第425回(ひまわりno241)益川博士の「反骨」と「ショル兄弟の」白ばら抵抗運動

2021.8.8寄稿

私は物をはっきりと言う人が好きだから、ノーベル物理学賞を受けた益川敏英博士が好きだった。博士は敗戦の時に5歳。名古屋に住んでいて、空襲に遭ったものの危うく助かった。それで受賞講演でそのことを話そうとした。

この講演は仲々印象に残るもので、というのはその冒頭で博士は「I speak Japanese only」と言ったのだ。記憶にある講演では、鵡川のシシャモ問屋の息子の鈴木北大教授などは、実に颯爽と英語でしゃべっておったが、益川博士はそうではなかった。その上で博士は幼児の戦争体験を語ろうとした。ところが事前にどうしたことか講演原稿が外部に漏れてしまい、すると、さる筋からアカデミックな受賞の場でそんなことは話すべきではないとと批判が出て、当然それは博士の耳にも入る。然し博士は「戦争を自分の記憶として語れる最後の世代として語り伝えなければと思っています〜(ので)構わずに原稿のまま話しましたがね」と語る。博士は又人類の発展のための科学の発展が逆に人を殺す道具に使われることを憂える。そして、「九条科学者の会」の呼びかけ人となり、「安全保障関連法に反対する学者の会」の発起人にもなった。

言葉の純粋な意味において益川博士は偉い人だと私は思うが、この人が過ぐる7月23日、81歳で亡くなった。惜しみても余りあるが、今はその著「科学者は戦争で何をしたか1 」を読み返しつつ、その思想そを他にも伝えたい。権威や権力に容易に組しない気概の主を反骨と言うが、博士こそその「反骨」だ。因みに此の「反骨」という言葉、本来は「いずれ謀反を起こしそうな骨相のことで「三国 演義」に出る言葉、そしてこの骨相は、後頭部が突き出ているのがそれだ。(そうな)。自分で言うのもナンダが、私がこれだ。我ながら笑えるね。

甲南大学の田野大輔教授は「魅惑する帝国ー政治の美学化とナチズム」(名古屋大学出版会、2007年)の著書を持つ。現代ドイツ史の学者だが、彼によると、現在、ヒトラーのナチスを必ずしも悪いことばかりをした訳ではない、いい事だってしていると評価する人が増えているそうな。聞いて、まさかと思うより、さもありなんと思うのは……..あいちトリエンナーレで大村知事に対してリコール運動を起こし、結果偽署名運動で目下調べられている例の美容外科の高須院長を見れば分かる。この男ナチスを美化するどころか「ホロコースト」そのものをなかったとする立場の男だ。今回人様の金メダルを噛んで見せるという不潔の極みの行為をして見せた名古屋の河村市長も同じ仲間だ。話を変えるが、今年はゾフィー・ショルの生誕100年だそうだ。これはヒトラーの時代に「白バラ抵抗運動」として知られるものがあって、彼女や兄のハンスらが自分の通うミュンヘン大学で、反ナチスのビラをまいたりした、事を指す。彼らは後に逮捕されてギロチンで斬首されるが、その抵抗は無駄ではなかった。私の棚にもインゲ・ショルの「白バラは散らずードイツの良心ショル兄妹」(未来社.1964)他がある。今ドイツには「ショル兄妹」の名を冠する学校が200余もある由。いいねえ。

ところで、私は観ていないが、今回の五輪の開会式で、100歳の最年長金メダリスト、ハンガリー女子体操のアグネシュ・ケレティにスポットを当てながら五輪の歴史を振り返る動画が流された由。この事について一橋大学のスポーツ社会学者坂本康博は、ケレティの父親はアウシュビッツで殺されている事。大戦の影響で彼女がメダルを取ったのは31歳だった事などを指摘する。こうした事を知っても高須らはアウシュビッツの存在を否定するのだろうか。かって麻生太郎が「ナチスの手口に学べ」と言った。その麻生や同質のアベやスガが大きな顔をしている今、その「ナチスの手口」なるものが如何なるものであったかを知るにいい手がかりになる本がある。石田勇治の「ヒトラーとナチ・ドイツ2 」(講談社現代新書2015.¥920+税)だ。一読をすすめる。

第二次世界大戦後のフランス。ジスカール・デスタン政権で予算相をつとめたモーリス・パポンなる男がいた。パリの警視総監を初めとして要職を歴任し、その後国会議員となり、最後は前述の如く、1978−1981、予算相だった。ところが、1981年突然逮捕された。この男、ナント、フランスがヒトラーに占領され、ドイツに協力するペタン元帥をトップとする政権、いわゆる「ヴィシー政権下」、南部のジロンド県で、官房長をやっていたと分かったのだ。おまけに1942-1944年に、ユダヤ人1500人以上をアウシュビッツに送ったともわかって来た。その後逮捕だ、逃亡だと色々あって、2002年に身体不調で仮釈放、2009年2月半ば96歳で死んだ。このパポンは要するにフランス国民たるユダヤ人達をヒトラーに提供して殺したのだ。もっともパポンばっかりではない。そもそも、ヴィシーとは南部の非占領地区にあった温泉の保養地だ。そこに第一次大戦の英雄フィリップ・ペタンが、フランスに攻め入ったヒトラーと休戦して、ドイツに協力する内閣を作った。抗戦を主張するシャルル・ドゴールはイギリスに逃れて外国からの抗戦となる。ペタン率いる独裁体制は土地の名前をとってヴィシー政権」と呼ばれた。ヴィシー政権は国内のユダヤ人達をナチスの強制収容所に送り始めた。今DVDのレンタル屋に行くと「黄色い星の子供達」という2時間ばかりの作品がある(筈)だが、この「黄色い星」はゲッペルスによってユダヤ人識別のため1941年から強制的につけさせられたものだ。「ユダヤ人」と書かれた星バッジは何故黄色か。黄色は裏切り、どん欲、不忠義、怠惰を表す色だからだ。秦剛平「反ユダヤ主義を美術で読む」(青土社.2008年¥2400+税)を参照。又、フィリップ・ビューランの「ヒトラーーとユダヤ人」の第5章「黄色い星の着用で東方への強制移送」も参照(三交社.1996年.¥2800)序でだから E・フックスの「ユダヤ人カリカチュア」(柏書房1999年¥3800)も出しておく。ヒトラーの出現を予告している。

そしてこの映画はナチスに協力するフランスの官憲によってドランシー収容所と「ヴェロドローム・ディヴェール」と呼ばれた競輪場に集められたユダヤ人達が毎日ドランシー駅からアウシュビッツへ送られる様子を描いたものだ。只、当時のフランス人はドランシーから送り出されたユダヤ人に如何なる運命が待っているかは知らなかった(という)。このすぐれた映画(出来事)の背景を知るための2冊をすすめる。

ジャン・ドフラーヌ「対独協力の歴史3 」(白水社)と、宮川裕章の「フランス現代史・隠された記憶4 」(ちくま新書)だ。

「ホロコーストはなかった」と阿呆なことを言う高須ら(歴史修正主義者ら)と同じレベルの馬鹿になりたくなければ是非読んでほしい。


「反ユダヤ主義を美術で読む5

「ヒトラーとユダヤ人6

「ユダヤ人カリカチュア(( エードアルト・フックス.ユダヤ人カリカチュア.柏書房(1993))) 」

  1. 益川敏英.科学者は戦争で何をしたか.集英社新書(2015) []
  2. 石田勇治.ヒトラーとナチ・ドイツ.講談社現代新書(2015) []
  3. ジャン・ドフラーヌ.対独協力の歴史.白水社(1990) []
  4. 宮川裕章. フランス現代史・隠された記憶.ちくま新書(2017) []
  5. 秦剛平.反ユダヤ主義を美術で読む.青度土社(2008) []
  6. フィリップ・ビューラン.ヒトラーとユダヤ人.三交社(1996) []

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