2014.1月寄稿
○月○日 80歳になっての天皇の所感は誠に立派なものだった。「平和と民主主義を守るべき大切なものとして日本国憲法をつくり」と言い、その憲法を「遵守する事を念頭に置いて、天皇としての活動を律している」と言う
現天皇・皇后が戦後の民主主義の最上の体現者と思える発言だ。
それに対して、「憲法改正と言うのは私のライフワークだ」と安倍首相はNHKで言う。日本を思う心があらば国の象徴たるものの言に耳を傾けるべきではないか。公の場で平和天皇の傍らにこの好戦的で奸佞邪智(かんねいじゃち)の不忠の臣が立っているのを見ると、うそ寒くなる。
○月○日 布川玲子他篇の「砂川事件と田中最高裁長官」(日本評論社)が出た。駐留米軍は憲法9条に反して違憲と断じて史上の名判決を評された、いわゆる「伊達判決」を破棄した田中耕太郎が、実は米国と密約をかわしていたことを実証した本だ。私の兄は英法を学んで,其の本棚には田中の本も並び,又田中を褒めてもおったが,兄がこの本を読んだら何と言うだろう。因みに、幸徳秋水が殺された「大逆事件」の後、彼等を悼んで徳富盧花が,一高で「謀逆論」の名演説をした時の聴衆の中に,芥川竜之介らと供にこの田中もいた。
○月○日 「和食」がユネスコの無形文化財遺産に登録され,2013年の十大ニュースの11位になった。そうした記事が出る都度,私はせっせと切り抜いて平野雅章「和食の履歴書」淡交社とか、志の島忠「料理名由来考」三一書房とかの関連書に挟んで行く。
今や,和食「結構毛だらけ」といった具合だが,内閣府食育推進会議委員会で夕張メロンの服部の「肥満の原因となるパンなどの”粉食”〜も問題だ」なる発言をきいたりするとサザエさんの一コマを思い出す。
公園のベンチでサラリーマンが天を仰いで大口を開けて寝ている。脇には食べ終わったアルミの弁当箱,更にそのの傍らに「御飯を食べ過ぎるとこうなります。パンにしましょう」(だった筈)と書かれた幟(のぼり)を持った食生活改善係の肥った小母さん。
○月○日 中高と野球選手だった私の時には,運動中に水を飲むのは禁止、今では飲め!飲め!。私達の後流行った兔跳びが,今は体に悪いと言う。事程左様に健康各論も時代と人によりけりで,会議では寝ていると言う噂の聖路加の100歳の先生は階段の登り降りは小走りにと言い,名前は忘れたが某は一段に一秒はかける気持ちでゆっくりと言い、某は朝起きがけに1リットルの冷水をと言い,インドのアーユルヴェーダ流の某は,冷水はダメ、白湯にせよと言う。冷水派の文人画家・富岡鉄斎は90まで生きた。じゃに寄って私は全部無視して,好きな物を飲み食べ,イヤなことはしないの流儀だ。
○月○日 新年早々「米議会図書館ピンチ」の記事と,大釜の前に立つ職員の写真が出ている。15年程前,全道の図書館大会で私は「古書の保存」に付いて講演し,翌日は日本ファイルの社長と壇上で、酸性紙の酸を抜くための「燻蒸法」について対談した。この方法は効果は覿面だが、総費用が当時の軍事費を超える、で仲仲進まないと報告されていたが、今や正規職員も20年前の7割に減らせれ云々で、収集でも、整理でもピンチと言う訳。無人機など作って軍事産業を肥えさせずに、戦争止めて文化に金を出した方が米国にも世界にもいい筈なのになあ。日本とて同じ事だが。
○月○日 昔、武村正義が全国最年少の40歳で滋賀県の知事になり、「文化の屋根をかける」なる政策を立てて、中心に図書館行政を取り上げた。その時県下の各市町村長は「本を読むのは坊さんと学校の教師位」だから図書館は要らぬと反対したが、かまわずに武村は策を進め。客はワンサと増えて日本一ノ図書館県が出来た。本を読まぬ市町村長の誤算だった訳.その結果武村の言は「知事時代、色々な仕事をしたが、少ない経費で大きな効果を上げたのは図書館だ」だった。その武村が安倍の行動を強く批判している。
○月○日 以前、芸人の「たかじん」が安倍と温泉に入り,浴衣姿で会食したご満悦顔の写真を週刊誌でみたことがある。その「たかじん」が死んで,安倍がフェイスブックとやらで哀悼したとの記事が出た。それは勝手だが、この「たかじん」橋下、大阪の売春街、飛田の組合の顧問弁護士をして「男に,必ずはけ口が要るのは今も昔も同じ」と発言した男だ。
ところで安倍の目下のお気に入りは作家の百田尚樹で,安倍に靖国神社参拝を進言した人間だ.最近も二人の名を表紙に大きく載せた本を出した。その百田の「永々の0」が目下上映中だが,先日若い母親がこの小説を読んで、「感激し,大声で泣いた.〜次は息子にも是非読ませ、かつ映画も一緒に観たい」との投書がでた。この母親は百田が作家・石田衣良に寄って,エンタメ右傾の作家と指摘された人であり,安倍が機密保護法を通した人間だということを知らんのだろうか。百田の小説も映画も,「お涙頂戴」ではなくて.戦意高揚のものだ。息子を戦争に取られて泣く母親の悲劇が我が身に迫るとの想像力がないのだろうか。