第312回「山本作兵衛」を世に送り出した上野と菊畑

上野英信の「おわれゆく坑夫たち1 」(岩波新書)は1960年頃の夏に出た。オビの文章は「廃坑と眠るぼた山−坑夫たちは失業し、一家は路頭に迷う。石炭産業史上最大といわれる危機の圧力が労働者の頭上に重くのしかかる〜著者は〜京大を中退し、採炭夫や掘進夫として筑豊の小ヤマを転々とした無名の作家。本書は大手資本の安全弁として、過酷な奴隷労働と飢餓生活に苦しめられている中小炭坑の状態を内面から追求する」

私は直ぐに購入し、一読したが、このオビの文章がナントモハヤ抽象的で、おざなりの決まり文句で、この本の中身のおぞましさを何も語っていない...な、と思ったものだ。

なにしろ、英信の妻・晴子の回想記「キジバトの記2 」(海鳥社/1998)によればー「彼のペンが描き出す中小炭坑の悲惨さに私は打ちの目されて、”これはほんとうのことなの?”と思わず聞いてしまう。

彼は憮然として”女房がそんんこと言ってどうなるんだー”と憐れむように私をみた」と書いている位で、これが岩波新書として出るとなった時、書かれていることが本当かどうかを確かめるために、視察に来たと言う程のものだったのだ。

今どきの若者が、この本を読んで「つくりあげた」とか「嘘」の話しだとかの感想を述べる事に、晴子は「面食らって二の句がつげない」とも語っているが、ともあれ、この、全編これ恐怖の物語と(私は思うが)も言える本は、杉浦明平の推挙によって世に出たのだった。

私は今、ここで、この本から石炭を掘って行く中での自然の恐怖といったものについて一々引用しないが、それがどんな物かを知りたい人は、今この本、たしか「岩波新書」から岩波同時代ライブラリー」に移された筈だから、それで、読んでみてほしい。そのかわりに、その自然の恐怖を味わったルポタージュ作家の金賛丁が、上野の案内で、上野宅の近くの炭坑に入った時の文章を出す。

因みに金は、「パルチザン挽歌3 」(お茶の水書房/1992刊)で、

北朝鮮の解放の父(と言われる)金日成の神話を打ちこわし、「シルクロードの朝鮮人4 」(情報センター出版局/1990)

でスターリンによる朝鮮人への迫害を描いた硬派の人で、1992年末に室蘭に来た時、私はあった事がある。その金は、筑豊で「狸堀』と呼ばれる小さな炭坑にもぐって行く。直径が1.5mぐらいの穴が地底に向かって開いている。カンテラの灯りだけが頼りだ。

「〜地底に おりた。抗木の軋みを聞く。見上げると太いマツの支柱が地圧に抗しかね、無惨にも折れ曲がっている。〜ようやく狭い切り羽にたどり着く。地熱でむんむんする。汗と炭で真っ黒になった2人の炭坑労働者が身を横たえるようにして20cm程の炭層からツルハシで炭を削りとっている。突然カンテラの光がぱーと輝き、そして消えた。漆黒の暗闇。恐怖で全身から冷や汗がしたたり落ちた。〜」

さて、この炭坑の生活の全てを画に残した人がいる。「山本作兵衛」だ。その作兵衛について、上野はこう書いている。

「わたしの敬愛して止まない老人〜、その人は、かつて日本一の産炭地として栄えた福岡県の筑法豊炭田に生まれ育った、生粋の炭坑労働者である。めっぽう酒が好きで、しかも強い。

酒だけならまだしも〜、それにもまして驚くべきは、天才的な記憶力である。〜彼が絵を描き始めたのは63の年からであるが、以来今日まで、描き上げられた絵は2,000点を越えよう。その一点一点が、日本資本主義の犠牲となった無垢の民の血と涙の記録である。」

この作兵衛が、心臓を悪くして入院となった時、家を離れたくないと泣いた由。「手のひら程の土地ばってん、一生働いて手に入れた土地たい。どこえも行かん。ここで死にたか」。夫婦になって66年、初めて奥さんに見せた涙だったそうな。

そして、1985年11月24日、飯塚市の嘉穂劇場で「山本作兵衛翁記念祭」が行われると、上野は,羽織袴に威儀を正して、「招魂の辞」を読んだ。作兵衛の画業は,今日目出たくユネスコの「世界記録遺産」なるものに登録された。これを機に、作兵衛の画を見せている田川市の記念館に,客が訪れ始めている由。「野田」とやらが、「どじょう」と言ったばかりに,エセ道学者とも言うべき「相田みつを」とやらの詩集だかが売れに売れ、その美術館に「どじょう」を観に行く人がふえている由。

これは、私だけの偏見で言えば,相田みつをに殺到なんてのは,単なるお調子者達の行為としか思えぬ。何たる付和雷同。「野田』でいいのは額縁屋、「どじょう」でいいのは「塩釜」だ、と私は思っている.(※野田=札幌の額縁屋.塩釜=室蘭のうなぎ屋)

まあ、冗談はさておき,作兵衛の画業はこれから益々広まるだろうから心配なしーとして、一方、作兵衛紹介に心をくだいて来た上野の本は、「暗くて」嫌だとて、今余り読まれていないようだが,見られるべき作兵衛の画と同様,読まれるべき本だ.ホラーだの,想像、いや妄想だけで成り立っているエセ歴史小説は少し放っといて,真に恐るべき現実を描いたものに目を向けては!!と思う。

上野同様、作兵衛を世に送り出すべく力をつくしたのは画家、菊畑茂久馬だ.彼は1975年の時点で言う。”昭和38年初めて彼の絵が(作兵衛)が世に紹介されて以来〜、しかし,十数年経った今日においても依然として,彼の絵画は正当な芸術的価値をただの一度もうけたことがない,そればかりか,日本の美術界は一顧だにしない.〜世の評価はここでも稚拙な図解、絵解きの類の風俗画の位置から動かそうとしないのである。”

そして今、作兵衛の画は「藤原道長日記」を退けて,世界記憶遺産となった.となると,上野の本同様,菊畑の本も,もう少し読まれてもいい。因みに上に引いた菊畑の文章は「川筋画狂人」からのもので、「フジタよ眠れ5 」に入っている。

と言う訳で今回は作兵衛顕影に力のあった二人、上野と菊畑の本を紹介する.上野については,珍しい追悼集2種出しておく。

「天皇 の美術6 」「追悼・上野英信7 」   「上野英信8

  1. 上野英信.おわれゆく坑夫たち.岩波新書(1960) []
  2. 上野晴子.キジバトの記.海鳥社(1998) []
  3. 金賛丁.パルチザン挽歌.お茶の水書房(1992) []
  4. 金賛丁.シルクロードの朝鮮人.情報センター出版局(1990) []
  5. 菊畑茂久馬.フジタよ眠れ.葦書房(1978) []
  6. 菊畑茂久馬.天皇 の美術。フィルムアート社(1978) []
  7. 石牟田道子.追悼・上野英信.径書房(1988) []
  8. 井手俊作・田代俊一郎.上野英信.櫂歌書房(1988) []

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