◯月◯日 スマホ。私は持っていないが、これにタンタルとかタングステンなど数十種類の鉱物が使われている。ところが、その鉱物が採れるコンゴと近隣諸国では、これが武装勢力の資金源なので、これを「紛争鉱物」と呼ぶそうな。この悪関連を絶つべくオランダでフェアフォンが開発された。紛争に関連しない鉱物を使うんのが眼目。路上でスマホの迷惑は聞いていたが、こんな問題があったとは!!使わぬが一番だ。
◯月◯日 遅ればせながら、超一級の馬鹿女を知った。漫画家・蓮見都志子。英国の児童救援の国際支援団体「セーブ・チルドレン」の職員J・ハイムズが、レバノンのシリア難民の少女を写した写真をそっくり真似た、自作?のポスターに付けた文句が聞いて呆れる。曰く「安全にくらしたい、清潔な暮らしを送りたい、美味しいものが食べたい、何の苦労もなく、生きたいように生きていたい、他人の金で。そうだ難民しよう!」がそれ。この非常、この無知!!そんなに安全に暮らしたいなら「戦争法」反対のポスターでも描けないものか。といっても無意味だな。そんな才覚がありゃそもそも馬鹿はしないわな。
◯月◯日 最近目にした変な日本語を順不同に、①「元旦の朝」、旦は朝、夜明けだから、これだと元旦の朝の朝だ。②歴史を「紐解く」紐解くは下紐を解くとも言って男女が共寝することを婉曲に表現する(全訳読解古典事典/三省堂)。書いた人は褌でも外す気か?、本を読むと言いたいなら、昔の書籍は巻いて紐で結んであったから「繙く」(玄海)と言う。「繙読(ばんどく)と言うではないか!。声にすりゃ同じでも大分品格が違う。③「目を細めて微笑する」、目を細めるは、嬉しさや愛らしさに満面笑みを湛える(広辞苑)これに微笑(少し笑う)を足したんでは、筋肉も混乱して顔面神経麻痺するのでは!。④「暗転に沈む」は厄介だ。漢語林(大修間館書店)では暗転は人の知らないうちに(密かに運動して)地位が進むこと、で、これなら沈まず上昇だ。書いた人は沈みたい訳だから、事態が悪い方に転じる(大辞林)の意の方で、だとすると希望(上昇気分)は含まれず沈むは余計。ただ暗転するでいいのでは?。
⑤食堂で順番を待つ人の気持ちを「従容たる面持ちで」と書いたのがあった。従容は「生命の危険な場合などに、普段と同じように落ち着いている様子)(新明解国語事典)で、例文には「従容として死地に赴く」とある。さしづめ特攻隊員の気分だ。たかが食堂での順番待ち、なんぞの何ほどでもない場合に使うには大袈裟すぎるし、「面持ち」も余計。書いた本人は食べたあと切腹でもするつもりか?。これ我妻さんに見せたら、「空腹で死にそうになってたのかもね」と。あり得るか!!
◯月◯日 1月末、仏法曹が抗議の辞任をした。これフランスのトビラ法相の事で、鳥の「仏法僧(ぶっぽうそう)ではないぞ。人権を重んじる政治家として有名なトビラが、テロ対策の名目で国籍剥奪法案を提出するなど、諸所の人権を侵害する態度に変化しつつあるオランド大統領に対する批判、反対の意を込めての辞任だから、甘利なんぞの低次元の話とは違う。
◯月◯日 ところで、「名は体を表す」なる言葉があるが、「甘利」程ドンピシャリなのは珍しいのでは!。安住アナとやらの「ピッタシカンカン」なる番組の意味は知らぬが、「ピッタシ甘甘(カンカン)」で、安住とどこぞの事務所で落ち合うなんていうヤラセはどうだろう。甘利の自慢は先祖が武田信玄を支えた「武田二十四将」の一人「甘利備前の守虎泰」だと言うが、だと言って「とらや」の羊羹のイタダキははいただけぬ。
◯月◯日 「放送大学」は私には実態がよくわからぬ所だが。某所の客員教授・佐藤康宏東大教授が、日本美術史の単位認定のための試験問題として、「戦前、戦中に風刺画を描いて弾圧された画家」らを取り上げて説明した所、受験生670人の中一人が、「これは現政権の批判とも取れる文章」だとして、学長に抗議のメールを送ったら、ナント学長がこの問題の一部を学内サイトから削除した。この学長の態度、何を恐れての配慮か知らんが、気のまわし過ぎではないか。学問の自由も何もあったものではい。放送大学も「アッチ向けホイ」の籾井の支配下にあるということか。
◯月◯日 栄高校の創立100年史の執筆者という人が来て、5期生に学校祭の記録がないけどどうしてか?と訊く。それで思い出したのが、名は知らず名字が斎藤なるクレージー校長。この人温厚な樋口前校長とは全く異質の人で、自分も丸刈りだったが男子全員丸刈りにした。さらに夏は革靴禁止で、男子は下駄で、私は専ら足駄で通った。私は硬式野球の選手だったが、選手が真剣にプレーしているのに騒音は失礼だとして、試合中応援団の歌も、太鼓も声援も野次も、毎回選手交代時のみとした。結果対抗試合は静寂通り越して無言となって、誠に気勢の揚がらぬ事となった。この校長が理由は忘れたが学校祭中止と決めて、私にはファイヤー・ストームの経験がない。まあ「質実剛健」的人物だったのだろうが、先生にも生徒にも傍迷惑な人だった。そう言えば...
◯月◯日 同時期かもう一つあとかに、市の教育長が同じ型,つまり修身科的に頑固な人物で、先生たちが「健康なのも困るよな」と揶揄的愚痴をこぼしていたのをお覚えてる。校長も教育長も「知情意」兼備の人でないと周囲の人間にいい思い出が残らず、こちらの人生が味毛無くなる。栄校五期生は運が悪かったね。