山下敏明さんのあんな本、こんな本

第018回 与謝蕪村の世界

`92.9.1寄稿

我が家に新聞を届けてくれるのは、花が大好き、と言う高校一年生の加奈子君です。彼女は色白で、パッチリした目と、白く輝く歯の持ち主で、いわゆる「明眸皓歯」(めいぼう=すんだひとみ、こうし=白い歯)型の美少女です。

私は時々、来合わせた彼女と庭で「花談義」をしますが、楽しかったのは、「夕顔」が咲いたのを彼女に知らせた時でした。と言うのも、昔から美女の風情(ふぜい=ようす)にたとえられる、純白の「夕顔」の花と、楚々(そそ=きよらかな)たる加奈子君の対面は、中々趣きに満ちて、絵になったからです。

「夕顔」と呼ばれるものには、干瓢(かんぴょう)になる実のつく(ウリ科)ものと、「私は悪い夢を見るばかりです」と言う変てこな花言葉をもった別名「夜顔」(よるがお=ヒルガオ科)とがあります。我が家の「夕顔」(干瓢)は、春先に、二本の朝鮮五葉松の根元に植えたもので、今、夕刻から朝方まで、次々に花を開いて、そのあとにはつぎつぎと緑色の実がさがりはじめています。「夕顔」を瓢箪(ひょうたん)ウリ科と思っている人もいて、芭蕉もその1人だったらしく、“夕顔や秋はいろいろの瓢(ふくべ=ひょうたん)かな”   なる一句を残していますが、カンピョウとヒョウタンは生物学的には同じウリ科ですが、便宜上(べんぎじょう)は、銅にくびれのある果実をヒョウタン、ずん胴のものを夕顔(カンピョウ)と言うのですから、俳聖松尾芭蕉の句と言えども、これは、一応間違いと言えるかも知れません。或いは芭蕉は、「夕顔」とヒョウタンを同一視していたのかも知れません。「夕顔」は蛾などによって受粉しますから、蛾の嫌いな私も、「夕顔」に飛び来る蛾にだけは、これが「夕顔別当」とよばれる「えびがらすずめ」と言う蛾かな...などと思いつつ

“ 夕顔を蛾の飛びめぐる薄暮(はくぼ)かな “ 杉田久女   の気持ちでがまんしています。

「夕顔」を詠んだ句は多々ありますが、私の一番好きなのは、与謝蕪村(よさぶそん)の

“ 夕顔の花噛む猫や余所(よそ)ごころ ” です。ぼんやりと、心ここになく(=余所ごころ)夢想するかのように

「夕顔」の花を噛む猫...なんと伸びやかな景色でしょう。

さて、この作者「蕪村」を「わずか十七文字の詩型に、この上なく鮮やかな、繊細な、壮大な、或いは多彩なそして,深遠なしかも同時に,又軽妙な無数の夢を描き続けた詩人」ととらえた上で,同じ夢を願いながら,望み,かなわなかった夏目漱石と関連させて論じた、いい本がでました。

森本哲郎「月は東にー蕪村の夢.漱石の幻ー1」新潮社です。

日々の生活を、美の世界で彩(いろど)る心の在り方と言ったものが,蕪村の生涯を作品に暗示されているようです。ついでおすすめしたいのは、情感あふれる名文で綴られた 芳賀徹の「与謝蕪村の小さな世界2 」中公文庫です(中央公論社)


  1. 森本哲郎.月は東に.新潮社(1992) []
  2. 芳賀徹.与謝蕪村の小さな世界.中央公論社(1988) []

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