第071回 金山踊りと菅江真澄に誘われて

`95.5月12日寄稿

著者も同じなら書名もおなじ、おまけに内容も同じと言う本が、どうした訳か、同時に三つの出版社から、しかも各々別のカバーと奥付をつけて刊行されました。出版したのは秋田の無明舎出版、鳥取の米子今井書店、そして栃木の随想舎です。本の名前は「どじょうすくいと金山踊り1 」で著者は茂木真弘。いかなる理由で、かくの如き奇妙な出版形態になったかと言うと、それはこん本の、主題が秋田や栃木や島根に関係しているからです。

さて「どじょうすくい」とは、御存知「安来節(やすぎぶし)に合わせて踊る踊りで,赤い襷を掛け,裾をからげ、頬かむりして、笊(ざる)を手にして,どじょうをすくうまねをするひょうきんこの上もない踊りです。

では「金山踊り」とはどんなものか?  秋田県北部には,小坂、南不遠部、鉛山、と今でも創業を続けている鉱山があって,我が国一番の鉱山集中地帯です。

これらの鉱山から産出(=採鉱)されるものは,金であれ,銀であれ,掘り出したままの鉱石(=粗鉱)では、不純物が沢山含まれていますから,当然それを取り除くための仕事、つまり「選鉱」が必要となります。

選鉱には手選鉱と機械選鉱とがあり,手選鉱の場合には,鉱石を槌(つち)で砕いて笊に入れ、不純物(これをからみと言う)を除けます。この「からみ」を取り除くことを「からめ」と言ってこの作業をしながら歌うのが「からめ節」です。そしてこのからめ節に合わせて選鉱作業の動作を取り入れ,笊を持って踊るのが「金山踊り」なのです

この二つの踊りには共通する動作、つまり笊ですくってふるいにかけるような動きに着目した著者は「金山踊り」が伝わり伝わって、「どじょうすくい」に影響を与えたのではないかと推測します。

そしてこれを実証せんがために各地の鉱山町をたづね歩きます。その際「からめ節」がどんな伝わり方をしていったか調べるのも、忘れはしません。

この探訪記が実に面白い。「なる程なあ」「なる程なあ」と面白さが加わっていくにつれ,著者の歩いたこれらの地を自分でも追ってみたいと思い始めました。

さて話はかわりますが、「菅江真澄」と言う人がいます。江戸後期、信濃、東北、北海道を遊歴して,世に「真澄遊覧記2 」と呼ばれる厖大な(ぼうだい)な記録を残した大旅行家です。

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この人は不思議な人で、どう不思議かというと名前がいくつかあってどうもはっきりしない、又故郷の豊橋(近辺らしい)を出てから二度と戻らない,又秋田周辺を旅していた時にはいつも頭から頭巾(ずきん)をとったことがない、等々...。

最後には秋田の角館で死んだ菅江真澄の人物と業績について研究する人達がつくっている「菅江真澄研究会」なるものが秋田にあって,(はばかりながら私も,会員なのですが,)研究誌「菅江真澄研究」を現在28号まで出しています。

その会誌に「秋田ふるさと紀行ガイドブック」が紹介されていました。取り寄せてみると全20コース、入念に書かれていてわかりやすい。

菅江真澄の歩いたところがふんだんに案内されているのはもちろん「金山踊り」の地も入ってます「どじょうすくい』で旅心が出ている所へ,このガイド...頃やよしです。この2冊を手にして、このゴールデンウイーク、建築工学科卒業生の青森の根本君の運転で同じく能代在の西方一家を道案内訳とし、同じく盛岡在の梅田君をカメラマンとして、そっちこっちをめぐって来ました。

鉱山町の各種文化施設に目を見張り、花岡鉱山の中国人強制連行の悲劇に思いをはせ,至所にある真澄の足跡に殆ど呆れ,封建思想打破をめざした思想家、安藤昌益の墓前で襟を正し、と楽しく有益な旅でした。

  1. 茂木真弘.どじょうすくいと金山踊り.無明舎出版(1994) []
  2. 菅江真澄.真澄遊覧記.平凡社 (2000) []

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