第443回「イサムノグチと李紅蘭」佐川一政・食人食

2023.2.10寄稿

昨年の12月3日の新聞の死亡欄に2人の著名人の名が並んだ。死んだ日は違うのだが、知らせが同じ日に出た訳だ。先に亡くなったのは11月18日にアメリカカルフォルニアの自宅で亡くなったノンフィクション作家の「ドウス•昌代」で84歳。もう一人は11月24日に死んだ作家の「佐川一政」(佐川一政)で73歳。

そこで今回は2人に関する本を取り上げる。

先ずは「ドウス•昌代」。皆同じだと思うが、私が彼女の作品で最初に読んだのは昭和52年(講談社の出版文化賞ノンフィクション部門)の受賞作「東京ローズ」。これは、太平洋戦争中、敵国アメリカの対日宣伝の役になって甘い声で、ラジオからささやき続け「東京ローズ」と呼ばれた数奇な女の生涯を語ったもの。他に「第23回大宅壮一ノンフィクション賞」と「第5回新潮芸術賞」を同時に受けた「日本の陰謀」などもあるが、今回は上下2巻の「イサム・ノグチ1 」を出す。イサムの父は世に知られた「ヨネ・ノグチ」の事「野口米次郎(明治8〜昭和22=1875-1947)筆名が「yone  Noguchi」で詩人だ。慶応を中退して渡米し、国際詩人となった人だ。私の本棚にはこの人の「六大浮世絵師」(岩波書店)がある。因みに2006年の11月に「ふくろう文庫所蔵浮世絵展」を丸井デパートでやった時参考のためにこの本を横に出しておいた。

ノグチが「六大」と選んだのは「鈴木春信、鳥井清長、喜多川歌麿。東洲斎写楽、葛飾北斎、安藤広重」だった。この「yone   Noguchi」が渡米後レオニーなる女と一緒になって生まれたのがノグチ・イサムだ(1904−1988).2010年だったかに公開された「レオニー」なる映画ではヨネ・ノグチに中村獅童が、レオニーには(エミリー・モーティマー)が扮した。ヨネとレオニーはニューヨークで知り合い。イサムが生まれる。然し、日本人への人種差別が激しいので、アメリカを離れて日本に戻る。ところが、ヨネには日本人妻がいたが〜という話だが、日本人妻がいた所の話ではない。すでに9人もの子供がいた。のだ その長女の夫になったのが、北大を出て、京大に進み美学者にして美術評論家になった「外山卯三郎」だが、それはまた別の話。別の話といえば、レオニーは日本に来てからアイリスと言う女の子を産んでいるが、これは実はヨネの子ではない。しかしレオニーは生涯父親が誰であるかを誰にも教えてなかった。この映画が出来た頃、既に札幌にはイサムが設計した「モエレ沼公園」があったので、札幌も張り切って、制作費6億円のうち1億24万円を道内の企業から集めたという。序でに言うと、札幌には大通公園にイサムの設計した滑台「ブラック/スライドマントラ」があったが、今でもあるだろうか。

そういえば高松の庵治町には、まだ行った事はないが、かつてイサムがアトリエを構えていたので、今日「イサム・ノグチ庭園美術館」と呼ばれるのがある。この地で取れる「庵治石」は「花崗岩」のダイヤモンドと呼ばれる名石だそうな。

死なないうちに行ってみたいものだ。世界的彫刻家になったイサムの事はこれ位にして、イサムとくれば、この女性をかたらにゃな。山口淑子だ。

日本人に生まれながら、時代のなせるわざで、中国人歌手、中国人女優として活躍した「李紅蘭」事、「山口淑子」を知らぬもの者はいないと思うが、ここにあげるのは、その山口と、作家藤原作弥との共著とも言うべき「李紅蘭,私の半生2 」だ。

淑子より15歳年上のイサムは淑子に初めて会った時「戦争の間苦しんだでしょう。僕も日本とアメリカの戦争で、悩みました」と語った。その言葉が「胸をついた」と淑子は言う。それと同じ事が、ドウス•昌代のイサム・ノグチ伝の下巻第4章の2「ヨシさん」に書かれている。2014年の10月の新聞の川柳欄に神奈川の都留あき子作の「身をもって昭和を語る李紅蘭」があるが、これは全くもってそうだ。

所で、私は見てないが、2006年にろ李紅蘭の数奇な半生がドラマ化されて、上戸綾が淑子役となった。但し山口本人は背丈150㎝で上戸の方が頭一つ高い。まあこの差は世代と言うもんだろう。この時、山口は上戸に「上海語は聞かずに、北京語だけをしっかり勉強してと語った由。

淑子が歌った歌としては、音痴の私が今でも歌える「何日君再来=イエライシナン3 」=いつの日君又かえるが有名だ。これを語った中薗英助の「何日君再来物語4 」を紹介しておきたい。中薗は私の女子好きな人で「読売文学賞」を受けた。「北京飯店1日館にて」や「大佛次郎賞」をとった「鳥居龍蔵伝」など10冊余りが我が書棚にある。是非読んでほしいい作家だ。

さて、次は73歳で死んだ作家、佐川一政だ。読者はこの人を覚えているだろうか。そう、1981年留学先のパリで、勝手に好きになったオランダ人留学生を射殺して、その肉を食べてしまった男だ。驚く事にその男は精神鑑定の結果、不起訴処分となり日本に戻され、後に作家となった。本人が書いた「霧の中」や、作家の唐十郎が書いて芥川賞となった小説「佐川君からの手紙」もあるが此処には、安田雅企(やすだまさき)の「パリ留学生人肉食事件5 」を出しておく。

この度肝を抜かれるような事件は安田の本でその全体像が分かる筈だが、この「人間を食う」という事を歴史的に俯瞰したのが「マルタン・モネスティエ」著「図説 食人全書6 」。第1章 「胃の記憶」第2章「食人の起源」と始まって第12章「商業化、組織化された食人・21世紀の食料難に対する答え」なる恐ろしい文章で終わる.400pを超す大著だ。その第11章が「食人犯たちのリスト」で318p-384pまでを使っての全部で15人の史上著名な人食いの行為が描かれるが、最後の15が佐川でこう書き出される。「世界中の新聞で”日本人食人鬼”と呼ばれた佐川一政はパリで文学を学ぶ、32歳の学生であった.1981年6月11日、彼は25歳のオランダ人の女学生ルネ・パルテヴェルトを殺して食べた。この三面記事的事件がどうして世界ではこれほどの反響を呼んだのだろう。それは今事件が、この種の大部分の事件とは一線を画す、特異なものだったからである。どう特異なものだったか?




知りたい人はどうぞ手にとって読んでみて下され。

 

  1. ドウス•昌代.イサム・ノグチ.講談社(2017) []
  2. 山口淑子+作家藤原作弥.李紅蘭,私の半生.講談社(1987) []
  3. 中薗英助.何日君再来=イエライシナン.新潮社(1987) []
  4. 中薗英助. 何日君再来物語.河出書房新書(1988) []
  5. 安田雅企.パリ留学生人肉食事件.思想の科学社(1983) []
  6. マルタン・モネスティエ.図説 食人全書.原書房(2001) []

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