第016回 日本の毒蛇「ハブ」

`92.7.31寄稿

樽前山に初めて登ったのは、高校二年生の時ですが、苫小牧からバスで、支笏湖へ出ました。兄が登った頃には、「王子製紙」が材木の切り出しに使っていた「森林鉄道」に乗せてもらったと言う事で、今、バス道路の脇を走っているサイクリング用道路は、軌道のあった跡地を再利用したのでしょう。湖畔からは,人一人通られる程の幅の踏み分け道を、湖水なりに辿って、モーラップ(現モーラップキャンプ場)まで歩き、そこでテントを張って、先ずは一泊。ここで、樹を一本伐り倒して、井桁(いげた)に組み、一晩赤々と燃やして暖をとりましたが、今なら営林署や、自然保護団体から、大目玉を食らうことでしょう。

翌朝は、未明に登り出して、登頂後には「社台」側に下りましたが、社台までの道の単調で遠いのにはうんざりしました。駅に着いて見たホームの行き先標示板の「しゃだい」が「いやだい」に見えたものです。

さて、モーラップに向かって先頭を歩いていた時、一m半もある「青大将」が、それも二匹、私の方に向かってくねって来たのを見た時の驚きと、ピッケルで追い払ったことは未だに忘れません。

因みに民俗学者の柳田国男は、日本最大の無毒のヘビ「青大将」の名は、「青大蛇(あおだいじゃ)」ののびたものか(?)と言ってます。ところで、グアム島には元来、蛇はいなかったが、第二次大戦後に貨物船に潜んでいたのが侵入し、天敵がいないも同然の同島で、ふえること甚だしく、今では、この為十一種いた鳥が九種類、トカゲ、ヤモリ類も五種類、こうもりも二種類が絶滅して、生態系が崩れると、案じらていると、いいます。

ハワイも又、蛇のいない島だったのが、今では「ナンヨウオオガシラ」などという毒蛇の侵入が発見されて、観光地に毒蛇がいたのでは、と当局が対策に四苦八苦とのことですが、さもありなん、というものです。

さて、日本には猛毒をもった蛇「ハブ」がいる島奄美大島があります。全長二mあまりにもなる「クサリヘビ科」のこの毒蛇に咬まれると、激痛が脳髄に走り、患部はたちまち紫色に変わって、二三倍にふくれあがり、血清治療を受けない限り、二十四時間以内に死ぬ、ということです。「毒蛇1

この恐るべき「ハブ」の生態と被害の実態、そして、その猛毒に抗する血清を作りあげた学者たちの、緊張に満ちた物語が書かれました。

一読、肌に粟を生じて、銷夏(しょうか=暑さよけ)の一助になるかもしれません。なお左図は幕末に書かれた「南島雑話(なんとうざつわ2 」に出ている「ハブ」の図です。

  1. 小林照幸.毒蛇.文藝春秋 (2000) []
  2. 名越左源太.南島雑話.平凡社 (1984) []

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