`93.5.28寄稿
私は、写真をとることにも、とられることにも、余り興味がありません。しかし出来上がった写真を見る事は大好きです。それで、私の書棚には、多の分野に比べると少ないながら、写真集が多少はあります。その中には変わったものもないではありません。
例えば、セルジュ・ナザリエフ「1850-1930年.ヌード芸術』(1987.ベルリン刊)。
K洋書店のIさんは、この本が入荷すると「山下さん、がっちり包んで来てますから。開ける時に一緒に見せて下さい」と自分で持って来ました。
真っ黒い紙で、何やら秘密めかして包装されているのを開いて行くと、本の外に、何か入ってます。取り出すと、ナントそれは、プラスチック製で、組み立て式の立体メガネでした。この本は「立体写真集』だったのです。中味は、ポルノチックなものも、二、三あるにはありましたが、今の時代から見ると、全くおとなしい、たわいもないものでした。しかし面白がったIさんが、自分でも欲しいと注文しましたら、あにはからんや、今度は税関でひっかかりました。
「関税定率法によって輸入不可」と知らせがあったそうで、残念無念の一件落着です。税関は抽出(ちゅうしゅつ=抜き出すこと)検査をしますから、時々こういう不公平な事が起きるのです。
又、例えば「シーン』と言う写真集があります。「シーン』だけではわからないので注文して見ましたが、届いたのを見て、驚きました「殺人のシーン=場面」だったのです。
被害者の写真が64枚、無とじで、一枚一枚シート仕立てになっている本でしたが、どの「場面」もそのすさまじい事、思わず吐き気をもよおしました。
アメリカの写真家ウイ−ジィは、「殺しのウイージィ」と異名を取った写真家で、殺し現場に「殺し屋がずらかる前にいつも彼が来てるのだ」と言われた人ですが、それらの殺人は、凶器が殆どピストルで、そのせいか、余り陰惨差がありません。(と言うと変ですが) ところが、「シーン」の方は、或いは首をはねられ、或いは身体を切り刻まれ、或いは電線にぶら下げられ,,,,といった具合で、酸鼻(さんび=むごたらしい)の極みです。この違いは、ヒョットすると、凶器又は手段の違いからくるものかもしれません。余りに血なまぐさいので、その後、私はこの写真集を開いた事がありません。
又、手に入れ損なった写真集もあります。フランスの名写真家ロベール・ドアノーは、22歳で、名車「ルノー」工場の専属カメラマンになり5年間つとめました。工場各部門の作業風景を記録する役目だったそうですが、この5年間の作品を蒐めて、1988年パリで、「ドアノー/ルノー展」が開かれました。その際に出たのが76ページの図録で、真紅の表紙にスチール製のケースがついているというものでした。これは装丁の上からも注目すべきものと考えて、私は直ぐに予約をしましたが、既に満席で、入手出来ませんでした。
さて、最近読んだ写真本の中から、面白いものを二、三あげてみましよう。
先づは、飯沢耕太郎の「日本写真史を歩く1 」(新潮社)です。全三部構成、取り上げられた写真家は、17名、写真に魅せられ、写真に命をかけた、或いは写真に資産を使い果たした人達の、興味つきない物語です。
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下線の部分の表現は誇張ではありません。現に、旧津和野の大名、亀井慈明(これあき)は、日本初の「戦争写真家」の栄をにないますが、日清戦争後過労から36才で死んでいます。
又幕末明治にかけて有数の酒問屋の主人だった鹿島清兵衛は、写真のために、文字通り資産を蕩尽(湯水のように使う)します。写真という「業』にとりつかれた人間の人生ドラマを読み、かつその作品をみる楽しみ加えて、日本の写真の歴史にも通じることができる楽しみもあるいい本です。何よりも論旨明快にして、平明な文章が嬉しいことです。
次は,飯沢が取り上げた17人の中でも、異色の人人類学者の鳥居龍蔵が残した写真を蒐めた「異民族へのまなざし2 」(東大出版社)
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徳島の煙草問屋の息子,龍蔵には小学校中退の学歴しかありません。学歴のない男が、何をきっかけに人類学に志し、いかにして、東大の人類学教室の教授になって、日本の人類学を指導したか....という話しは飯沢の本にまかせましょう。
鳥居は、人類学調査旅行の際に、記録の手段として、カメラを最大限、有効に使いました。そのおかげで、東アジア、シベリア、アメリカ大陸、太平洋に生活する人々の貴重な記録が残りました。人間の多様さに驚化される一冊です。
飯沢が取り上げた資生堂二代目の福原信三の作品集も最近出ましたが,高価で気軽に勧める事が出来ぬのは残念です。
「光とその諧調ー福原信三.路草写真集3 」ワタリウム美術館刊
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最後は。栗原達男の「フランクと呼ばれた男4 」(情報センター出版局です。
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これは、世が世ならば,旗本である家に生まれた本名、松浦栄と言う男が,90年余も前に,アメリカはシアトルの奥地に入って,雑貨屋を営みながら,インデアンや,開拓者や,金鉱探しやなどを写した写真が,偶然に発見されて,そして,同時に,昭和40年代学生闘争に取材した、「怒りを日々の糧に5 」の作品を持つカメラマン栗原が,自分とフランクを重ね合わせながら写真と人生について語ったものであのです。松浦栄の作品は,1983年の「フロンティアの残影』(平凡社刊)がありましたが,惜しい事に絶版です。
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※つけたし。私の最初の写真作品は小学校3年の時兄のカメラで,鏡に向かってとった自分の姿です。ムロン内緒。現像中浮かび上がった私の姿を見て,兄曰く「何だコリャ!!」