`94.8月10日寄稿
男も女も、結婚は生涯2度した方がいい。男は最初、経験豊かな年上の女と、次には未経験の年下の女と、女も同様、最初は経験豊かな年上の男と、次には若い男と。と言った説を、確か20世紀初めに、政治家、文芸批評家としてならしたフランスのレオン・ブルムが説いたことがあります。この説を「日本に紹介したのは、確か、医学者、探偵、小説家の木々高太郎だった(筈)経験豊という表現は、この場合人生経験という意味は無論ですが、より濃厚に性的経験という意味が含まれています。
つまり、エネルギーのみ充満して経験に乏しい男性は、初めはその道において経験豊かな、今なら,さしづめ「熟女」と生活を共にして、性生活の詳細を教えてもらう。そして,全てを会得(えとく=意味を悟ること)した時には、花の盛りの娘たちにそれを伝える。その娘たちは、いずれは「熟女」となり,,,かくして、この円環(えんかん=丸い輪)運動は...。
突然、こんな説、それも学生時代に読んだものを、おぼろげながら思い出したのは、赤松啓介の「夜這の民俗学1 」をよんだからです。
例えば、こう出ています。
「〜ムラでは13才にはフンドシ祝い、初めて白布またはアカネのフンドシをする。このとき、オバとか年上の娘が性交を教える.15歳になると、若衆入りですべての男が年上の女や娘から性交を教えてもらう。いまの若い男共は、夜這ですらウソだなどと教えられ、結婚まで童貞が理想と教えられかわいそうだ。」ついでこうも出ています。
「女の子もそうで、13さいになるとカネイワイと言い、昔はこれもオバなどがオハグロ道具一式を贈って成人を祝った.〜しかし、山村などになるとコシマキを新しく新しくしめるのを教えてもらうというので、むらの長老や一族のオジなどに娘をつれていった。〜その家では母親が挨拶をして帰ると、娘を寝室に連れて行き性交して教える。」
読んでいて、ブルムも木々高太郎も「メ」じゃないなあ、と驚嘆しますが、赤松は与太(よた=でたらめ)を飛ばしている訳ではありません。
「夜這は、戦前まで、一部では戦後しばらくまで、一般的に行われていた現実であり、実に多種多様な営みであったが、このような重要な民俗資料を、日本の民俗学者のほとんどは無視し続けて来た。」とする赤松は、柳田国男とその後継者に対してもっとも厳しい批判を向けます。
柳田が「天皇制」と「性」の問題をさけた事はよく知られていますが、その欠を埋めたいと思うものに取っては、赤松の一連の著作は、いづれも必読のーそれもやさしくて滅法面白いー本と言えます。
猛暑の続くこの夏、一夫一婦制、処女童貞を由とする純潔主義毒されていなかった、おおらかな我らの祖に思いをはせることで一服の清涼剤されては如何!!
- 赤松啓介.夜這の民俗学.筑摩書房 (2004) [↩]