`98.12.17寄稿
今回は、下の「本の話」(1995年4月10日月曜日、室蘭民報朝刊)から読んでいただきたいのです。
本の話☆−167/山下敏明司書
最美の画家本「大鴉」
埼玉県草加市にある独協大学の図書館で、昨年十月末に、わずか十点余りの書物で構成された、「マラルメとフランス象徴派」なる展示会が開かれました。
ステファーヌ・マラルメは、「音楽的旋律に富む魅惑的な詩を作った」(広辞苑)十九世紀の詩人で、「半獣神の午後」「骰子一擲」などが代表作です。また、「音楽的、暗示的な直接つかみにくい内容を表現する」(広辞苑)のが象徴詩で、この種の詩を物する一派が「象徴派」なわけです。首唱者のマラルメの他には、ボードレール、ヴェルレーヌ、ランボーがいますし、日本では蒲原有明や荻原朔太郎が同流です。
先の展示会に出品された本は、いずれも蔵書家として知られた、仏文学の泰斗、故鈴木信太郎東大教授の所蔵になるものでした。東京は外神田、佐久間町の米河岸の米問屋に生まれ育った鈴木は、豊かな財力を背景に数々の稀本を蒐めました。鈴木の息で、同じく仏文学者の道彦によると、鈴木家は、埼玉県の現庄和町に、七、八十町歩の農地を持っていた地主で、宅地も約三千坪もあった由。
その一隅に現存する一族の墓地にある鈴木家最初の墓石の年代は、元禄十六年(一七〇三年)、すなわちかの赤穂浪士が切腹した年だと言うのですから、もって米問屋としての同家の、連綿たる繁栄振りがわかろうと言うものですが、この資力と鈴木の学識とが相俟って生まれた数多の蔵書は、知るだに、まこと、我国において、無類のコレクションとなったのでした。
さて、展示された書物の中の白眉と言うべきは、米国の詩人、E・A・ポオ原作、マラルメ訳、それに印象派の画家、E・マネの画が入った詩集、「大鴉 (E・A・ポオ原作、マラルメ訳、一八七五年刊)」です。
鈴木は、この詩集について、随筆集「文学外道」所収の「本、本、本」で、「献辞のある、最も楽しい私蔵本は、マラルメ訳のポオ”大鴉”である。(マラルメは)ポオをしっかり読もうと思って、英語を修めたという位であるから、この翻訳は永年の苦心の結晶であった。そしてまた、刊行された本そのものが、当時は勿論、其後今日に至るまで、ほとんど比類のない豪奢な書籍だったのである」と書いています。
それは、「十頁ほどの薄い小冊子である。覆いの厚地の背は牡丹色、表裏は薄鼠色で文字なく、横側が紐で結ばれる。〜和蘭陀特漉の紙に、偶数頁には原詩、奇数頁には訳詞が、見開きに美しく印刷されている。中には別紙に四枚の挿絵〜マネエの墨絵である。奥付の頁にはマラルメの自署と並んで、マネエも署名している〜」という豪奢振りです。
鈴木には、この本が真に愛書だったようで、随筆集「記憶の蜃気楼」の中の「贅沢本の話」でも、「二百四十部の極美な大冊で、マネエが支那墨でかいた画が数葉入り〜恰も十九世紀の三大芸術家が協力して初めて出来上がったという感じのする本〜」と書いています。
この種の本は、挿絵本の分野でも、特に「画家本」と呼ばれるもので、十九世紀初頭に石版術が発明されて、画家自身が紙にデッサンすると同様、石にデッサンすることが可能になって、初めて出現した本です。ちなみに最初の画家本はドラクロウの挿絵によるゲーテの「ファウスト」でした。
「大鴉」は、版画四枚、カバーにも小さな石版画一枚、蔵書票の上には別の石版画一枚が入った六十×四十センチの大型美本で、画家本の歴史上、最美の一冊なのです。この天下の美書、如上の文章によって想像していただくとして、代わりに、架蔵の本邦版「大鴉」をお目にかけましょう。
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昭和二十四年、長野の冬至書房の刊で、学歴詩人の日夏耿之介訳、三百部限定本(の八拾六番)で、月明紙を用いた典雅な一冊です。
・・・・・・読み終えたでしょうか。このマラルメの「大鴉」が生まれる迄のいきさつを丹念に調べた面白い本が出ました今迄にも「パリの詩・マネとマラルメ 」(筑摩書房)や「マラルメの火曜会」
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(丸善ライブラリー)を書いている、マラルメの専門家、」柏倉康夫の本です。
前半は、と言うより前2/3程は、マラメルと挿絵を担当した画家マネと、この本を出版することになったレスクリードの3人がやりとりした手紙で成り立っています。その間に、作家、画家の仲間、本の宣伝をたのまれる批評家などの手紙がまじります。
レスクリードは、結局、倒産してしまいます。今日では稀覯本(きこうぼん)の最たるものであるこの傑作が、まるで売れなかったからです。
難解なマラルメの詩を読むのとは違って明快で面白い。
さて、1998年もあとわずかで終わります。自分にとって、この1年は、どんな年であったかな? と、人並みに1年を振り返ろうとした矢先、今年1年の世相を漢字一字で表現すれば何となるか・・・・ との設問の結果、「毒」の字が選ばれ、京都の清水寺の森清範なる一番偉い坊さんが和紙に大書した・・・ とのニュースが新聞に出ました。このアンケートは、「日本漢字能力検定協会」が、感じの奥深さを知って欲しい・・・ とて、行ったものだそうな。
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それにしても、「毒」とは!! まあ、禍々しい事件ばかりが続いた1年だったからよくぞ言いあてたものよ、と感心していた方が真っ当なのかも知れません。そこでせめて年始年末ばかりは、心おだやかにと念じて、それにふさわしい2冊を選んではみたのですが、「夕暮れ巴水 」の方は、すすめたい、いや、すすめたくない、だけど仕方ない。矢張りすすめよう・・・ となった本なのです。
川瀬巴水(かわせ はすい)は「昭和の広重」と異名をとった版画家で、鏑木清方(かぶらぎ きよかた)の門下生です。同門の伊藤深水(朝丘雪路の父)は「美人画の深水」と呼ばれ、巴水は「風景画の巴水」と呼ばれた逸材です。
私はこの巴水が大好きですから、この本をすすめたい。だけど、すすめたくない。どうしてか? 巴水の画はこよなく美しい。見れば誰にも良さがわかる。だから、説明はいらない。繰り返しますが、見れば誰でも直ぐに分かる。それなのに、林望が子供の感傷よりも悪い、只々甘いだけのつまらなぬ詩と、解説にもならぬ文章をつけている。これは全く、あらずもがなです。厚顔無恥なことを林望はやったものです。だけど、画だけは見て欲しい。 ・・・のですすめます。あー、いい画だ。
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さて、小沼丹は 人生の醜い所は全てこれを捨て、静かで美しいものだけを取りあげてくる達人です。読めば、心豊かに心静かになること間違いなし!!
今年1年間の御愛読、多謝。皆様もお元気で。
’98.12.17.(木)