔を思いだして、つまらぬ事よと思うのみ。私が校長なら全校で、例えば廣澤榮の「黒髪と化粧の昭和史2 」あたりを読んで、「皆で日本女性の美しさとは何かについて思いをいたそう」位で止めとくね。

因みに、この廣澤は、田中絹代と栗原小巻の名演で鳴る、日本女性の悲劇を見つめた名作「サンダカンん八番娼館3 」のシナリオを書いた人だ。

今時黒髪強制か!!と驚いたら,「えっ、何で今時??」とのニュースが出た。12月4日のこと。それは1973年来、初めて梅毒感染者が5,000人を超えたという、かんばしいとは言えない話。ナンデモ1973年には5,281人それが2017年11月19日現在5,053人だという。全国で東京が突出していて1,561人の由。言うまでもなくこれ、性交渉で感染するもの。梅毒といえば....、まだDVDになっていないが、モーパッサンの「女の一生」が最近映画化された。私はこれを高2の時に読んだが、主人公ジャンヌの悲劇に同情したものだ。このモーパッサンは梅毒で死んだ。しかも梅毒のせいで、いつも一物がエレクト状態でいるという奇病に罹り、苦しんだことが確かフランク・ハリスの本に出ていた筈だ。

私はまた中2の時にアルフォンス・ドーデーの「風車小屋だより」を読んだ。教科書にも取り入れられた「最後の授業」のあのドーデーだ。「スガン爺さんの山羊」のあのドーデーだ。このドーデーも梅毒で死んだ。又ゴンクール賞と日記で名高いジュール・ド・ゴンクールも梅毒だった。日本でも宇野浩二をはじめとして...。嫌なものがぶり返したものだ。私はこの切り抜きを、寺田徳光の「梅毒の文学史4  」に挟んだ。体内の子供まで影響を及ぼす厄介な病気。恐ろしい。

寒くなってストーブに近寄りたいのは人間ばかりでなくて、「便所コウロギ」、別名「カマドウマ」もそうだ。この「便所コウロギ」が今注目されている。暗い森で光合成をやめた寄生植物が「便所コウロギ」に果肉を与え、種を運ばせていると、神戸大学の末次健司特命講師の研究で判明したからだ。この「便所コウロギ=カマドウマ」が日本ではどの虫を指したかがよく分かっていない。

一般向きな話ではないと思うが興味を覚える向きはストーブに当たりながら、「鳴く虫の博物誌5 」などをどうぞ!!。

  1. 周正.中国の『野人』ー類人怪獣の謎ー.中公文庫(1991) []
  2. 廣澤榮.黒髪と化粧の昭和史.平凡社(1999) []
  3. 山崎明子.サンダカンん八番娼館.文藝春秋(2008) []
  4. 寺田徳光 .梅毒の文学史.平凡社(1999) []
  5. 松浦一郎.鳴く虫の博物誌.文一総合出版(1989) []

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください