第251回 アメリカの狂気の時代ーマッカーシズムー

`06.6月16日寄稿

2000年アメリカ作の映画「オー・ブラザー」は脱獄囚3人の宝探しの物語で、と思いきや、主人公が、自分に愛想をつかした妻と娘に復縁を迫るための脱獄だったと言う、とぼけたと言うか、他愛もないと言うか....私にはちっとも面白くなかったが、主演のジョージ・クルーニーは、これでゴールデン。グローブ賞のミュージカル/コメディアン部門で受賞したから、妙な話だ。2001年には、このクルーニー、ブラッド・ピッドや、マット・デイモンや、ジュリア・ロバーツと組んで「オーシャンズⅡ」に出て、これが当った。これは1960年、フランクシナトラやら、ディーン・マーティン、それにサミー・ディヴィスJr...と、つまりはシナトラ一家総出の「オーシャンと11人の仲間」のリメイクで、ラスベガスを代表する、3つのカジノの地下金庫を襲って云々....の話で、これ又私には、大して面白くなかったが、世に受けたから妙な話だ。

この作品のあとに来た(と思うが)のが「パーヘクト・ストーム」で、カジキマグロ魚の6人乗りの漁船が、大西洋上で、馬鹿みたいにお大型のハリケーンに襲われ...と、これ実話らしいが、特殊撮影だと、見るからに分かる大波又大波で、主演のクルーニーは、只々ずぶ濡れと言う。見ていて気の毒と、言うだけの映画で、全くもって、面白くなかった。大波も、作り過ぎると、迫力がない。...と言う訳で、つまる所、私はクルーニーをつまらぬ俳優、御苦労な俳優と思い続けて来た。

それが、この2ヶ月程で、この認識を私はガラリと変えた。「シリアナ』とグッドナイと&グッドラック」を続けざまに観たからである。妙な題名の「シリアナ」は、中東の石油利権をめぐって、CIA他が活躍(?)する、つまる所、汚い、汚いアメリカの陰謀を暴いた実録風の、まあ一種の政治映画で、クルーニーはCIA工作員に扮して、自然体の演技を示して、確か、アカデミー賞の助演賞を受けた(筈)、ブッシュは反テロを盛んに口にするが、この映画を観ていると、政治、経済外交と当のアメリカが、当のテロを伴って、いかに諸悪の根源となっているかがよくわかる。凡々だと思っていたクルーニーがなあ。やるねー...と言うのが私の認識改めの第一歩。

続いてクルーニーは、私の前にと言うと偉そうだが「グッドナイト&グッドラック」の監督と共同脚本家、そして助演者として現れた。この映画「赤狩り」に対峙した実在のニュースキャスター「エド.マロー」を描いたものだ。

登場人物①ジョセフレイモンド、マッカーシー(1909-`57)/アメリカ共和党の連邦上院議員。この男が煽動した反共産主義現代版魔女狩りは“マッカーシズム”と呼ばれる。

これはこの男が、政府の調査委員会の長となって、全く根拠がないにも関わらず、国務省には250名の共産主義者がいる...として...くどく、悪らつな尋問で、多くの無実の官僚及び市民を槍玉にあげたのだ。1950年〜1954にかけての事件だ。

当時、スターリンひきいるソ連は、原爆開発に成功していたし、中国では毛沢東ひきいる共産党が、政権を樹立したし、...で、アメリカ人は国際政治に不満を抱き、同時に自信を失っていた時で、この国民心理がアメリカに敵対すると思われること事柄を攻撃すると言う排外主義的傾向に移動し、これに碌でなしの煽動家マッカーシーが便乗した訳だ。

マッカーシーは図に乗って、国務省はおろか、CIAやら陸軍に迄赤狩りの手を拡げ一時はその権勢たるや“大統領をしのぐ”とさえ言われたが、結局は失脚した。因みに当時の大統領はアイクこと、アイゼンハワーである。

さて、マッカーシーは、テレビ中継を盛んに利用したが、このテレビで、果敢にマッカーシーに噛みついたのがマローだ。

登場人物② エドワード・エグバード ロスコー・マロー(1908-`65)/アメリカのジャーナリストにして、アナウンサー。1935年、CBSに入社、戦時中にはイギリスに渡ってナチスと戦う英国民の意気をアメリカ国民に伝え、戦後アメリカに戻ると、「人から人へ」とか「今見る」とかの番組で、時事問題を扱い、迫力ある論調で、ニュースキャスターとして、有名になる。真実を追究するマローの勇気ある現論によってマッカーシーの主張が虚偽であること、かつ、その政治上の手法が、専ら、中傷による』攻撃にあることが衆目の気付くところとなった。正体を暴かれたマッカーシーは「54年暮れ、上院によって、譴責決議を下され、,,,マッカーシズムは息をひそめた。アメリカのl狂気は、危うい所で止まった。「ハリウッドとマッカーシズム1 」[tmkm-amazon]4480855610[/tmkm-amazon]

余談だがここにマッカーシーのインチキ振りをさらすエピソードがある。人物月旦で名のある、米文学者の、佐伯彰一が書いているものだ。佐伯は1950年代の或る時、中西部のウイスコン州のマジソンのYMCAに居た。この洲はマッカーシーの出身地だ。佐伯は書く。

“〜当のマッカーシーの出身というせいもあって、大学に招かれて講演にやって来たこの人物の風貌を垣間見るというめぐり合わせも生じたものだ。「国務省にアカがいると、貴方はしきりと言い立てるが、その名前を一人でもこの場で上げて欲しい」と言う学生の質問に壇上の彼が大きくうなずいて見せ、やおら、傍らのブリーフ,ケースの中をまさぐり始めたが「どうも見つからんな。入れて来るのを忘れたらしい。」と呟くように答えると、学生達が一斉に足を踏み鳴らし、口笛をふき立てて、「そうれ見ろ」とばかりに弥次り立てて光景も、つい昨日のことのように蘇ってくる。”   「世界の映画作家2

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「赤狩り時代の米国大学3

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ところで、苫小牧に行って、映画「白バラの祈り」と「グッドナイト&グッドラック」を続けて観て来た。両方共、観ているのは我々夫婦だけだった。「白バラ〜」の方は又の機会に論ずることにして、後者は傑作だ。これに、先に書いた様に、クルーニーが登場する。マローを支える役で誠に、たよりがいのある姿だ。マローをやるのは、デヴィット・ストラザーン、毅然たる態度、雄弁、見ていて、ほれぼれした。

マローは言う。「〜我々はテレビの現状を見極めるべきです。テレビは人を欺き、笑わせ、現実を隠している。それに気付かなければ、スポンサーも視聴者も後悔することになる。〜歴史は人間が作るものと言いましたが、今のままでは歴史から手痛い報復を受ける。思想や情報は、もっと重視されるべきです。〜」この警告今の我が国のテレビにも当てはまらないか?。確か井上ひさしだったかが、外国から帰ってくると(だったか)日本のテレビが相も変わらず、グルメの話と、温泉に入る話と安直なクイズ番組ばかりやっているのに呆れる。と言うようなことを言っていたが、全く同感。

各賞総なめのこの秀作を観たあと、ここに上げるような本にも手を伸ばせば、益々、マッカーサーシズムが現代に持つ教訓が分かると思うが、それにしてももっと多くの人にこの映画を観て欲しい。「ダヴィンチ」ばかりが映画ではないぞー向こう総指定席、こっちは観客2人の状況がひっくり返れば、事情はもちっと変わるだろうに。あれっ、司書の結実ちゃんが「ダビンチ」観て来たと言ってたな悪いゴメン!!

  1. 陸井三郎.ハリウッドとマッカーシズム.筑摩書房 (1990) []
  2. キネマ旬報.世界の映画作家17.キネマ旬報社 (1972) []
  3. 黒川修司.赤狩り時代の米国大学.中公新書(1994) []

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