2022.1.11寄稿
私は、正力松太郎に始まって、今の「ナベツネ」に続く「読売新聞」の体質というか、性格というかが好きではない。その体質は、一言で言えば「安倍の御用新聞」という感がするからだ。
その読売の大阪本社が今回変わったことをやらかした。昨年12月の末のことだが、大阪府と「包括連携協定」なるものを結んだのだ。この協定はいかなるものかというと,府と読売とがパートナーになり、府民サービスの向上、各区域の成長、発展を図るために協力するというもの。そしてその「連携」は次の8分野にわたるという。それは教育、人材育成、情報発信、安全、安心、子供、福祉、地域活性化、産業振興。雇用、健康、環境etcで、又「大阪、関西万博」への協力もすると。
読んだ途端に呆れた。これでは自ら「全国紙」の立場を捨てて、大阪の現政権「大阪維新の会」新聞になってしまうということではないか。政党新聞ならいざ知らず、安倍御用新聞から、今度は「維新の御用新聞」になるということか。かつて読売大阪本社の社会部長に黒田清という人物がいた。社会部をひきいて、反権力の姿勢を貫いた名物記者だった。今テレビでしわがれ声でしゃべっている大谷昭宏はその仲間だが、この黒田が、今回の「維新」との合体を知ったらどう評したろうか。それにしても「読売」も落ちるところまで落ちたもんだなあ。
今、反骨の黒田に触れたが,反骨と言えば、読売にもう一人いた。東京本社社会部にいた本田靖春だ。私の本棚にも「誘拐」(文藝春秋第39回読者賞、第9回講談社出版文化賞受賞)や「不当逮捕」(第6回講談社ノンフィクション賞受賞)他彼の本が大体揃っている。この本田は結果として読売を辞めたが、それは正力松太郎をどうしても許せなかったからだ。本田が正力を嫌う理由は何か。? 正力と読売の本質を知るにいい本が本田の「我拗ね者として生涯を閉ず1 」だ。今回の「維新+読売」の奇妙な協力が成り立つ理由がよく分かる。序でだが、私には大阪の人が何故インチキを重ねる「維新」を支持するのかがよくわからない。大阪の人は、例えば、一ノ宮美成の「橋下”大阪維新”の嘘2 」を読んだことがないのだろうか。序でにもう一つ、読売は新聞界で如何なる位置にいるのかを論じた、徳山喜雄の「「安倍官邸と新聞ー”二極化する報道”の危機((徳山喜雄.安倍官邸と新聞ー”二極化する報道”の危機.集英社新書(2003))) 」もすすめたい。
維新と言えば、最近は自民や公明と組んで「敵基地攻撃」なんてな物騒なことを平然と口に出している。そのうち「国民皆兵」なんて言いだすのでは?と気持ち悪くなるね。ところで、前回は百田尚樹批判の本を3点紹介したが、今回も1点出そう。と言うのは,私の知っている高校生の何人かが、百田の「永遠の0」を観て大感激したというのを聞いて、今流に言うと「これはヤバイ」と感じたからだ。感激で言えば、今をときめく若人の一人が、この「永遠の0」が愛読書だと言うのを聞いて、私はがっかりした。この若人が誰かは今言わないでおくが、何故ヤバいと感じ、ガッカリしたのかの説明はしておかねばならぬ。それで、それを明解する本を出そう。「”永遠の0”を検証するーただ感涙するだけでいいのか3」がそれだ。この本を注文する時、私の頭の中に「特攻」と言えば、あの兄弟だよなと言う人がいてそれは「岩井兄弟」のことだ。この兄弟、兄の忠正(慶應大学)弟の忠熊(京都帝国大学生)は2人して海軍に学徒出陣して、これまた2人して特攻隊に入れられ、生きて帰らぬ人となる筈だったが、幸いにも「敗戦」となって出撃せずに済んだ人なのだ。
生き延びた2人は又しても2人して「特攻,自爆兵器となった学徒兵兄弟の証言」を2021年に新日本出版社から出した。以上ことからして、私は「特攻」ときたらあの2人にしゃべってもらわないと、と思ったのだが、本が届いてみると、嬉しや、ありがたや、弟で立命館大学名誉教授の忠熊の方が、本の最後で「元特攻兵が観た”永遠の0”」でインタビューに答えている。
岩井忠熊は開口一番「永遠の0」を「架空の物語という感じがしますね」ときって捨てる。「架空の物語」とはつまり「fiction」でこの英語は学研の「カタカナ新語辞典」の定義では「つくりごと、虚構、想像によってつくり出され事実ではないもの」と説明される。そして岩井は「架空の物語」とした理由を次々にあげていく。曰く「軍隊の暴力性の描写が不十分」「志願しないとどんな目に合わされるか」「回天は無茶苦茶な兵器」「責任追及がなくロマンチシズムだけが残る映画」etc
元特攻兵から「架空の物語」と決めつけられた「つくりごと」を作った百田は又、平気で嘘をつく人間だ。例えば「南京大虐殺はなかった」などという「永遠の0」に感心していると、そのうちに又「特攻」にかり出されちゃうぞ。
「”永遠の0”を検証する」には更に読むべき本が丁寧に解説付きで紹介されているが、、私はそれにあと2点加えたい。1点目は 生出寿(おいでひさし)の「一筆啓上瀬島中佐殿、ー無反省の特攻美化慰霊祭4」だ。
瀬島は太平洋戦争中陸軍のエリート将校で復員後は、総合商社「伊藤忠」の取締役会長までのし上がった、甚だ胡散臭い人物だ。瀬島は例えば、「特攻は世界に例のないもので、我が日本民族の誇りであります」と言う。これに対して生出は、体当たりの特攻で死んだ若者は6952人にものぼる。しかるにその作戦を考えだし、すすめそのくせ、負けて生き残ったのが瀬島達だ。そんな人間がよくも先のごときセリフを言うと怒る。同感だ。生出は又「瀬島は戦没した特攻隊員達を誉め称えるばかりで、軍令部や参謀本部が何千人もの若者を非道な体当たり特攻で死なせ、しかも海陸軍とも戦争はボロ負けして日本を滅亡寸前まで落とし入れたと言うのに、両作戦指導部の誤りと責任については何も言わないようです。それではいかんのではないですか」と直言する。これ又同感だ。かようにこの本は特攻を美化して反省しない者達を告発する一書だ。「特攻美化」そして「無反省」と言う点で、瀬島は百田は同質の人間だ。この本で「永遠の0」がいかに作り話にすぎないかを知ってほしいい。もう一点は「不死身の特攻兵(( 鴻上尚史.不死身の特攻兵.講談社現代新書(2017) )) 」著者鴻上尚史は岩波書店から若者向けに「空気を読んでも従わない」なる本を出しているが、日本海軍の研究家戸高一成は「特攻作戦が出来ると、それに逆らえない空気が形成される」と言う。「不死身の特攻兵」の主人公は、その「空気」に逆らって9回出撃して9回とも生き帰ってきた実在の佐々木友次の話だ。百田の作り話とはエライ違いだ。
(2022.1.11室蘭は大雪大荒れ)