司書独言152

○月○日 私は3食寿司でもいい程の寿司好きで、総合商社マンの時の楽しみの一つは、東京出張帰りの汽車の中での立ち食いの寿司だった。物の本には1961年3月1日にデビューしたサハシ153形なる列車が最初とあるが、鉄道マニアでない私には自分が食べた列車の種類はわからない。私の記憶では横浜でネタが積み込まれて開店となり、注文すると色付きのマッチ棒みたいなのが、目の前の皿に入れられて、これでネタの種類と値段が分かる様になっていた。この寿司列車,新幹線の登場で退場したとか。

○月○日 安倍がオバマを寿司屋でもてなし、オバマ曰く「人生の中で一番美味しい寿司だった」と新聞に出た。店は銀座の「すきやばし次郎」で1965年創業とか。店名を見て「ハテナ?アレカナ?」とDVD屋に出かけると、矢張りあった。「二郎は鮨の夢を見る」なる米国のデビット・ゲルブ監督のドキュメンタリー映画。野次馬根性で借りて来た。店主・小野二郎(88歳)の物語で、おまかせコースは3万円から。感想は?となれば、これがどうしてか何の感銘もない。

○月○ 戦時中の記憶もあって、私は物を食べるのに行列するのが大嫌いだ。けどこの店はナニシロ高いから行列はないので、その点はいいとして、ひっかかったのは次男の「客が親父の店で食べると緊張するっていうんですよ」なる言葉。私は物を食べるのに緊張したくない。二郎の人物感・職業感も、「仕事を好きにならなくちゃ」的な陳腐なるもので...とどのつまりは私はこの「すし屋一代記」には感動しなかった。

○月○日 北海道出身の高間響(たかまひびき)なる劇作家が「ネット右翼〕なる人間達を対照とした劇を発表して注目されている由。いい事だ。本屋に行くと、安倍の尻馬に乗った連中の「嫌中」「呆韓」の本が束になっている。なにしろ「呆韓論〕が7週連続のトップ10入り、「侮日論」「噓だらけの日韓近代史」がベスト10入りで、老舗の三省堂が恥かしげもなく専用コーナーを設ける始末。日中韓三国互いの包容力がためされる時代だと言うのに、困ったもんだと思っていたら、良心的な河出書房新社がこの事態を嘆いてか、「今、この国を考える〜“嫌”でもなく”呆”でもなく」選書フェアを全国の書店で展開し始めた由。室蘭の本屋でも共催するところがあればいいがと切に思う。

○月○日 本と言えば全国大学生協の調査で、当今の大学生の一日の読書時間はゼロが4割と出た。本を読まずに何をしているのかと言うと、スマホだと。本読まず新聞読まず、これでは図書館がいくらいい本を揃えても無駄というもの。小谷野敦に「バカのための読書術」なるいい本があるけど、本読まぬバカにはこの本も届かぬ訳だ。本は売れず、古本屋は減少し...で、何をかいわんや!だ。これだもの、学長の選挙権を教授会から奪う、大学自治崩壊を目指す法案が出されても、当の大学生達には我が事にあらずの筈だわ。

日本が誇る9条にノーベル賞をとネットで呼びかけている神奈川の主婦・高巣直美女史のネットの使い方をひまあればスマホの大学生も学んで欲しいものだ。

○月○日 知り合いの夫婦が、人生も終わりに近いからと家財道具の整理に取り掛かり、聞けば

互いの食器を1セット残してあとは皆捨てたと言う。山頭火じゃあるまいし、私は全く真似する気になれぬ。そう言えば先頃「断捨離(だんしゃり)」の著者の人生模様が某紙に出たが、私は感心しない。ところで、知り合いの若い女性3人程度が美人なのだけど。三人揃って味も素っ気もない。それが呼ばれて家にいって理由が分かったような気がした。3人の家に共通していたのは壁に一枚の絵も、玄関に、トイレに一輪の花もなく、本棚も見えぬスッカラカンと片付いた?のか本来ないのか?の家だった事。あるけどしまっているのとないのでは話しが違うが、今迄ずっとこの生活なら「情感」の育つ筈もないし、ふくろう文庫に何の反応も示さぬ訳だ。片づけたにしろ、無一物にしろ、こうなると病気みたいなもんだ。精神科医の斉藤環によると、散らかった部屋で仕事をする人の方が創造的、なるミネソタ大学の研究結果がある由。ゴミ屋敷も困るが、無一物も困る.桂離宮がスッキリしているのは物がないのではなく、しまってあるからだ。

○月○日 過ぐる4月末,コロンビアの作家ガルシア・マルケスが死んだ。去年の5月にはメキシコのカルロス・フェンテスも死んだから、ラテンアメリカ文学も寂しいことだ。マルケスの故郷はアラカタカ町だが、2006年ここをマルケスの代表作「百年の孤独」の舞台に当る架空の町マコンドに改名しようとの動きがあったが、住民投票で否決された事があった。観光客誘致からの思い付きよりは、読まれる事が作家の名誉だもんな。

○月○日 私は機会に信を置かないので、電子書籍にも一切関心がない。それで何年か前に電子書籍の得失をめぐって、「表現の巾が広がる」とてこれを喜ぶ積極派と、「海賊版などのリスクが多い〕とて賛同出来ぬ慎重派とが論争したときも、全く無関心でいた。それが今年に入って「買った電子書籍の蔵書が消える」との問題が起きた。機械に関心のない私には、その理屈を説明する責任はないが、何でも利用している電子書店が撤退すると、それ迄買った蔵書(これ蔵書と言うか?)が消える由。私の感想は単純で、「それ見た事か、いわないこっちゃ」だ。○月○日 今時の犯罪見ていると皆ケータイ・ネットがらみだ。聞くたびに私が思うことはこれ又単純で、そんなもの持っているからで、電話がなきゃ「俺俺」もかけようがなく、ネットがなけりゃ闇の諸々にも巻き込まれずに済む訳だ。昔フランス文学者の辰野隆は「鉄の固まりが飛ぶのはおかしい」との理屈で汽車で帰宅したら、乗るのを拒否した飛行機が墜落したと言う事件があった。機械は回転寿し位が一番平和だ、と能天気にも私は思うね。

 

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