2024.6.26寄稿
このところ。天皇夫妻が訪英するとのニュースが新聞によく出る。イギリスから国賓として招かれた渡河で、二人が出たオックスフォード大学にも行くとのこと。
徳仁天皇がイギリスに2年間学んだことを語った「テムズとともに」は前に語ったことがある。
このことで、思い出したことが2つある。大学生のとき、何の用があったかはさっぱり覚えてないが、私は宮城のお堀に沿って歩いていた。名前は忘れたが、なんとかもんに差し掛かった時だ。宮城から大きな車が出てきたので、私はその車を先に行かせようと立ち止まった。するとその車の窓が開いて、中にいた女性が、私に向かって丁寧に頭を下げた。手を伸ばせば、その顔に触れるほどの近さだった。その女性は後の美智子皇后だった。
もう一つの思い出はある夏、鎌倉の美術館に行った時のことだ。客は我々2人だけでゆっくりと見ていると、後ろから人の来る気配がしたので振り返ると、「どうぞそのまま」との声がして、一人の背の高い男が1組の夫婦を案内している。見ると、その二人は正田夫妻だった。奥さんは夫の一歩後ろに控え目に立っていて本当に上品だった。私たちも邪魔しないように少し離れて歩いた。案内は館長だったのだ。
結婚する時の様子はテレビで見た。大学生の私はその時、東大農学部の前の西方町の袴田と言う家に下宿していた。昔 に大臣になった の住んでいたという随分と立派な家だった。家主はすぐテレビを買って、そのおかげで皆で見ることができたのだ。その時西条八十は「二人でテニスを」「気まぐれも楽しく」「青春賛歌」の三つの詩を作った。もちろん「皇太子ご夫妻の結婚」に合わせたもので。昭和34年のことだ。
この本は名著だ。八十は長いこと余りに詩を作りすぎたためになんとなく貶められてきた人だがこの本は八十が本物の詩人だったことを語る。私もそう思う。誠読みがいがある本だ。
朝日が2024年4月6日に「政治家が果たすべき責任」なる特集を出した。政治学者と憲法学者が出ているが読んで一番良かったのは作家の中村彰彦。ここに全文出しておく
これで思い出したのが、中島静雄の「浅野内匠頭刃傷の秘密」中島は浅野内匠頭の襲われた吉良上野介について吉良はおおらかな 人物としていて、その証拠に吉良を高く評価していたのが会津の保科だと言い、ここで、中村の文をもう一度読んでみてほしい。保科が褒める吉良、そして、中島は浅野を精神病だったとする。まことに面白い。
アイヌに対するいじめが続いている。十勝浦幌町のアイヌの団体が道知事の許可を受けずに行う権利鮭漁を行う権利の 行政訴訟で札幌地裁はこれを退けた。アイヌが先住民たることを認めておきながらこの
まだ色々書きたいが白内障の手術をしてから、字を書くのに苦労している。ことに漢字を書くのが大変で、長い文章にするのは止める。池澤の本を出しておく。
松山の栗原恵美子さんから「波乱万丈の画家 八木彩霞」の伝記が届いた。 私は初めて知る人だ。目が辛いので、面白い本だーで止める。もう一つ感じたのは松山という地の歴史と、文化の深さ。