第267回 乾山と佐野乾山贋作騒動

`07.11月21日寄稿

7月から奇数月を選んで5回連続する予定の「ふくろう文庫ワンコイン美術講座」もおかげさまで順調だ。

第一回目は、「七夕と北斎の謎」と題して、従来は単なる静物画と見られていた北斎の「西瓜図」の謎を俊英の美術史家、今橋理子の説を持って説明し、第2回目「お化けと幽霊」では、丸山応挙の幽霊画の美術史上における意味を説きつつ世上流布する、お化けと幽霊についての常識を打ち砕いた(とはちと大げさだが)。第3回目は自刃した幕末の画家渡辺崋山と、今迄は自殺とされていたが、その実、岡っ引き達によってたかって殴殺された町医者、高野長英について語った。題して「切腹の画家渡辺崋山。脱獄の蘭学者、高野長英」。この講座いつも土曜日と決めていたが、第三回目は11月16日の金曜日にしたと言うのは翌日17日には私が用事があって上京せねばならなかったからだ。その用事というのは婚礼に出る事で、その婚礼の当時者は誰あろう、野沢渉(わたる)だ。

これって誰?と思う人は左記の「ふくろう文庫」からの文章をとっくり読んでいただきたい。...お読み下されたであろうか。この渉るが、栄養士だと言う智恵子と恋をして、結婚したいと相成った訳。かくなる次第で、親の仲人だった私達夫妻が参加となって、上記のごとく「ワンコイン」の翌朝私達は11.30の飛行機で上京した。式やら何やらは逗子にある、海浜ホテルめいた、今風に小粋な会場で行われた。中々よかった。仲人なしの2人なので、挨拶は私1人で...私は、「ふくろう文庫」からに書いた佳子死後の際のエピソードを披露して、参加の諸氏に親なき渉のよき相談相手になって欲しいと呼びかけた。鬼神をもたじろがせるに足る野沢の看病ぶりに皆涙を流していたが、それはともあれ...翌日は私達は独り身の野沢と連れ立って、美術館巡りをした。その中一つは出光美術館での「乾山(けんざん)展」である。

乾山と言えば、言わずと知れた光琳の実弟で、陶芸家だ。私達はたっぷりと時間をかけてオランダのデルフト焼きの影響を受けて成ったと言う作品を含めた諸々を見て回って、当然の如くに満足した。

分厚い図録で手がしびれそうになるのを我慢しながら私は夜の街へ出たがそのあと一酌しながら私の頭の中にあったのは、有名な「佐野乾山騒動」だった。

佐野乾山と言うと、知らぬ人は尾形乾山とは別の人化と思うやも知れぬが、これは、そう言う意味のことではなくて、晩年を江戸で過ごした乾山が、栃木県の佐野に招かれて行って、1年2ヶ月程そこにいた。その間、そこで作ったと言われる「楽焼き」のこと、地名+名で「佐野乾山」と呼ぶのである...がそれはいいが,乾山生誕300年と言う昭和37年(1962)に,従来の研究では佐野で作陶はしたが、残っているのはたった6点のみと言われていたのが、おどろくなかれ、ゴロゴロ、ゾロゾロとでてきたのである。最初に出現した楽焼き70点余りを見て「全部本物」と鑑定、断定したのは。気の毒にも、かの有名なバーナードリーチであった。

気の毒にもと言うのはあれこれあった後に騒ぎが収まった段階で出た結論は、これらはすべて「贋作」だと言うことだった。この事件については今迄何度も論じられているから、今は最近刊の大島一洋の「芸術とスキャンダルの間1 」の第5章をすすめておく。

因みに真作だとする側に立った大物の名前をあげておくと、まずはリーチ、それに文化勲章の批評の神様で私の大嫌いな小林秀雄、それに民芸の水尾比呂志画家の岡本太郎なぞ

ニセモノ断定派は、ガラス工芸家の岩田藤七、「永仁の壺」のこれ又贋作事件の当事者たる陶芸家の加藤唐九郎、それに作家のこれ又私の嫌いな川端康成などなど。

川端論はこうだ。“絵が悪い、書が悪い、騒々しくて。品格が卑しい器の形も悪い、ここで悪いと言うのは、乾山のものとはちがう、乾山のニセモノであるという意味よりも強い〜つまり、だれの作であろうと芸術品として「悪い」のである”芸術は爆発だ!!(だったか)の岡本太郎はこれに反してこうだ。“たとえニセモノだってこれだけ豊かなファンテジーのもりあがりがあれば、本物より更に本物だ、”

私はホンモノであれ、ニセモノであれ、自分が好きなものに囲まれていれば、それは傍目にはガラクタと見えようとも大きなお世話イイジャナイ派だが、まあ侃々諤々(かんかんがくがく)をやりたい人も、ここにあげたもの一冊でも目を通しておけばそれなりに面白い話が出来るかも知れぬ。「日本の美術32

ともあれ悟や渉の幸せに立ち会えておまけに乾山を見ることが出来たのはありがたいことだった。あっ、1月のワンコイン講座は「淋派」について語るつもり。つまり、乾山やら、兄の光琳やら、江戸の酒井抱一について、

乞う、御期待!!




  1. 大島一洋.芸術とスキャンダルの間。講談社現代新書(2006) []
  2. 文化庁.日本の美術3.至文堂.(1979) []

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