山下敏明さんのあんな本、こんな本

第353回 シベリウスとフィンランドの叙情詩「カレワラ」日本の「ふるさとの生態学」

2015.5.6寄稿

今年はシベリウス生誕150年だそうな。皆と同じく私が最初にシベリウスを聞いたのは「音楽の泉」で紹介された「フィンランデア」で、祖国フィンランドをたたえたこの曲には直ぐに魅せられました。今日本シベリウス協会の最高顧問という舘野泉の演奏会では、アンコールがすごくて、確か5.6曲加えたが、最後にはくたびれたという感じで舘野が椅子に背をもたせ両脇に手をだらりと下げたのでアンコールが止んだが、今思うと、あのアンコール、何度やってくれるのかといった興味で聴衆が手を叩き続けた感がなくもない。

片腕がダメになってから、いつぞや。ピアニストの尾崎さんの招きで来蘭したが、私はその時用事があっていけなんだ。私が今一番好きなシベリウスは作品47番のヴァイオリン協奏曲二短調で、冒頭、闇をつんざいて伸びてくる一条の光のような鋭い音を聞くたび、何と素晴らしい音だろうと感嘆する。私の持っているCDはヴァイオリンがディラーナ・ジェンソン、ユージンオマーン指揮フィラデルフィア管弦楽団の古いものだ。さて

シベリウスを論じるためにはフィンランドの国民的叙情詩「カレワラ」を研究しなければならぬ、と言うのは今や常識だ。と言うのは、有名な交響詩「トゥオネラの白鳥」にしても、「タピオラ」にしても「カレワラ」に依って出来た曲だからだ。して「カレワラ」とはフィンランドの田舎やロシアカレリア地方に伝わる口碑や歌を集めたもので、蒐集したのは、医者のエリアスニョリンロット(1802〜1884)、出版は1835年最終的には全50章,22,793句の大冊。「カレワラ」とは「カレワの国」なる意で、「カレワ」は「カレワラ」に登場する主人公らの祖先の名。でシベリウス研究から当然の如くに「カレワラ1 」研究に入ったのは早稲田ロシア文学出身の森本覚丹(かくたん)、井伏鱒二が同期で、横光利一が一級下の由。覚丹の訳業は昭和12年四六倍版710頁の超豪華版として世に出た。フィンランドは「白薔薇一等勲章」を贈って、覚丹の労をねぎらった。この大作が今では嬉しくありがたい事に講談社学術文庫に上下2冊で入っている。読むべし聞くべし!!

昔ロシアのバルチック艦隊を破ってくれた東郷平八郎の像をラベルにした「東郷ビール」フィンランドに有ったが、今のあるだろうか.1914年に幕を開けた第一次世界大戦に参加した日本はドイツ領だったパラオを始めマレーシア諸島、ミクロネシア連邦の島々を含むいわゆる「南洋群島」を占領し、国際連盟から許可を得て約30年間「委任統治」なるものをした。ところが第二次大戦で日本軍の飛行機があったペリリュー島とアンガウル島に上陸した米軍と戦う羽目になり、約16000人の死者を出して米軍に負けた。掘った穴に隠れた日本兵は火炎放射器と高熱のナパーム弾で焼かれたのだ。

さて過ぐる4月8日〜9日、天皇夫妻は戦没者慰霊のためにパラオを訪れた。迎えたレメンゲサウ大統領は日系4世の由。ここで思うのだが、この訪問を含めて両陛下の平和行脚とも言うべき数々の行為を政治家連中はどう思っているのだろう。ついでに言うと今年2月、誕生日を前にした皇太子の会見の事だが、池上彰のまとめを借りると”このところ、日本の戦争の歴史の評価をめぐって「謙虚」ではない発言が飛び交じっている事を意識されての発言と思われる。今の憲法は大事なものですとの意を含めた皇太子の憲法への言及を何故報じない新聞があるのか”との事態を人々はどう考えているのか。私は戦後民主主義教育の全き良き成果は天皇一家に結実していると常々思っているのだが。、、、、とまあこれはおいて、パラオに注目が集まったこの期を幸いその南洋諸島に生きた芸術家達を描いた本を一冊出したい。岡谷公二の土方久功、杉浦佐助、中島敦を語った「南海漂蕩2 」がそれ。岡谷は別に日本のゴーギャンといわれた、土方の伝記「南海漂白」もある。「ふくろう文庫」には土方の著作集も入れてある。

3月末の第3回ふくろう文庫のワンコイン美術講座は「楊貴妃」の話だった。白楽天の「長恨歌」を語るのが主だが楊貴妃と玄宗が主人公のこの長詩120行を語るといったのでは人があつまらぬと思って「楊貴妃」ならと思った訳だ、秋田は能代から西方里見•耿子夫妻が来てくれたので、同じくいつも来てくれる江別からの阿部悦夫、美智子夫妻と、室蘭在の梅原君と講座後に一宴を張った。

西方・阿部両君は室工大の建築を、梅原君は電子を出ていて、皆好学、博学の士だから、話題には事欠かぬ。この日出た色々な話から「うさぎ」の話 西方君は能代の郊外に自分の建築事務所を持っている。流れ屋根で、屋根上に植えた植物と。窓辺のグリーンカーテンで建築雑誌で話題となるものだが、その林に中にある事務所の周辺に植えられた樹々をウサギが噛み切るという。刃物でスパッとやったように幼木の幹がやられる由。で西方君の父が仕掛けでウサギをとらえてこれを食べようとしたら、長男の「敏明」(私の名前を西方君がつけた)が「おじいちゃんかわいそうだから逃がして」と哀願し、爺さんやむなく放した云々。そこで「兎の食法」を見ると解体後肉をとった後の胸部の骨を中心に骨と付着する肉を叩いて団子にして食べる、、、と野本實の「生態民俗学序説3 」に出ている。この本書名はいかめしいし、¥12,000と高いので中々薦めがたいが、自然と人間の営みを並べてこれ程面白い本はないので、いい機会だから出しておく。

ついでに「うさぎ」はなぜいなくなったのか?の副題を持つ「唱歌”ふるさと”の生態学4 」も。「兎追いしかの山」の里山の変遷を描いて面白い。里回=さとみと読んで人里のあたりのことだが、ことに西方里見君は上の二著読むべし。、、、てのは冗談だが。


  1. 森本覚丹訳.カレワラ.講談社学術文庫(1983) []
  2. 岡谷公二.南海漂蕩.富山房インターナショナル(2007) []
  3. 野本實.生態民俗学序説.白水社(1987) []
  4. 高槻成紀.唱歌”ふるさと”の生態学.山と渓谷社(2014 []

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