第427回(ひまわりno243)内山書店76年ぶり復活。贋作事件簿他

2021.10.2寄稿

私は2004年に、地元の室蘭民報社から「本の話」を出した。これは同紙に平成元年(1989)から連載している専ら「本」に関する話を書いたエッセイ「本の話」の初回から1996年(平成8年)までの200回分をまとめたものである。

その第152回「”ドレフュス”で開眼」で、私はこう書き出している。〜前回は、私が「世界、本、自分」と題して、全国大学生活協同組合連合会発行の雑誌「読書のいずみ」に書いた文章の前半を再録しました。後半を続けます。

高校2年生の時、内山完造が講演の途次に、旅館業の我が家に泊まったが、床の間の”山奥で読書中の陰士、山道には薪を背負った樵”という変哲も無い画を見て、「働く人がいるのに本を読む人がいるのは良く無い」と語った。私は憮然としたが、大学で「魯迅全集」(岩波書店)を読んだのはやはり内山との邂逅(かいこう)に原因がある。後、内山から聞いた向坂逸郎の「嵐の中の100年ー学問弾圧小史ー」(勁草書房)を読み、思想が思想故に圧迫されるという憂うるべき問題に関心が向いてからは、「戦時下抵抗の研究」(みすず書房)で論じられるような事件や転向問題の本にも気を配ってきた。中でも「洋学の迫害」は好きな主題で〜」後略

内山は上海に「内山書店」を開き1936年に作家魯迅が死ぬまでの晩年10年の活動を支えた。さて、私は室工大を定年退職後、市立室蘭図書館に招かれて、「生命の長い良書」美術書を市民の寄付で蒐集する「ふくろう文庫」を創設し、今迄、6,500点余を蒐めた。各地で蒐めた良書、良品を展示すると共に、美術普及のための講演会「ふくろう文庫ワンコイン美術講座』(1回、約2時間)を、今迄61回開いてきた.2011年の5月には「魯迅の版画運動」について語った。この運動については長くなるから今は説明を省く。

その講演が非常に好評だったので、私は不図思いついて「中国に行って魯迅の足跡を辿ってみないか」と呼びかけた。結果賛同者が出たので、私は30名程(だったか)を牽いて魯迅の生地の浙江省、紹興、を皮切りに上海、北京とまわったのだった。

ところで、こんなことを思い出したのは、過ぐる9月25日は魯迅の生誕140年とて種々のニュースが出、中に今年の7月10日、天津に、内山書店が76年ぶりに復活したとの知らせがあったからだ。内山書店は1917年に内山が、妻美喜と上海に開いたが、1945日本敗戦で店を閉じた。それを諸事情あって、趙・奇(ちょう・き)なる人が上海でなく天津に復活した訳。趙曰く「先達に学び、中日交流の架け橋にしたい」と。その言や佳し「書店を架け橋として、文化交流を期する」が内山夫妻の意思だからだ。これ夫妻の墓碑銘。そこで内山書店の事を書いた良書を出しておく。太田尚樹著「伝説の日中文化サロン・上海・内山書店1 」(平凡社新書.2008。¥740+税)。そしてもう一冊、この太田が解説をつけた内山の自伝「花甲録ー日中友好の架け橋2 」(2011.平凡社東洋文庫no807,¥3300+税)「花甲」とは還暦のこと。魯迅の小説の舞台となった居酒屋で、ソラマメを肴に飲んだ紹興酒は本当にうまかった。


もう大分昔のことで、いつだったかはっきりしないのだが、歯医者をしている我妻さんの弟から相談事が来た。ナンデモ、三越(デパートの)の美術部の外商がが来て、油絵だったか彫刻だったかを買ってくれないかと言うのだと言う。美術好きの義弟はそれまでも彫刻なぞを集めていて、それらは確かなものだった。ところが、三越の美術部外商には、その頃偽物を売っているとのうわさが流れ出していた。義弟はそれを心配した訳で無理もないことだった。それで、私は三越のかんばしからぬうわさの幾つかを集めてコピーし「俺は買うことに反対だぞ」と書いてやった。結果義弟は思い止まったが、三越の偽物売りはやはり本当で、その後事件になった筈だ。問題は10月1日の現在で「東山魁夷(かいい)作品を無断複製した」とし元画商らが逮捕されていること。複製、つまり偽版画を数十万から100万で売りさばいていたと言うこと。時にはばれぬよう真物(ほんもの)を混ぜて売っていたらしい。驚くのは偽物と言ったって、今の世だから全部デジタル技術の使用で、単なる模写ではない。と書いているうちに、フランスの文豪アナトール・フランスのことを思い出した。私の好きな作家で、高一の時に白水社から出た「アナトール・フランス短編全集」全7巻というのが今でも我が本棚にある。悪い紙の時代で、今では手に取ると気が失せるがーそれは別として、フランスは美術品を沢山蒐めていた。ところが,ある時、きっかけは知らぬがその大半が偽物だとなってしまった。その時フランスは少しもあわてずに「それがどうした。私は充分楽しんでいたんだから、それで良い」と言ったと言うのだ。美術品の値上がりを見込んで欲気で買った訳ではないぞよ、と言う事で、これでいいんじゃないのかと私は思ったね。株買ってんじゃないからな。自分の気に入ったものは、雑誌を切り取って額に入れても様になるもんな。オット本を紹介するのを忘れるところ。贋作に関する本は沢山あるが、今回は「お騒がせ贋作事件簿3 」著者は大宮知信で(草想社刊)2002.¥1800+税)をすすめておく。


序でだが、私は最初に述べた室蘭民報紙に現在も連載している「本の話」の第450回(2006.8.6付)「オマージュ論で盗作とは」でアルブレヒト・デューラーにまつわる贋作の話を、又「あんな本・こんな本」の2019年3月号で、フェルメールについて同じ主題を語っているので、興味のある方は、バックナンバー(http://t-yamshita.info)をどうぞ見てください。

違星北斗(いぼしほくと)は1901年、今ウイスキーのニッカのある余市町に生まれたアイヌの歌人だが、今度角川ソフィア文庫で、「違星北斗歌集、アイヌという新しくよい概念を」が¥900円で出た。「利用されるアイヌもあり利用するシャモ(=和人)もあるなり哀れ世の中」が示すようにアイヌに対する差別に苦しみ、かつそれと闘いながら、結核でわずか27歳(1929年)で死んだ。この文庫が出ると歌人の山田航が朝日(だったと思うが)で取り上げて「違星北斗の評価はは難しい」とし、それは「アイヌ文学史上での評価と、近代口語短歌史上での評価がずれるからだ」とした。私はこれ、正しいと思う。差別への抵抗の意識が即、良質な文学作品へ昇華するとは限らないからだ。ここには新刊の文庫本ではなく、私が年来親しんできた「コタン(=村)、違星北斗遺稿4 」(1984草風館¥1800)を出しておくので自分で判断してくだされ。

民衆史で鳴った歴史学者、色川大吉が9月7日、96歳で老衰死した。民衆憲法草案、いわゆる「五日市憲法」を発見した人だ。又明治中期、負債の利子の減免他を政府に求めて結束した農民組織の「困民党」の歴史を明らかにした人だ。又自分史を書く事を進めた人だ。主著は「明治精神史」(’64)、「ある昭和史」(`75)などだが、ここには自由民権運動に関心を持つ人の間で「幻の名論文」と言われたものを八王子の出版社が出した「困民党と自由党5 」(揺藍社,昭59 1984年¥1,300)を出しておく。昭和58年には秩父在住のフランス人の司祭「アルベール・コルベシェ」による「火の種蒔き−1884年・秩父事件ー」といういい本が(あかし書房、¥1400)出ている。

最後に、私の「本の話」は今日10月2日(土)で「第840回 鼻ほじりは快楽の極み」。原稿は844回分まで新聞社に出してある。このネットで読めるはず御愛読の程を!

 

 

  1. 太田尚樹.伝説の日中文化サロン・上海・内山書店.平凡社新書(2008) []
  2. 内山完造.花甲録ー日中友好の架け橋.平凡社東洋文庫(2011) []
  3. 大宮知信.お騒がせ贋作事件簿 .草思社(2002) []
  4. 違星北斗.コタン(=村)、違星北斗遺稿.草風館(1984) []
  5. 色川大吉.困民党と自由党.揺藍社(1984) []

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