以前、長良川の鵜飼を見たことがあります。屋形船にのって、きれいどころに囲まれて、酒を酌んで、と文句はなかったのですが、不國、舷(ふなばた)を見て、おどろきました。水中に何人もの男がみを沈めて、船をかつぐと言ったらよいか、支えると言ったらよいか、とにかく、ふなべりに肩をあてていたのです。
何やら申し訳ないような気持ちになって、酒の味も、鵜飼の感興も半減したことを覚えていますが、あの男衆、一体何のために居たのか、常時、どの船にも、ああやっているのか、今となってはわかりません。
ところで貴方は、「阿比(あび)」なる鳥を使っての「アビ漁」と知っていますか?阿比(大きさかもめ位、体は鵜に似て潜水力強大、魚群を追って集まる習性があり、漁業上有益、古名、平家鳥)[広辞苑]太字のところが味噌です。
アビは北極付近で繁殖して、春になると日本に来る渡り鳥ですが、漁民達には、飛んでくるとは見えず、時がくると、いつしか波の上に満ち漂って来るものに見えたようです。
さて、太字の魚群を追っての箇所の意味ですが、魚群とはイカナゴ、つまり煮干しや佃煮にする小女子(こうなご)で、アビはこれを巧みに追いつめるのです。横から下からアビに追われたイカナゴの群れは海面に逃げのぼります。するとこのイカナゴを追って、今度はタイやスズキがきます。
漁師達は、無論イカナゴもすくいとりますが、主たる目標はこのタイやらスズキです。これらを豪快に一本釣りするのです。これでわかるようにアビを使うと言っても、鵜を飼いならして使うのとは意味が違います。
白瀬の本、アビの習性を利用して、300年も続いて来たというアビ漁について語っただけでも面白いのに、著者は、更にアビ鳥の民俗学上の意味を探ります。面白くて、尚、頭も一挙に豊になると言う本で、仲々あるものではありません。
日曜日、江別の「北海道開拓記念館」に行きました。私のあとを追うようにし、「○○保健」の名札をかけたバスが来て、看護婦とおぼしき女性郡(100名程)をおろしました。そのはなやかなこと〜。
さて、昼食時、食堂に行くと、先の集団の中、30人程が入り口前にたむろして、或いは鼻から煙を吹き、或いは天に向かって煙の輪を作り、と、矇々(もうもう)という感じでやっています。はなやかさは消えて、むしろ憎々しげに見える態度です。さて、私は煙草の煙には辟易(へきえき)しますが、キセルだの、煙草盆だのの煙草の文化には関心があります。現に、角館で買った樺細工のキセル入れと印篭、長崎旅行記念のビードロのキセル、台湾のナントカ族の手になるみみずく型の印篭と木彫りのキセルを大事にしています。
キセルと言えば、松江のラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の旧居で、ハーン愛用のキセルと、それを10本ばかり並べたキセル棚をみた時の面白さを思い出します。さて、この「ちょっといっぷく」小著ながら実に面白い本です。
「たばこの栽培によって、稲作が減る、つまり年貢減を恐れる幕府によって「たばこ禁止令」が再三出された、...成程々々。八日市市、市辺(いちのべ)には、15才になった男が集まって、一種の成人式をする際に、たばこのまわしのみをするが、これを「落ちつきたばこ」と言う、...初耳だ。たばこの苗は小さくて、手でつまむといたむから、「たばこは箸で植えよ」という農家のことわざがある、これ、小学館のあの大部な「ことわざ辞典」にも出ているかなあ。
何年か前、遠野市で煙草の干してあるのを初めて見ましたが、その一風変わった風景を思い出しながら、私は全編、面白く読みました。願わくば、あの、スパ〜社ちゃん達も、「煙」の方は止めにして、煙草の本を読む楽しみに切りかえてくれないかしらん。①1
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最後に紹介するのは、下川耿史「日本エロ写真史」。ポルノ、アダルト、エロと聞いただけで「カーッ」となる人がいるので、この本、ノーコメントで出します。②2
そのかわり、と言っては何ですが、表紙の余り写りのよくない文章を全文写しておきます。”百五十年前に伝来した写真機は男達の飽くなき欲望をレンズに映し、女たちの裸体像に時代を刻印してきた。ジャポネスクの芳香ただよう幕末、明治期からエロ文化大爆発の戦後まで、歴史の陰にかくされたエロ写真の全貌を掘り起こして体系的に集成し、その返還をたどる性風俗写真史の傑作。以上
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私も負けずに蘊蓄(うんちく)をかたむけたいところですが、ここはおさえて、「この本、面白いですよ」とだけで、気を持たしておきましょう。