第400(ひまわりNO216)「リンゴの唄の真実」と「ニルスの不思議な旅と日本人」

2019.6.19寄稿

先日温泉の帰りに我妻さんんがカーラジオを入れると、童謡の話をしている。途中からだから一話終えると次となって、一通の手紙を読み始めた。介護施設に入っているという85歳のお婆さんからの手紙だ。

自分は今の施設で一番の年長者だが、この間歌の話になって、私が「鐘の鳴る丘」の話をしたら誰も知らないと言う。爺さん婆さんが皆知らない位だから、施設の若い従業員達は当然のことに皆知らない。それで、ついてはこの歌をかけて欲しいい。皆に聞いて欲しいのだーという手紙だ。聞いて私は驚いた。「えっ、鐘の鳴る丘」を知らないってか??そう思ったけれどもこれは無理もない話だな、と一方で思った。と言うのは、これまた数日前カーラジオを聞いていたら、ナントカという若手の歌手がジュディ・オングを知らないと言う。歌手ならば自分の先輩達の名や曲位は覚えていてしかるべきだろうに、と思ったけれど、知らないのは知らないのだから仕様がない。それにしても、ジュディ・オングは死んでないよな、と失礼なことまで思ったが、この若手歌手にはそうした事一切通じない訳だ。と言う訳で話を戻すと、「鐘の鳴る丘」ビデオが我が家にある。それの解説を此処に引く。ー「鐘の鳴る丘1 」は菊田一夫が戦災孤児救済問題をテーマに、昭和22年7月よりラジオ放送連続ドラマとして書き続け、まさに日本中を感動の涙で席巻した名作。映画化熱望に応えた松竹は、空前のスケールで製作。愛に飢える孤児達の悲しいい群像を捉え、波乱に満ちた世相を背景に痛烈に描写し、一大センセーションを巻き起こした野心作であるーで、第1篇隆太の巻、第2篇修吉の巻全2巻。各々81分、83分。

第1篇は昭和23年作、復員してきた加賀見修平(佐田啓二)が行方不明の弟修吉を探すうちに戦災孤児の隆太と出会い〜彼らを救うべく故郷に彼らの家を建てようとする。

これが「緑の丘の/赤い屋根/トンガリ帽子の時計台/鐘が鳴ります/キンコンカン/メーメー子山羊も鳴いてます」の丘の上の家。

第2篇は昭和24年作。家を完成させた修平は弟を探しに上京するが、弟はもちろん分からず、街にあふれていた浮浪児(と当時は呼んだ)達は、あろうことかヤクザ達に集められてスリを仕込まれていた。これに抗議する修平はヤクザ達に叩きのめされる。孤児達の運命は?修平ん弟は相逢うことが出来るのか?佐田啓二の他に徳大寺伸、菅生一郎、飯田蝶子と言ったベテラン達が(と言っても、今じゃ誰もしらないか)。

この「鐘の鳴る丘」は全校順繰りで観た。つまり学校で全生徒に見せた。観たのは浜町の大国館で色んな映画を観たが、中で一つ思い出すのは高峰三枝子子扮する大学女子寮の舎監と高峰秀子扮する女子大生とその恋人田村高廣、財閥の娘の久我美子、大学の圧力に耐えかねて退学しようとする岸恵子らの悲劇を描いた名作「女の園」木下恵介監督、原作は阿部知二の名篇「人口庭園」。これ、幼馴染の泰子と一緒に観た。ーと言っても当時は高校生がアベック(今でいうカップル)で歩くなどはダメ、ましてや一緒に映画にーなんぞとは考えられない時代だから、泰子が先に入って、終わる頃に私が入って満員の席に交替して座るという他愛のないものだったっけどね。ついでに言うと、昭和20〜30年頃の映画館は大国館の向かい側に「東宝劇場」、うなぎの塩釜を市役所寄りに来た角に「日活館」今のホテルベイ・サイドの前に洋画の「セントラル劇場」と「東映」、そして前田歯科の隣に「日劇」と「ストリップ」の小屋があった。今、全校生徒で観に行ったと書いたが、当時はターザン映画も全校で行った。ジェーン(だったか?)が危機一髪と言う所へワイズミュラー扮するターザンが現れて「アーア、アー」と叫び出すと、皆揃って拍手したものだ。映画の後はターザンごっこが流行って、不肖私はいつも「ターザン」役だったが、あの叫び声の真似がなかなかうまくいかない。これが後年映画の本をいろいろ読んで、うまくいかない理由が分かった。ナントあれ、人の自然な声にあらず「合成声」だったと言うのだ。アメリカってのは何かと不思議なことをしてくれるものだ。とここまで書いて「鐘の鳴る丘」、我々小中学生全員、いや国民も泣いて笑ったあの名作を図書館で上映ーとふと思ったが、どんなものやら?要望があれば図書館シアターでもいいかもな。

さて、「鐘の鳴る丘」の歌を施設のおばあさん達が知らないーと言う話の2日後、今度は図書館からの帰宅途中のカーラジオで、今度はコーラスをやっているという70代後半のこれまたお婆さんからの投書〜コーラス仲間にダークダックスの「鈴蘭」を歌いましょうと提案したら、又々誰も知らないと言うので、是非放送してください。その後もう一度歌おうと誘ってみます云々。ここで又「鈴蘭」知らないのか?私はコーラスなんてしゃれたことをしたことがないが、ダークダックスも一度講演を聞いているし、この歌も知っているのになあ・・・と思っているうちに、時代はどんどん変わる、いや変わりすぎると悲嘆しつつ、この調子じゃこの歌も既に忘却の彼方に行ってしまっているのではと気がついたのが、戦後盛んに歌われた、かの「リンゴの唄」サトーハチロウ作詞「赤いリンゴに唇よせて/だまって見ている青い空/リンゴは何も言わないけれど/リンゴの気持ちはよくわかる/リンゴ可愛や/可愛やリンゴ」作曲は万城目正。歌ったのは松竹歌劇団出身の並木路子。この歌、これまた戦後大いに流行ったNHKの「のど自慢」で、男女を通じて最もよく歌われた歌だという。面白いことに彼の美空ひばり小学時代、この「のど自慢」に出てこの「リンゴの唄」を歌ったが不合格だったという。因みに「紅白歌合戦」、はじめは占領軍アメリカのCIE(民間情報教育局)に、敗戦国が又々合戦とはナニゴトだと文句をつけられて「紅白音楽試合」に改名させられたという。「老人ホームでもこの歌誰も知らないの」なんてことにならぬよう戦後最高ヒット流行歌の歴史ぐらいは知っておこう。「リンゴの唄の真実2

大江健三郎の名をこの頃あまり新聞で見かけないが元気なんだろうか。その大江はノーベル文学賞を受けた時に記念講演で「それは不幸な先の大戦のさなかでしたが、ここからはるか遠い日本列島の、四国という森の中で過ごした少年期に、私が心底魅惑された2冊の書物がありました。”ハックルベリー・フィンの冒険”と”ニルスの不思議な旅”」と語った。どちらも大江の母が見つけて来たという。私もこの2冊は読んだが、対戦中(大戦のさなか)ではなくて敗戦後の小学4,5年いなってからだ。大江の母が英語の授業が禁止されている戦争中に敵性語のハックルベリーなどをどこで見つけて来たのかー不思議な気がするが、それはともかく大江のみならず日本人の多くが読んだ「ニルス」にいついて委曲を尽くした誠に優れた研究書が出た。「『ニルスの不思議な旅』と日本人3 」因みに「ニルス」の作者、セルマ・ラーゲルレーフの他の本で私が一番好きなのは中学2年の時佐々木基一の訳で出た「沼の家の娘」(角川文庫)だ。

 

  1. 菊田一夫.鐘の鳴る丘.松竹ホームビデオ.(1948) []
  2. 永嶺重敏.リンゴの唄の真実.青弓社(2018) []
  3. 村山朝子.『ニルスの不思議な旅』と日本人.新評論(2018) []

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