2025.4.15寄稿
ドイツ東部テューリンゲン州にあるブーヘンワルト強制収容所跡地がある。近くに採掘場があり強制収容されたユダヤ人達がコンクリートなどを作らせられていた場所だ。
当地で、4月6日解放80年の記念式典がおこなわれた。この収容所はナチスが1937年に作り、ユダヤ人、ロマ、同性愛者、ソ連の戦争捕虜など、約37万人の囚人が送り込まれ、うち5万6,000人が飢餓、病気、人体実験などで死亡。ち並みに「ロマ」とは、「昔ジプシー」と呼ばれた人のことで、これは今差別用語として、使われない。ジプシーとは他人が使った言葉で、自らは「ロマ」と名乗るのだからこれが正しい。ここで、話を変える。「チャップリンの独裁者」という映画がある。仮想の国トメニアの独裁者アデノイド・ヒンケルという設定を借り、ヒトラーの独裁政治を批判した作品。私はこのチャップリンの態度と立場を同じくする者だ。私はヒトラーがなぜあのようにのし上がったかに興味がある。ヨーロッパ人の心底に「ユダヤ人嫌い」という真理があるのは否めない様だが、それにしても、人々は、600万人のユダヤ人を殺したというヒトラーの蛮行をなぜ止めれなかったのかの理由を知りたいと思った。そこで私はヒトラーに関するものは集める様にしてきた。今我家の第二書庫に置いてあるが数はかぞえていない。例えばここにアドルフ・アイヒマンという男がいる。ユダヤ人を殺した数において史上一番の男かもしれない。彼は敗戦直後北ドイツに隠れ50年リカルド・クレメントの偽名でアルゼンチンに亡命。52年妻子を呼び寄せ、ブエノスアイレス近郊に暮らし、メルセデスベンツの自動車工場で働いていた。59年南米在住のユダヤ人の密告でイスラエルの秘密警察モサドが再追跡を開始し、アルゼンチン政府に無断でイスラエルに連行された。つまり、アルゼンチンの主権が侵された訳でイスラエルが国際的に非難されたことはよく覚えている。さてアイヒマンの裁判が始まった。アイヒマンは一貫して無実を主張した。この裁判を傍聴したユダヤ人女性哲学者ハンナ・アーレントは「悪は陳腐化した」と述べた。何故なら、アイヒマンは期待された様な、狂信的反ユダヤ主義者ではなく、机に向かってひたすら上から「数百万の老若男女を熱心に、しかも極めて周到細心に死に向かって送り出す」という命令を「甚だ忠実に果たしていた」にすぎないことがはっきりしたからだ。処刑を前にしたアイヒマンは赤ワイン1本を注文し、半分飲んだ。目隠し用の黒いマスクを拒否し、「単に上司の命令を実行したにすぎない」と反論して死んだ。次に双子を使った人体実験をしたヨーゼフ・メンゲル博士に触れたいが省略する。おっと忘れるところ、ハンナ・アーレントの「全体主義の起源、全3巻も我が家にある。ここで話ををイスラエルに戻す。今イスラエルを率いるネタニヤフについて語りたい。今、ネタニヤフのやっていることは、どう見ても狂っているとしか思えないことばかりだ。自分たちがかつてヒトラーにやられた民族撲滅をいまは彼らが周囲の人達に向かってやっている。これを続けていては「やはりユダヤ民族は世界の災いの元」となりはしないかと、私ですら心配になる。実はこのネタニヤフのもたらすであろう災いを予見していた人がいる。のちに作家になったプリーモ・レヴィだ。彼は1919年ユダヤ系技術師の子としてイタリアのトリノに生まれた。トリノ大学で化学を専攻した。1943年北イタリアはドイツに占領された。レジスタンス運動に加わっていた為逮捕され強制収容所のアウシュビッツに送られた。戦後化学工場で働いていたが、1947年「アウシュビッツは終わらない」を書いて作家デビューをした。彼はヒトラーのやった悪を描き続けたが、その間次第にイスラエルという国が何やらヒトラーのやったことと同様のことをするのではと予感を持ち始めた。注意しておきたいが、この時ネタニヤフはまだ現れていない。しかしこの予感はネタニヤフの出現によって露わになった」と言えるだろう。絶望したプリモー・レーヴイは自宅のアパートで自殺した。ヒトラーの悪事を描き続けていたタフな作家がこの様な最後を迎えるとは暗澹たらざるをえない。続けてあげたい人はまだ数名いるが、余白がないので「夜と霧」を書いたビクトル・Eフランクルにふれる。1905年ウイーンで生まれ有名なフロイドに学び精神科医となるもユダヤ人の為アウシュビッツに送られた。彼の妻と子供はガス室で殺された。嗚呼!
今日は4月15日終日雨降り