第471回 「ギャンブル依存症?」

2027.7.9寄稿

大学時代私は東大農学部前の西方町に住んでいた。大きな武家屋敷で玄関に入って屋敷に着くまで10m以上も歩かなければならなかった。

私は2階の一間を借りたが、その20畳程度の和室は家主によって洋室に作り変えられ、そこには大きな本棚が作られていた。その家主というのは実は、芦田均だった。政治家、京都府出身。外交官を経て代議士。日本民主党総裁.1948年首相在任中、昭電事件に連座して政界引退、(1887〜1959)。昭電事件とは、第二次大戦後、昭和電工株式会社が復興金融公庫から融資を受けるに際し、多額の金を政治家に、政、財界人多数が贈収賄容疑で逮捕、告訴された疑獄事件.1948年芦田内閣の崩壊の原因ともなった。

ここでは話が変わる。芦田が残した屋敷に住んでいる私のところへ、ある日高校時代の同級生「S」が現れた。なんの用かと思ったら、大学卒業も近くなり。各社の就職試験を受けるためとの事。「S」は2週間程も滞在した。試験を終えてくると私は食事を一緒にして、労をねぎらった。ところが東大近くの食堂で食事が終わった「S」は私と一緒に下宿へもどあらず、散歩してくると出掛るのだった。その内私ははたと気付いた。「S」はパチンコへ行っていたのだ。私はあの「チンジャラジャラ」のパチンコをした事がない。ついでに言うと私はマージャンもした事がない。碁、将棋模した事がないというより、やり方が判らないのだ。私の父は賭け事を非常に嫌った人で、結果として、この種の遊びはしなかった。

ところが「S」はあらゆる賭け事をした男だった。信じがたい事に「S」は競馬に関する本を400冊集めて、その書評を自費出版したのだ。言い忘れたが「S」は兄と共に東北大出身の秀才だった。

話を変える。大谷も通訳を務めた男が「ギャンブル依存症」とされた。聞いて色々思うところがある、「S」もひょとしてこの病だったのかもしれない。

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