第088回 渡辺崋山への旅

もう15.6年も昔になりますが、「むろえらん」と言う名のタウン誌が室蘭にありました。その1981年の10月号に、私は頼まれて、「五月の旅」と題する隋篳を載せました。その一部を下に引きます。

〜それでいながら、「渡辺崋山」の墓のある直ぐ近くの田原町に一度も行く気を起こさなかったのは、いくら崋山に関心が薄かったとは言え、勿体ないことをしたものよと今では思う。

渡辺崋山(1793〜1841)は周知の如く、史上「蛮社の獄」なる名で呼ばれる全くでっち上げ事件で、殺されるに等しい死に方をした人物だ。

此の事件は、要略すれば次のようになろうか。江戸幕府が、崋山、高野長英等の「尚歯会」(しょうしかい)グループに加えた弾圧事件で、文政8年幕府は異国船打払令(うちはらいれい)を出したが、崋山は「慎桟論」(しんきろん)、長英は「夢物語」を書き、幕府を批判した為、以後彼等洋学者グループは、幕府目付鳥居耀蔵(ようぞう)等の看視する処となり、天保10年幕政批判、海外渡航計画、大塩平八郎との通謀等の罪状で逮捕された。

しかし、尋問が進むにつれて、罪状が虚構であることが明かとなったので、鳥居らは崋山等の罪を政治批判の点に問い、崋山は国元(=田原)蟄居(ちっきょ=江戸時代の刑の一つ、閉門と命じ、一室に謹慎させたこと)、長英は永牢の判決が下された。云々(うんぬん=しかじか

此れは、結局封建勢力と西欧の知識を学んだ蘭学者との最初の衝突だが、私には近世に於ける最大の思想弾圧に思える。

此の崋山に、私は、年末自分の無知からして親しむ。ことが出来ないでいたのだが、ひょんな事から、昭和18年に発表されて、第4回野間奨励賞を得た、山手樹一郎の殆ど唯一の歴史小説である「崋山と長英」を読むに到って、崋山の人と態(なり)が、爽やかと言いたい位、鮮やかな形で私の中に入って来て、俄然興味が湧いて来た。遅蒔き乍ら、華山評伝の類を可能な限り蒐めて読んでみようとおもったのはそれからである。

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その挙句が崋山に入れあげたみたいな形になって、鯔のつまり、縁りの地への訪問を試みたと言う訳で、此の五月の連休を利して豊橋から田原へと入った。

途中、食事の時間がうまくつかなくて、駅で豊橋名物「壷屋」の稲荷寿司を買い込んで、田原へ行く迄のゴトンゴトンと言う感じの電車の中で食べたが、此れは気色悪い程甘くて、昔より美味しく(うまく)なかった。

駅から車で、こじんまりはしているが、妙に入り組んだ感じの田原の町中を、田原城二の丸跡にある崋山文庫、崋山の蟄居の家と自人刃(じじん=刀で自分の生命を絶つこと)した小屋とがある池の原公園、崋山の墓のある城宝寺の順で廻った。

文庫では教育委員会編刊の崋山伝を一冊求め、肖像画やら遺品の数々を見る事が出来て、喜びを禁じ得ず、又公園では有名な「不忠不孝、渡辺登」の碑を見て、人一倍親孝行の華山が、文字通り断腸の思いで書いたに違いない此の絶望的な、母の訣別の辞には、呆々惻然(そくぜん=あわれみ、いたむ)たる思いであった。

折、悪しくし崋山文庫を出た頃にポツリと来た雨が城宝寺に着いた頃には、車軸(しゃじく)を流す様な驟雨(しゅうう=にわかあめ)となって、心ゆくまで墓前に佇むなどと言うことは出来なかったが、各々(それぞれ)に心満たされて、駅へ引き返した事だった。その後、私は木曾路へ向かった。

さて、私は、1993年の9月中旬に、実に12年振りに、田原町を訪れました。駆け足(かけあし)だった前の旅とは違って、今度は田原町からバスで1時間の伊良湖(いらご)岬に宿をとったので、半日以上も崋山の町をゆっくりと歩くことが出来ました。

田原の町は、12年前とは大いに変わっていました。例えば、町の中央にある田原城跡はすっかり整備されて、櫓(やぐら)も復元されました。’93の春には、崋山生誕200年を記念して、城内に田原町博物館がつくられ、ここに遺品をはじめとする数多くの関連資料が収蔵されています。

私が訪れた時は「若き日の崋山」展を開催中でした。「崋山神社」も出来ています。(もっともイタリア、ルネサンス研究家で「小説渡辺崋山」の著者、杉浦明平は、この神社について、「わたしの住んでいる渥美(あつみ)半島は、金ピカの崋山神社を新築するほどで〜」と皮肉っていますが、)

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さて、今年に入って月山照基の驚天動地(きょうてんどうち=天を驚かし地を動かす=世間をひどく驚かすこと)と私には思える本が出ました。驚天動地とまで私が言うのは、近世、日本最高級の画家、崋山は、実は、今迄、崋山を真似たとおとしめられて来た平井顕斎(けんさい)の作品を逆に盗んでいたのではないかと、言うのが本書の主旨だからです。

私は大いにうなずかされましたが、貴方ならどう判断します?

  1. 山手樹一郎・崋山と長英・春陽堂書店(1971) []
  2. 杉浦明平・小説渡辺崋山・朝日新聞出版・(1971) []

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