`92.7.15寄稿
大学生の時、同級生の矢口和子さんと一緒にアメリカ映画「黒い雌牛」を観ました。これは、メキシコの原野に生まれ育った牛と少年の友情を描いた秀作です。牧場主の死で、闘牛用に売られることになった牛を取り返すべく少年は,メキシコシティへ単身出かけて行きますが、時既に遅し,愛する牛は既に闘牛場の真ん中へ引き出されていた。...という筋のものです。
「少年と牛の愛情」なぞという宣伝文句から,三遊亭円朝の人情噺で,愛馬の「青」と涙の別れをする塩原多助の話みたいな浪曲的なものを予想していた私は、もし彼女に誘われなければ、この傑作を見逃していたに違いありません。誘ってくれた女の子の名前を、いまだに覚えているのも、この映画を観る機会を作ってくれた彼女に感謝しているからです。
さて「黒い牛』は1957年の第30回アカデミー賞で,脚本賞を受けました。脚本を書いたのは「ロバートリッチ」という人でしたが,同年3月29日のアカデミー授賞式で、「地上より永遠に」に出た美人女優のデボラ・カーが「リッチ」の名をいくら呼んでも、「リッチ」なる人はあらわれませんでした。
話かわって、オードリー・ヘップバーンのアメリカ映画デビュー作で、同時にアカデミー主演女優賞受賞作となった「ローマの休日」は文句なしの名作で、現に1990年にNHKが全国から募集した「100万人の映画ファン投票」で、外国映画部門の第一位に入るほどの作品ですが、実はこの作品の脚本を書いたのは、字幕に出ていた「イアン・マクレラン・ハンター」ではなくて、前記「ロバート・リッチ」と名乗る人と同人物でした。
この謎の脚本家は後にローマ時代の奴隷の反乱を描いた「スパルタカス」(カークダグラス主演)や、反戦映画の名作「ジョニーは戦場に行った」の脚本家、原作者、監督として、実の名を現します。彼の本名は「ドルトン・トランボ」です。
ところで、かくも優秀な脚本でありながら、何故、彼は、名をかくしたり、違った名を名乗らねばならなかったか。
そうした疑問に答えてくれる映画が、ロバートデニーロ主演の「真実の瞬間」ですが、1940〜1950年代「トランボ」を含めて多くの映画人を巻き込んだ悲喜劇を背景としたこの映画を、より深く理解するに絶好の本がでました。
山田和夫「ハリウッド良心の勝利1 」です。
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- 山田和夫.ハリウッド良心の勝利.新日本出版社(1992) [↩]