`98.10.30寄稿
江戸は元禄3年(1690年)に,エンゲルベルト・ケンペル(1651〜1716)と言うドイツ人が,日本にやって来ました。周知のように,鎖国をした日本では,長崎の出島にとじ込めたオランダ人には貿易を許していたのですが,その貿易を担当していた「オランダ東インド会社」の日本商館付の医師として,彼,ケンペルは来日したのです。
ケンペルは,約2年間日本にいたのですが,その間,2度に亘(わた)って,江戸に上りました。これも周知のように,貿易を許してくれていることへのお礼に,徳川将軍家へ多大の土産をたずさえていく,いわゆる「江戸参府旅行」に加わった訳です。長崎←→江戸の道中に観察した事供に,2年間の調査研究で得た知識を加えて,彼は,帰国後に「日本誌」を書きます。この「日本誌」と,ケンペルの「道中記」は,今の所,次の2冊で読む事が出来ます。
イ)日本誌 -日本の歴史と紀行-1 上下/今井正 訳/霞ヶ関出版/昭和48年
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ロ)江戸参府旅行日記2 /斉藤信 訳/平凡社(東洋文庫303)/昭和52年
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ケンペルの「日本誌」は1727年にロンドンで出たあと,オランダ語訳,フランス語訳,原本のドイツ語版と続いて出て,未知の国,日本をヨーロッパの人々に理解させるのに,驚く程の力を持ちました。
日本に来ることのなかった,ドイツ人の作家ゲーテ,哲学者カント,フランスの哲人ウ゛ォルラールなどなどはおろか,後に日本に来ることになったオランダのドウーフ,ロシアの探検家クルーゼンシュテルン,イギリスの外交官オリファント,そして御存知,シーボルトやハリス・・・ と言った人達がこぞってこの本を読んだのです。それはどうしてかと言うと,ケンペルの記述が,想像によってものでなくて,ケンペルが自から蒐集した豊富な資料によって書かれたものだったからです。
しかし,この名著を読む我々日本人(否,ヨーロッパ人とても同じだと私は思いますが)には,一つの疑問がわいて来ます。それは何か? それは,日本語を読むことも書くことも出来なかったケンペルがたった2年の間にどうしてこれ程の資料を蒐めることが出来たのか。そりゃ,通訳として付いた日本人を使ったであろうこと位はわかる。 ・・・としたり顔で推量してみても,では,それは誰か? となると,これがわからない。ケンペルの著書が世に現れて以来のこの謎が,実に300年振りに,片桐一男によって解明されました。
「今村源右衛門 英生」なる阿蘭陀(オランダ)通詞がケンペルの名著を生んだ影の存在だったのです。因みに「通詞=つうじ=通訳」のことです。300年を経て,漸く判明した「今村」の生涯と業績についてかかれた,このスリリングな本,面白いですぞ。
「京のオランダ人3 」(片桐一男/吉川弘文館/¥1.700)
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は,江戸参府するオランダ人達が泊まった京の宿「海老屋」の盛衰(せいすい)について語ったもの。片桐一男は「阿蘭陀通詞の研究4 」と言う大著で「角川源義賞」を受けた第一線の蘭学史家です。
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次は,オランダ人が泊まった宿としては「海老屋」よりはるかに有名な江戸は日本橋にあった「長崎屋 」についての本。紙面がないので,この本(「長崎屋物語5 」(坂内誠一/流通経済大学出版会/¥2.500)),無数に面白い・・・ とだけ言っておきます。
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ついでに,「[碧い目の見た日本の馬6 」(坂内誠一/聚海書林/¥2.600)と言う「’88年馬事文化賞」を受けた坂内のもう一冊の本もどうぞ。これの面白さも並みではないですよ。
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‘98.10.30(火)