第021回 蕗谷 虹児(ふきやこうじ) の世界

`92.10.16寄稿

「金襴緞子(きんらんどんす)の帯びしめながら 花嫁御寮(はなよめごりょう)は なぜなくのだろう」という詩は.それこそ、日本人なら誰でも知っているに違いない詩、と思われますが、この詩の作者の展覧会が、七月末、札幌は今井デパートで開かれました。題して「叙情の旅詩人、蕗谷虹児(ふきやこうじ)展」

小さい頃、母や.姉が読んでいた雑誌の虹児の画が記憶にあったので、なつかしさから、私も観に行きました。ロマンチックで、センチメンタルな画だったなあという印象ははずれて、「実にいい詩だなあ」「実にいい画だなあ」というのが実感でした。どの作品もいたずらに、なよなよべたべたしていないのです。私は満足しました。

九月に入って私は仙台にいくことになりました。美術と本が大好きだった仙台出身のM君が、室蘭工業大学の建築科を卒えてすぐ、ガンのため、わずか26才で亡くなって以来、年齢も専門も違うのですが M君同様、美術と本が好きな仲間が、毎年20人余集まって、法要にかこつけて、酒を飲み、面白い本はないかと、語り合うのですが、それが早や、十三回忌。私は仙台に直行せずに、これを機に新潟へ飛び、新発田に回りました.同市の「蕗谷虹児記念館」に行って、もう一度 虹児の作品を観たかったのです。

記念館は、内井昭蔵建築設計事務所によるもので、小ぶりながらも、教会風の洒落(しゃれ)たものです.私は、又も、作品にも、建物にも満足しました。

ここで、私はこの記念館を造るにあたって、資金の一助に、と刊行された、虹児の自伝「海鳴り」を購いました。この自伝も文句なくいいもので、読んでいて素直に泣けてきます。

虹児は13才にして母と死別し、実際には貧苦の生活を送った人ですが、にもかかわらず、父と二人の弟をかかえて、ひねくれず、めげず、生活に立ち向かいます。虹児の詩と画が、単なる「叙情」と「感傷」に堕ちずに「美しさ」そのものになっているのは、こうした毅然(きぜん=しっかりした)たる心意気が、バックボーンとなっているからなのでしょう。

私は、帰宅してから、虹児の代表作「花嫁人形1 」を読み、眺めて、これにも改めて満足しました。大人になってこそ、虹児の良さの理解が深まると言うものです。

さて、「ベトエイユの風景2 」という詩画集が出ました。1927年、渡仏中の虹児は、パリ郊外のベトエイユに材をとった「風景」を「サロン.ドートンヌ展」に出品、入選しましたが、この作品は長いこと行方不明でした。それが、60年振りに発見されて、この本の「書名」となり「カバー画」にもなっています。 

この本によって、虹児の世界を堪能出来ますが、更に嬉しいことに、巻末には魯迅による「蕗谷虹児画選 」が復刻されて収められています。

文豪、魯迅(ろじん.1881-1936)は、中国の近代文学のみならず近代美術の生みの親でもありますが。彼は木刻(木版画)を通して美術の振興をはかりました。その際注目した作家の1人が虹児でした。虹児の作品を愛した魯迅は、自ら翻訳の筆をとり、虹児の作品を中国に紹介します。下図は、その「画選」の最初に挙げられた作品です。しみじみ味わいたい一冊です。

  1. 蕗谷虹児.花嫁人形.講談社 (1967) []
  2. 蕗谷虹児.ベトエイユの風景.彌生書房 (1992) []

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