北海道の留萌支庁苫前町三毛別で、1915年12月農家の少年や主婦10人が飢えた熊に襲われ殺傷された事件は、吉村昭作「羆嵐」となって有名で、今では事件現場に茅葺小屋等が復元されて観光客をよんでいるようですが、そんな昔の話にあらず、昨年12月4日旭川市の近郊比布町に熊が出て市街をのし歩き、町民を恐怖におとし入れたが射殺されたとの報道には驚きました。
何でも初めて母熊から離れた2才仔で冬籠りの穴造りに失敗したのだろうとの話で、聞くと哀れを誘いますが、仔熊とても熊は熊「走る熊の体がダップン、ダップンと波打って」という目撃談を聞くと、さぞや肝も縮んだであろうと思います。
ところで、貴方は、「ちらしろ水」なる言葉を知っていますか。それは、春が来て「谷の底では〜雪解水が岩にしぶき、時ならぬ花を咲かせています。母熊は、やがてその辺りに歩みよると、首をのべて、その身もしびれるような清水を心ゆくまですすりあげます。ああ、その水が母熊の身内に奥深くしまいこまれていた血肉の力と合わさって、熊のオッパイとなるのです。その夜母熊はまだ眠りからさめやらぬ二才仔の傍の、秋の間に運び込んでおいた落ち葉のしとねの上に、モグラ程の新しい二つの命を産みおとします。大和の吉野奥山の人達は、チチシロ水を言っています。熊のお乳の元となる水という意味です。チチシロ水を飲みに出た母熊は、どこの猟師も決して撃ちとるようなことはありません。撃てば必ず山が荒れると、彼等は信じているからです。」
おわかりでしょうか。何と美しい響きを持った言葉でしょう。この聞くに面白く、読むに気持ちのいい文章の書き手は田渕実夫で、この名調子で鹿、狐、狸、狼等を語った名作が「ちちしろ水」です。1952年学友会という目立たぬ所から出た本が漸く蘇りました。三一書房の「日本民族文化資料集成」の第11巻、「動植物のフォークロア」に入っています。
①1
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②2
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自然と人間の共生を考える者には必読の本と思われます。一万円余と高価ですから、図書館に注文して読んでみて下さい。室蘭工業大学の後方に通称「室蘭岳」と呼ばれる、標高911cmの山があります。通称と言うのは、この山は、西側にある「鷲別岳わしべつだけ」とよく混合されるからです。こちらは通称「カムイヌプリ」標高750mです。混合ぶりを示すと地形図、それも明治の北海道左図では、「鷲別岳」は「鷲別岳」と記されているが、第二次大戦後は、これを「室蘭岳」と記してある由、書いていても何やら混乱してしまいます。
それはともかく、911mの方の「室蘭岳」は登山好きの市民にはもってこいの山で、皆室蘭工業大学のウラ手から登ります。そして、この山を愛する人々で作っている「室蘭岳の自然を守る会」なるものがあって、ガンバリ岩なる会報を出しています。私もたのまれて、それに「本の話」を書いてきました。その2.3を紹介してみましょう。
私のことですから、相もかわらず、本の話ばかりですが、このシリーズを読んで下さる方なら、いささか興味を持たれるやもしれません。
「あそんでみよう。ちょうしんき」を購入した時の余り愉快でないエピソードを一つ。本屋の40才近い女性が、私に向かって曰く。「山下さん、ちょうしんきなんか買ってどうすの?夜中にでも使うの?「いわゆるお医者さんごっこ」ではあるまいし、いや、この品のないせりふには、私は真底参りました。「何を考えてんだろう、この人」
2月10日〜12の連休、スキー旅行の卒業生に誘われて、私は深川に居ました。腰痛でスキーの出来ない私は、旭川に出て、九谷焼のクラフトマン、中田明守作の「みみずく」柄のコーヒーと紅茶、茶碗をみつけて悦に入って寄宿しましたら、古平−余市間のトンネル事故が報道されていました。言葉もありません。