第250回 宮澤賢治生誕110年

`06.5月17日寄稿

NHK室蘭に頼まれて、この4月から、毎月第三木曜日の夕方6;45からの番組に出ることになった。番組名は「いぶりDAYひだか」の中の「おしえて!館長さん〜」なるもの。第1回もの4月には「ふくろう文庫」が3000冊を超えた所で、改めて「ふくろう文庫』とは何か?と言うようなことを話した。大型美術書を蒐めるこのコレクションの目的と意義について力説したのである。第2回目の今月18日(即ち明日これ17日に書いている)は、私の心算(つもり)ではドイツ表現派の彫刻家、エルンスト・バルラハについて...と思っていた。と言うのは、「ドイツ年2005〜2006」と言うことで、ドイツ文化を代表する芸術家として選ばれたこの彫刻家は、かつて、ナチスに迫害された人で、それが歴史を生き延びて、今日本で初の大展覧会となったので、この歴史の皮肉、して又その歴史的意義を取り上げることは大いに意味あることに違いないと思ったからだった。しかしNHKの方では、バルラハは、ちょいと一般には「なじみ」がない、そこで生誕110年になる、宮澤賢治の方では如何?と言って来た。

私はさして、固執することでもないので、それでは、と受けて、我が家の本棚から、賢治のあれこれを引き出して。床の上に並べた次第。そして、かつて読んだそれらに目を通している中に、そうだ、あそこはどなってんだろう?との思いが胸に湧いて出た。旧日高線「富内駅」=「銀河ステーション』のことだ。実はNHKが “何でも苫小牧の方で、賢治にまつわるイベントがあるとか言う話で...”と言った時に私は「苫小牧?それとも鵠川?」と聞き返していたのだが、暫くいってない富内のことが気になったのだ。

それで、休刊日の月曜日(15日)に出かけてみた。前回行った時は(あれは何年前か、冷たい雨の降る日で)期待していた「涙ぐむ眼」が、雑草だらけで、がっかりしたが....「涙ぐむ眼」とは、賢治ファンには周知のごとく、盛岡少年院のために賢治が設計した花壇「Tearful   eye」のことで、穂別町の富内の里の人達は、廃線でさびれた同地区の再生を図るため、`89年に、先述の設計図を基に、旧駅にその花壇(長径18m.短径9m)を再現したのだ。「目の形にブロックを組む、周りを白い花で埋める.色の濃い花で瞳を入れる.まつ毛は灌木.目尻の二カ所は蓮を浮かべた水がめだ。

それが今年はきれいに咲いていた。毎年4月末頃に5000本余の苗を使って作るらしいから、植えて、間もない時で、余計鮮やかなのだろう。これから、9月14日の賢治の命日迄、この花々は咲き続ける訳だ。穂別から10キロm、ちょうど旧駅前に、社会科実週の小学生と女の先生がいたので、「イーハトーブ文庫」はどこか?と聞くと.先生は分からず、一生徒が教えてくれた。「転勤族なので、すみません」と女先生はあやまっていたが、   そのあと私は駅前の食料雑貨店の高橋さんの所に行って文庫の鍵を借りた。文庫の名は「GINGA  GINGA イーハトーブ文庫」。「ぎんが、ぎんが」とは思うに、童話「鹿踊りのはじまり」に出てくるすすきが光る様を表わした、あの言葉からとったのだろう。

この文庫は、賢治の愛読者だったと言う、映画俳優、悪役の内田朝雄寄贈の2000冊余と、穂別に移り住んだ詩人、浅野晃の寄贈同じく2000冊余から成っていると言う。中に入ってみた感想は又にする。

つまる所、私は、「涙ぐむ眼」に感歎し、「イーハトーブ文庫」に種々の感慨を持ち賢治観音堂をのぞき...と満足して引き上げたのだ。帰路は厚真に出て、「こぶしの湯」に浴して「実りあるたび」と誰にともなく感謝して、家路を辿ったことだった。

「教えて、館長さん〜」では、賢治と室蘭、苫小牧における足跡と言う点あたりに話題をしぼろうかと考えているが、この賢治...については、今や、研究書と言って大げさならば、関連書と言い直して、もう400点位は出ているのではなかろうか。著作権が切れたから、賢治童話を絵本としたものも続々と出て、現に私自身、絵本を10冊持っている。

そう言う訳だから、そのすさまじい数の賢治関連本から、どれをすすめるとなれば、これは至難の技で、これを逃れるために、例えば、板谷栄城「素顔の宮澤賢治」(戸風社、`92刊)の末巻の資料解題を見て下さい。と言う手もある。そこには既に古典となった佐藤隆房の本や賢治と音楽なるテーマでは、この人を置いて他にないと言う佐藤泰平の「賢治と嘉藤治」など14.5点が列記されているからだ。しかし私はこの安易な手を止めて、ここに一冊だけあげておく。

吉田司の「宮澤賢治殺人事件1 」だ。これは賢治をほぼ聖者と等しき人間をみなし故に「賢治殺」なる言葉を生むにさえ到っている現状について、真っ向から立ち向かう賢治否定の本だ。

例えば、自主学校「賢治学校」を設立し、「大地に根ざした生活と体験を通じて、頭でっかちの現代教育でゆがんでしまった心と体を鍛え直し、自分らしさを取り戻すのが狙いです」と語る鳥山敏子女史に対して、吉田は、賢治が「農民芸術概論要項」で説く「世界が全体幸福にならなければ、個人の幸福はあり得ない」とする賢治の考えないし教えが、賢治が所属した宗教団体「国柱会」の指導者、田中智学の論だと指摘し、さらにその田中智学とは、大東亜戦争なるもののスローガン「八紘一宇」を作った男だよと言い、賢治の思想は一歩間違えばヤバいものだよと述べる。

好き、好かんは別として、周到極まる論証からなるこの一冊、反論論破は、かなりむつかしいのではにかと私は思う、しかしこの激しい一冊を読むと読ま抜とでは、賢治の理解が大幅に違うであろうことは、これを読んで、冷水を浴びた感ずるか、よくぞ言ってくれたと思うか「賢治教徒』ではないけれど間違い.ずっと読んで来た私としては、この一書捨てがたい。思えば私は花巻に10年前に一度行っているが、最初、40年も昔の初訪問の時の花巻を思えば今の花巻樽谷、まあ一種の「賢治パーク』だね...と言う位の変化だ。

花巻の駅前の「ホテル。グランシェール花巻」の社長は、賢治の母イチの弟の孫だが、この人の肩書きは花巻周辺の企業20社の社長 etcだ。賢治の父親は、自分が宗教をやらなければ=寄付行為をしなければ、今頃は三井三菱になれていたかも、と語ったと言われるが、賢治一族の経済力たるや、驚くべきものだ。賢治が百姓でなかったことだけは確かだ。

そんなことはどうでもいいが、ここには吉田の本他、私の好きな物3点をあげておく.但し「賢治の音楽室2 」の詩人吉増剛造の声は私は苦手だ。

 

「セロひきのゴーシュ3

  1. 吉田司.宮澤賢治殺人事件.文藝春秋(2002) []
  2. 吉増剛造.賢治の音楽室.小学館 (2000) []
  3. 宮澤賢治.セロひきのゴーシュ.福音館書店(1966) []

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