買って来たばかりの「橋」(日本の美術362、至文堂)を見ていると、「芸術としての橋」の章に、広重の「大はしあたけの夕立」と、それを模したゴッホの「雨中の橋」が出ています。
「雨中の橋」なら・・・と、杉本章子の直木賞受賞作「東京新大橋雨中図」と、この小説の主人公となった、明治維新期の浮世絵師、小林癸清親(きよちか)の画集を、本棚から出してきました。書名になっているこの画は、私の大好きなもので、杉本の文章を借りると、「ゆるく弧を描いた新大橋が画図のなかほどに架かり、灰色に薄墨と濃藍(こあい)を
流しこんだような雨空と、たゆたうように流れる川面とを截然(せつぜん)と分けている。川面には、遠くは橋杭(はしぐい)が、近くは舫(もや)い船が影を投げてゆらめいていた。清親は雨線を用いずに、橋の上を行き交う雨傘と、図面の右はしに配した大川端を行く女の蛇の目傘だけで、雨を表したつもりだった。」・・・というものです。
①1
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いつ見ても、いい画だな、いい雨だなあ、と惚惚(ほれぼれ)あいましたが、考えてみると、長いこと、いい雨だなあ・・・という気分になれるような雨は余りなかったような気がします。
──「室蘭民報」1996年8月15日(夕刊)より──
このまま秋になっちゃう?
七月からパッとしない天候が続いている室蘭地方だが、八月上旬も晴れの日はほとんどなく、平均気温は20度以下、日照時間も平年の半分と、夏が来ないまま秋を迎えそう。室蘭地方気象台による8月1日から10日までの天候で、晴れらしい日は5日だけ。ほとんどが曇りか雨、霧雨で、湿りっぱなし。平均気温も18.2度(平年値20.9
度)と平年より2度以上も低く、日照時間は26.9時間(同52.8時間)と平年の半分になっている。
─8月上旬まとめ─
7月の平均気温は平年並みだったが、降水量が平年の4割増、日照時間は6割足らずと夏には程遠く、8月に期待も高まっていたが、予報通りの湿った天候。11─13日もいま一つすっきとしない霧雨模様が多かった。「お盆すぎには秋風が吹き始める道内。からっと晴れる内陸と違い、太平洋沿いは南風に乗って霧が発生するため、室蘭地方に限ってみれば夏のない年」(同気象台)となったようだ。平均気温18.2度 日照時間は半分 湿りっぱなし、室蘭の夏
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土台、大学生時代には「放射能雨」が盛んに降って、危険だ、と言うので、私なぞも、雨中の外出のあとは、新聞に教えられたとうりに、傘を洗ったり、頭を洗ったり、と面倒ぐさがらずにやったものでした。
では今は安全かというと、困ったことに「酸性雨」があります。だけど、今の学生を見ていると、この「酸性雨」を物ともせずに濡れて歩きます。これが不思議ですが、
思えば、「酸性雨」にやられた赤枯れの樹木さながら、彼らの「茶髪」は、「酸性雨」によく似合うのです。(?)
ところで、前項のキリヌキを読んで下さい。今年の室蘭は、来る日も来る日も曇りか雨で、イヤ、ウットシイこと〜。
しかしまあ、清親ほどには情緒たっぷりといかずとも、すこしは雨を楽しむ気にならなきゃ、と気を取り直して読んだのが、小林亨の「雨の景観への招待」。
小林は、「名雨」なる語を新造し、「雨」とは、・・・「春夏秋冬として梅雨と秋霖(しゅうりん)、毎年繰り返される季節の循環、そのめぐる季節にアクセントを与え、季節の情趣を一段と鮮やかにしてくれるものの一つであった。」として、もっと「雨」を楽しもう、その「雨」によって一層引き立てられる風景に心を癒(いや)されよう・・・と呼びかけます。
わずか154項の本ながら、意表に出る発言に満ちていて、頭と心を心地好く刺激される、これはいいほんです。
──小林亨・著「雨の景観への招待 ─名雨のすすめ─」彰国社 ’96刊 ¥1,545──②2
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先日、ラヂオの天気予報の時間に、ベテラン、アナウンサー(と目される)と矢鱈キャーキャラーキャーと、かしましい女性アシスタントが、「急にザーッと降って、又急に止む雨は、何と言うのか、との問い合わせが来ているが、適切な言葉がありますか?」と言うと、気象予報士(?)の答えは「そんな言葉はありませんねぇ」で、それをアナウンサーが「矢っぱりね」と受けたのを聞いて、「冗談じゃないぞ、日本語はそれほど貧弱じゃないぞ」と、「代表的な言葉と意味」が載っている、先の本をすすめたいと思ったことでした。
話はかわって、今度は雨にたたられた「朝顔」の話です。昨年、西洋朝顔の苗を三株買って、二株はネットに這わせ、一株は樅の根方に植えて枝にのぼらせました。
「空色朝顔」なる種類で、又の名を「ヘブンリー、ブルー」と呼びます。さて、或る朝、驚いたのなんの、一株におよそ50の花がついているのです。合わせて約150。一株でテラス中の日除け棚をおおうほど育つとは聞いていたけれど、
これ程とは思いませんでした。隣家の奥さんもこれを見て、思わず「すごい、すごい、すごい」と、文字通り、三
嘆したものです。これですっかり嬉しくなって、今年は、「桔梗咲き」だ、「絞り咲き」だ、と5種類の種を蒔いたところ、
──渡辺好孝「江戸の変わり咲き朝顔」平凡社 ’96刊 ¥2,000──③3
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首尾能(よ)く発芽したので、庭におろしたのですが、これが6月の長い冷雨と寒風とで、のびません。のびないどころか腐ってしまったのもあります。
それで、我ながら芸がないことよ、と嘆きつつ、今年も又「空色朝顔」と「ダツラ=朝鮮朝顔」の一種「エンジェル、トランペット」の苗を買って来ましたが、「このまま秋になっちゃう」の天候の中で花つきの悪いこと。そこで来年こそはと思いつつ読んだのが次の二冊。
・は「江戸の変わり咲き朝顔」。これはタイトル通り、江戸以来の「変化朝顔=変わり咲き朝顔」につて語ったもの。多種多様な色と形の朝顔と、それを創り出すべく工夫と観察にとられるほど、面白いものです。
・は「アサガオ、江戸の贈りもの」。こちらは「変化朝顔」を含めて、朝顔全般の文化史に加えるに、交配と栽培のしかたを含めて、植物的立場から語ったもの。これが又面白い。例えば朝顔は、どうしてかくも短命なのか、さのはかなさの故を、貴方は知りたいと思いませんか? と言う訳で、正しく「雨読」を楽しんでいるところです。
──米田芳秋「アサガオ、江戸の贈りもの─夢から科学へ─」裳華房 ¥1,545─ ④4
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