第252回 「あだ名」から豚考へ

`06.8月8日

「東大教授じゃ飯が食えぬ」とその職をなげうって評論家になった英文学者、中野好夫が、いつぞや「文芸春秋」あたりに書いた随筆で「あだな」に触れたものがああったーと記憶しているのだがー中野が思い出すに付けても秀逸な「あだな」が二つあったとし、一つは「カシナズ.ハイブル.サンタノハナ」二つ目は「スダレ.マンゲツ」だった。

最初のはあばた面のしかも、酒の呑み過ぎでか..赤鼻の先生につけられたもので、どう言う意味かというと、「カシナズ=蚊死なず=これはあばたの穴が大きいのでそこに蚊が止まって刺している時に、たたいても、蚊が穴の中に逃げ込むので、即ち、つぶれないので=蚊死なず。「ハイブル」は正確には「ハエブル」で、これも穴の中に逃げ込んだ蠅が、中で羽をブルブルやるだけなので、蠅ぶる」「サンタの鼻」はこれは写実と言うもので、ズバリ赤鼻を指す訳だ。次いでに、今の若い者には、ひょっとして「アバタ」は分からぬかも知れんから、説明しておくと...あばた(痘痕)=疱瘡がなおった後に残る跡で、昔はこの猛烈な病に運良く勝って生命ながらえても、女であれ、男であれ、ブツブツと顔に大きな穴と言って悪ければ、顔中が凹凸になったもので、これを「あばた面(づら)」と言いこんな顔を好きになる恋愛心理をさして、「あばたもえくぼ」と言う。不快な病痕も、好きになればエクボと見えると言うもので、それはそうだ。今どきアバタ面は余りいないが、「出張お宅鑑定団」とかで司会している名は知らんが、蝶ネクタイの男あれ、ほうそうの痕には関係なかろうが、まああの様なのがアバタ面と思えばいいかもね。失礼!

二つ目の「スダレ」は「簀垂れ(すだれ)」で、つまり、日光をさえぎったりする時などに使う細く割った竹で編んだもの、今は竹以外にも色々と材料はあるけど、ここでは竹でだきゃならぬ。意味するところは頭が、早い話がつるっ禿に近くてこれが即ち満月、そこにかろうじて残っている頭髪を幾筋かかき集めて、(と言っても集らぬが)七三なんぞに分けている...その有様が「すだれ越しに満月』が見えるようだ...とのこと。さしずめ今何やっているか知らぬが、その坂口厚生大臣の頭なんてのがこれに該当するんじゃないかしらん。

と言う訳で、昔は(今でもそうか?)残酷でしょもないあだ名が一杯あった。小中高大と、どこでもいい思い出してもごらん。誰がつけたか、色々あったぞ。あたったけれど、私は他人にあだ名を付けたことは一度もない。心中つぶやいたのはあるかも知れんが、それが外に出しておまけに流布して、誰それの名前になったなんてことは全くないから、今でも心安らかにいられるが、あのひどいあだ名のあれこれ、一体誰が名付け親なのだろう。と今だに不思議なのがあるね。

その一つに高校の同級生ので「ホワイトピッグ」=「白豚」があった。色白の鼻がつんと上を向いた男で、どう言う訳か黒目が青かった(様に見えた)誘われて、私は、この男と高一の時にさる協会に行ったがそこには卓球台があって、私は卓球やりたさに暫しの間そこに通ったが、彼は本気にキリスト教徒で...とある時私達2人はそこの牧師と言うのか、神父と言うのかにさる大学に行く気はないか...行くならば、推薦状を書くが、と言われて...

私は断ったが、彼は行った。大学に行って彼が何をしているか私は感心もなく、それで知りもしなかったが、2年程前、室蘭民報を見て、ハテナと首をかしげた。ホワイトピッグ(らしい)が、神父になって、某国に行ってたのだが、今回その地に小学校を建てる資金を集めかたがた、健康状態が悪いので病院で見てもらったと言うような記事なのだ。ヒョッとしてヒョッと....と思っていて、それから暫くして、又記事が出て、それは今度は彼の死亡記事だった。と少しして、同級生だった人が来て、「ホワイトピッグが死んだなあ」と言う。やっぱり彼だったのだ。私は実に感無量だった。彼は初志貫徹で、クリスチャンの道を歩んだ訳だ。

ところで何で、こんな話をしているかと言うと、誠に我ながら変な連想(豚→あだ名→ホワイトピッグ)なのだがー

これ又室蘭民報にで出た記事が基で...それは人気のミニブタ、安易な購入にブーイング」。との見出しのもと、...「簡単に飼えて大きくならない」云々との宣伝文句で飼ってみたら、これが意外に難物で、“栄養管理を怠れば、直ぐに100kg台の体重になって、2階から下ろせなくなったとか、ペットの筈のオス豚に牙が生えて来た(そりゃそうだろうな)とか....で、つまりは扱いに困っていると言うもの。それも各地で多くの人がだ。

「雲南の豚1

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沖縄の作家、大城立裕は、沖縄では、便所に豚を置き人糞を豚が食べ、その豚を人が食べと、云わゆる循環型の文化があるのに、内地人初め、これを拒否する人が多いことに不快感を示していたが、私も済州島の民家の便所、それは四角でその一角の内側に座台(しゃがむ場所)があって、穴の方に尻を向けてシャガンデ至スのだが、下にいる豚が後足で立って我が尻をなめそうになったのにはおどろいたが、この文化には私は、別に拒否感はない。又単純なる穴に板をわたしてあるのにまたがって、下にいる豚を見ながら糞を落とすということを福建省で体験したことがあるが、ここで落ちたら、豚に食われるかもなと思って、スンナリとはいかなかったこともあったな。

まあ、そんなことはともかく、私が、ミニ豚の記事を読んで思ったことは、ペットとして、豚を飼うのは勝手だが、その人達は、豚の生態にしろ、豚の文化史にしろ、ちゃんと知って、或いは学習しつつ飼っているのかと言うことだった。思ってもゴランなさい。これは勝手な想像だけど、飼い主がダイエットしつつミニ豚を飼って、その栄養管理に失敗して、豚の方が先ず太る、或いはヤセル。なにしろこのミニブタ、抗生物質が入った餌(たとえばニワトリの餌など)をやると、下痢が止まらぬのだと言うから、厄介、かくして飼う側もストレスになり,ヤセずに逆に太る。豚も同様...ここで私は又思い出した。昔大学生のボデイビル大会があって、それに優勝したこれは慶大生だったが,毎日の献立表を見て,審査員の医者石垣純二が嘆いて曰く「これだけの栄養を頭にまわせばいいものを」と。その伝で,私は,ミニ豚相手に苦戦しているペット愛好家に告げたい。ここにあげるような本を読んでごらんなさい。さすれば,豚の本を入り口にして世界が広がって来て,ストレスも太るのも直る....いや、精神も肉体も今よりシャキットしてくるのではないか知らん。豚と言えども,我々に思考をもたらすおおくのものをもっているのです。「ブタ礼讚2 」この会社は確か倒産古本屋か図書館で

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「トン考3

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  1. 伊藤真理.雲南の豚.メディアファクトリー (1998) []
  2. 福井康雄訳.ブタ礼讚.博品社(1995) []
  3. とんじ+けんじ.トン考 .アートダイジェスト(2001) []

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