第096回 月形町樺戸博物館

西洋では、「学問の神様」と言われる「ふくろう」が私は好きで、本から始まって、置物、スタンド、のれん、セーター、Tシャツと、「ふくろうグッズ」が、今ではおよそ2,000程集まりましたが、この8月3日に、更に一点、珍しい「ミミズク」を入手しました。

「木曾の五木」と言われる銘木の一つに、「ネズコ」と呼ばれる木があります。これは、日本特産のひのき科の常緑喬木で、和名を「くろべ」と言い、昔はこの樹皮を火縄に用いたりした木です。手したのはこの「ネズコ」の樹齢200〜300年を経た物で作った一刀彫りの「みみずく」です。高さ、およそ20cm、美しい木目を上手に活かした見事な彫りで、「みみずく」の烈々たる気迫の面相が、うまく出ています。

入手したところは,月形町の「刑務所」の常設展示場です。作ったのは当然囚人です。(但し、この作者および作品は松本刑務所の由)

8月3日(土)断続的な霧雨の中、岩見沢経由で石狩の月形町へ行ってきました。実は、この町へは20数年前、一度訪ずれたことがあります。記憶に間違いなければ、この町の郷土史研究会主催の「監獄」だったか「行刑」だったかをめぐる勉強会が開かれて、偶々、所用で岩見沢にいた私は、月形—岩見沢間は、わずか23km弱ですから、バスで訪ねることにしたのでした。

確か、町役場の2階で開かれた集まりは、人数が20名足らずだったせいか、肩のこらないもので、網走刑務所で長いこと、獄吏(?)をしていたという人が招かれていて、思い出話をしました。話の大方は忘れてしまいましたが、いささか記憶に残っている物もないではありません。

「実に色々な囚人がいたが、その中で共産党の宮本顕治、私は共産主義は好かんが、宮本は終始毅然(きぜん=意志の強いさま)とした態度で、それは立派な物だった。」と言う話なぞ、覚えているものの一つです。

話のあと、一行は小柄な男性のえらく熱心な説明を受けながら、囚人の棟梁と、囚人の大工によって建てられた円福寺などを観て回ったのでした。この、傍目(はため)にも熱意のこもった、とわかる案内をしていた男性と言うのは、当時は、役場の吏員で、今は確か「郷土史研究会」の会長をしている筈の熊谷正吉さんです。

今回、私が に行ったのは、新しく出来た「月形樺戸博物館」を観るためです。昔の「集治監本庁舎」で、平成7年までは「行刑資料館」として使われた建物のうしろに、立派な博物館が出来ています。

(因みに「しゅうじかん」とは旧制で、徒刑、流刑、及び終身懲役などの囚人を拘禁したところ、です。)

初代の刑務所長「月形潔」の名をとって、「月形村」とされたこの地に、明治13年に,国事犯と重罪犯を収容する目的で建てられてから、大正8年まで39年間続いた樺戸集治監」の歴史が目にも心にも訴える多くの資料を使って「建設」、「囚人と看守」、「看守のくらし」と言った具合に、たくみに並べられていて、仲々勉強になります。

そして、この集治監について、もっと知りたい人の為に売店に置いてあるのが、幾春別出身で、元「北海タイムス」の記者だった、寺元界雄の「樺戸監獄史話」と「樺戸集治監獄話」の2冊です。(いずれも¥2,000)

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作家、吉村昭は昭和52年刊の小説「赤い人」で、この集治監の歴史と囚人生活の諸相を描きましたが、換言すれば、この集治監には、優に、一冊の」、しかも大部な小説を作ることが出来るほどの話題が蓄積されてある、という訳で、…その種本的な本とも言えるのが上記の2冊です。脱獄の話、追跡の話、過酷な使役のもと囚人が作った道路の話など、どれをとっても面白くない筈がありません。

只、私が不満だったのは、先述した熊谷正吉さんにも北海道新聞社、 ’92刊の名著「樺戸監獄」¥1,500があるのに、これが売店にないことです。(これはどうしてなのかな)③3

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こに書影をあげたいところですが、今、人に貸してあるので、それが出来ぬのが甚だ残念です。

さて、月形町が、過疎対策として、1980年誘致に成功して、1983年に出来たのが網走刑務所についで全国第2位の面積(120万平方メートル)を持つ「月形刑務所」です。

この誘致が決定した時に、熊谷正吉さんの吐いた言葉が、「アキアジは3年たったら故郷へ戻ってくるというが、やっぱり刑務所も帰ってきた。」というのですから、看守を祖父に持ち、母親からは監獄のエピソードを聞いて育ち、長じては、自身「樺戸監獄」研究に没頭してきた、熊谷さんの面目躍如たる言葉で、面白いと言っては失礼ですが、やはり面白い。

この刑務所の敷地内の一部にあるのが囚人の作品を並べた常設展示場で、そこで最初に述べたように「みみずく」を買ったのです。

さて日頃、舗装なった道路を、おそれ気もなくビュン〜と飛ばしているであろう貴方、(失礼!!)この夏休みにでも、この博物館に行ってみたら?。道内のそちこちの道路が実は囚人たちの手になるものだということを、つまりは、北海道の開拓の影の功労者である囚人の数々の業績を知ることも、北海道に生きている身としては大切なことではないか知らん。(何だか説教くさくなっちゃった。失敬!!失敬!!)

◎ 北海道開拓記念館.第36回特別展「集治監」の図録もいい文献です。又、1984年にはさっぽろのカメラマン、高野荘次郎氏が写真集「開拓の先駆者.樺戸囚人を偲んで」を出しています。(この2点なぞ町で余分に仕入れて売店に置いてくれると本好き、資料好きにはありがたいがなあ。)

尚、寺元界雄のほんは売店のみの販売(のようですから)希望の人は、TEL、FAX共に(0126‐53‐2399)の博物館に連絡してみては如何

  1. 寺元界雄・樺戸監獄史話・樺戸郡月形町 (1972) []
  2. 寺元界雄・樺戸集治監獄話・樺戸郡月形町 (1972) []
  3. 熊谷正吉・樺戸監獄・北海道新聞社 (1992) []

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