`94.7寄稿
本年四月末、ドイツでは、第二次大戦中ユダヤ人の虐殺はなかったとするネオ(新)ナチ勢力のデマ宣伝を法的に禁止する判決がでました。
これまでも、ナチのシンボル、つまりスワステッカあるいはハーケンクロイツと呼ばれる赤い布地の中央に白く円を形どり、黒い駒十字を配したあのおぞましマークを公衆の面前に掲げることは州の政令などで禁止されていたのですが、ネオナチ勢力は「アウシュビッツでの虐殺はなかった、あれは歴史の偽造である」と主張し続け、最近の無学な若者達の中にはこれを信じる者もでてきました。これを憂慮したドイツ政府与党のキリスト教民主社会同盟と自由民主党は、五月に入ると、彼らのデマを法律で禁止することに合意して、関連法の改正案を連邦会議に上程し、これを可決しました。繰り返しますが、これからは、「ユダヤ人虐殺を否定するデマ宣伝」は法的に禁止されることになったのです。一方、フランスでは今年一月、レオタール国防相がボウル、ゴジャック大佐なる人を更送処分した事件がありました。事は陸軍資料編纂局に籍を置くこの軍人が、フランス軍の広報紙「SIRPA」に「ドレフェス事件」についての論文を発表したことに始まります。ドレフェス事件とは「1894フランス参謀本部に起こった売国疑獄事件。ユダヤ系砲兵大尉アルフレッド=ドレフェスが陸軍の国防に関する機密書類をドイツへ売却した嫌疑で悪魔島に終身禁固にされ、作家ゾラなどが人権擁護のため立って当局を弾劾した。後真犯人が現れて保釈されたが、当時社会的、政治的大事件として世界の耳目をあつた」(広辞苑)ものなのですが、この大佐が開陳した論旨は、ドレフェスの「無実は歴史家が認めている」が「ドレフェス派は左翼から人を集め、兵役に不満を持つ共和国主義者や軍の階級性を壊そうとする人が多かった」というもので「ドレフェスが意識的な犠牲者だったのか無意識的だったかは誰も答えられない」として暗にドレフェスの無罪に疑問を投げかけるものだったのです。
ユダヤ人ドレフェス大尉が、反ユダヤ主義という社会的偏見と軍部の横暴によって犠牲にされようとしたこの事件について、フランスの67%もの人が「この事件の教訓派現在も有効だ」と答えている由ですが、国防省もまた、この事件に学ぼうとしない大佐、ひいては軍部に対して更送と言う断呼たる処置をとることによって、先述のドイツに習って言うならば、「ドレフェスは無罪ではなかった」というデマ宣伝をする者は、これを罰するという強い態度を示したとみてよいでしょう。さらに国防相はドレフェスの映画のロケにも前任者が拒否した陸軍学校の使用を認めることで態度を一層明らかにしたのです。ちなみにこの映画では、ドレフェスを弁護する正義漢ピカール中佐を、アメリカのR、ドレフェスが演じましたが力不足で残念ながら凡作でした。それはともかく、この事件については、日本でも1930年に改造社から出た大佛次郎の「ドレフェス事件1 」を初めとして少ないながら文献がないではありません。
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悪魔島に幽閉されて五年にわたる無念の思いを味わったアルフレッド本人の「獄中記」もあれば、フランス軍部が捏造したとも言うべきこの事件で、「ドレフェスがもしユダヤ人でなかったら陸軍監獄に入れられることはなかったろうに」(傍点山下)として、弟の無罪証明に全力をあげた三歳年上の兄マチュウの「手記」もあります。世界各地で人種差別や外国人排斥が盛んな今こそ、これらの本は「歴史に学ぶ」と言う意味で改めて熟読されるべきでしょう。
「南京事件はデッチアゲだ」と、歴史の答案に書いたら落第点をとりそうな事を言う永野某なぞは、例えれば、テンパーレイ著「外国人が見た日本軍の暴行2」(龍渓書舎)などを読んだことはないのかな、と哀れにも、愚かにも見えてきます。
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本の話151(その2)1994(平成6年)7月26日室蘭民報
全国学生生活協同組合連合会では、「読書のいずみ」という名の雑誌を年に数回出していますが、以下にあげる文章は、1989年3月の新学期号の「学生時代の読書生活」なる企画に、乞われて、私が「世界、本、自分」と題して書いたものです。紙数があまりなかったので圧縮した文章になりましたが、まあ読んでみて下さい。
1956年、二十歳の誕生日に女友達から同年八月に出たV.フランクルの「夜と霧3」(みすず書房)[tmkm-amazon]4622039702[/tmkm-amazon]
を贈られて、それをきっかけ折良く続いて出たラッセルの「人工地獄4」(みすず書房)
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G.バイゼルボンの「声なき蜂起5」
、E.A.コーエンの「収容所における人間行動6」(共に岩波書店)等を読んで、人間の極限状況を出現させたナチスに深い嫌悪感を抱いた。
1987年の「夜7」(みすず書房)
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の著者エリーヴィーゼルは「あの時代に、ドイツは世界の中で最も教育の進んだ国で、ドイツの大学は世界中の最高水準にありました。その世界の中から一民族全体を根絶しようという思い付きが生じたのです。私にはそのわけが分かりません。記録、証言、詩、フィクション、ノンフィクションと、なにもかも読みました。ところが読めば読むほど、ますます分からなくなってきます」と語ったが、この人の序文をもつR.VISHIACの絶滅直前のワルシャワのユダヤ人社会を写した「A.VANISHED WORLD」(F.S.G.N.Y社)や、I.B.シンガーの「ワルシャワで大人になっていく少年物語8」(新潮社)
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等のページをめくる時、耳の奥に甦るのは、大学の担任だった五十年輩のドイツ系のs先生にユダヤ人絶滅の理由を尋ねた時に、「主イエスを裏ぎったユダの末裔いだから殺されて当然」と答えた彼女の声だ。その考えが庶民の間だに強く存在することは後年理解しはしたが、ヴィーゼル同様、分からぬままに児童書も含めてナチス関係の本には未だに私は目を通す。ナチスのウクライナでのユダヤ人迫害を描いたA.ルイコバフの「重い砂9」(偕成社)や、ナチ.イデオロギーとその人種論に肛門性欲的因子の影響があるという指摘を盛ったA.ダンデスの「鳥屋の梯子と人生はそも短くて糞まみれ10」(平凡社)
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も読んだばかりだ。ついでだが、高知の母親たちがナチスを主題とした児童書の優れた解説書を出したので読者にすすめたい(「アドルフを知っていますか」ホキ文庫刊)
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高校一年生の時にスターリンが死んだが、粛正ともいうもう一つの悪についても共にA,ジイドの「ソビエト旅行記修正11」(新潮社文庫)
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ロイ、メドヴェデフ「共産主義とは何か13」(共に三一書房)
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等を読んできたが、チエコフスカヤの「廃屋14」(けい草書房)
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E,S,ギンズブルク「明るい夜と暗い昼」(平凡社)等は粛正の内奥を抉って私を撃った。、、、以下は次回。煩瑣なほどに書名を並べたのは、書いた目的が学生を本に向かわせるためだからですが、今回、あえて再録したのは他でもありません。かってユダヤ人を抹殺したドイツで、またぞろネオ、ナチが横行し、トルコ他の異民族にたいする排撃が日常化しているからです。度を越した清潔主義者がドイツ人に多いのは、彼らがどの民族よりも幼くして排便の仕付を受けるために、成人すると眼前の不潔、汚穢に耐えられずこれを一掃したいとの欲求に取り付かれるからで、その具体化が、彼らが犬畜生または糞便にも等しいと見做す不潔なユダヤ人の絶滅につながるのだ、とのダンデスの本も含めて、改めて今こそこれらの本が読まれるべきだと考えます。
本の話 152 (その3)
前回は、私が「世界、本、自分」と題して、全国大学生活共同組合連合会発行の雑誌「読書のいずみ」に書いた文章の前半を再録しました。後半をつづけます。高校二年生の時、内山完造が講演の途次に旅館業の我が家に泊まったが、床の間の”山奥で読書中の陰士、山道には薪を背負った木しょう”という変哲もない画をみて「働く人画いるのに本を読むひとがいるのはよくない」と語った。私は憮然としたが、大学で「魯迅全集15」(岩波書店)を読んだのはやはり内山とのかいごうに、原因がある。
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後、内山から聞いた向坂逸郎の「嵐の中の百年ー学問弾圧小史ー16」(けいそう書房)
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を読み、思想が思想故に圧迫されるという憂えるべき問題に感心が向いてからは、「戦時下抵抗の研究」(みすず書房)で論じられるような事件や転向問題の本にも気を配って来た。中でも 「洋学の迫害」は好きな主題で、長英、華山等に対する興味から、高野長運の「高野長英伝17」(岩波書店)
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高橋慎一の「洋学思想論」、加藤文三の「学問の花ひらいて」(共に新日本出版)等は愛読書である。同じ高校二年生の時、S教諭の話したリラダンの「トリビュラア、ボノメ」(白水社)で私はエラスムス.ラブレーの紹介者である渡辺一夫を知、「蟻の歌18」(創文社)
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を皮切りに彼の著作を通じてフランス.ユマニスムの流れに身を置きたいと願った。その流れの中で近年読んだC・モルガンの「ドン・キホーテたち19」(田畑書店)
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、矢田部厚彦の「宰相ミッシェル.ド.ロピタルの生涯20」(読売新聞社)
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二冊の感動は至福と言っていいものだった。その頃私はまた、杉捷夫の「フランス文学」(朝日新聞社)を案内にエミールゾラに会う。「大地21 」
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「ジェルミナール22
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(共に岩波文庫)の魅力にも増して私に感銘を与えたのは「ドレフュス事件」での彼の態度である。今は稲葉三千男の「ドレフュス事件とゾラ23 」
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(青木書店)A.ドレフュス「ドレフュス獄中記24」(中央大学出版局)
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や、M.ドレフュスの「事件」(時事通信社)と文献は種々あるが、当時の私はA.フランスの「現代史」(白水社)等を合わせ読みながら、いわゆる、社会正義に目覚めたと思う。冤罪、良心の囚人、マイノリテイ(少数民族)アパルトヘイト(人種隔離)等の本に目配りを怠らぬのも、ゾラが発端である。かくして高校、大学の読書によって生じた問題意識が、現在もなお続いていることを自覚するのは或種の喜びである。絶えず異議を申し立てる「反抗的人間」たるべく望み、又その存在を許容する世界の実現を願って続けてきた読書体験の一面をなぞってみたが、美術、音楽、映画、限定本、豆本等も「読書の快楽」の対象として甲乙つけがたい分野であって、それらの主題毎の本の群れが我が一万五千冊の蔵書を構成している。憤る気持、面白がる気持を持続して、書物を友に我人生を演出したい。自分の生活を生彩あらしめるのは、他人ではなく自分なのだから。
上が全国の生協を持つ大学の学生に、本を読もうとの呼びかけの思いで書いた文章の後半部です。
さて、本欄百五十回目でドレフェス事件を取り上げた後、登別市立図書館の清野さんから、岸恵子の「ベラルーシの林檎」にドレフェスが出ていると知らせがきたので読んでみると、岸が靴屋で人種差別されたことがきっかけで同行のニコール.Bなる女性がユダヤ人、それもドレフュス事件の主役アルフレッドの孫であると判明し、又それを機に岸が人種の問題その他を理解していくという話です。
さて、ドレフュス事件を含めて私が列挙した本は一見古色を帯びて用済みに見えるかもしれませんが、どっこい、いずれも現代的意義を孕んで今なお息づいている名著であって、中のどれか一冊でも読者が手にして呉れるならば、拙文を再録した狙いも達せられる訳です。
「ドレフュス事件」と、それに対する私の思いは、1、2、3、を読んでいただくとして、ドレフュスの一族と、その人達に「ドレフュス事件」が及ぼしたものは何であったか、、、を迫った面白い本がでました。「ドレフュス家の一世紀25
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です。ついでに、「本の話」以後に出たもの2点あげておきました。
国家主義とドレフュス事件 モーリス.バレス著 稲葉 三千男訳26
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もう一つのドレフュス事件 シャルル.ペギー 新評論¥160027
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われらの青春ードレフュス事件を生きた人々 シャルル.ペギー中央出版¥1600 28
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- 大佛次郎.ドレフェス事件.創元社 (1951) [↩]
- テンパーレイ.外国人が見た日本軍の暴行,龍渓書舎(1972) [↩]
- V.フランクル.夜と霧.みすず書房; 新版版(2002) [↩]
- ラッセル.人工地獄.みすず書房(1957) [↩]
- G.バイゼルボン.声なき蜂起.岩波書店(1956) [↩]
- E.A.コーエン.収容所における人間行動.岩波書店(1956) [↩]
- エリーヴィーゼル.夜.みすず書房(1995) [↩]
- I.B.シンガー.ワルシャワで大人になっていく少年物語.新潮社(1995) [↩]
- A.ルイコバフ.重い砂.偕成社(1987) [↩]
- A.ダンデス.鳥屋の梯子と人生はそも短くて糞まみれ.平凡社(1998) [↩]
- A,ジイド.ソビエト旅行記修正.新潮社文庫(1950) [↩]
- R,コンクエスト.スターリンの恐怖政治.三一書房(1976) [↩]
- ロイ、メドヴェデフ.共産主義とは何か.三一書房(1973) [↩]
- チエコフスカヤ.廃屋.勁草書房 (1970) [↩]
- 魯迅.魯迅全集.筑摩書房 (1991) [↩]
- 向坂逸郎.嵐の中の百年ー学問弾圧小史.勁草書房(1952) [↩]
- 高野長運.高野長英伝.岩波書店(1943) [↩]
- 渡辺一夫.蟻の歌.創文社(1953) [↩]
- C・モルガン.ドン・キホーテたち.田畑書店(1985) [↩]
- 矢田部厚彦.宰相ミッシェル.ド.ロピタルの生涯.読売新聞社(1985) [↩]
- エミールゾラ.大地.岩波文庫(1953) [↩]
- エミールゾラ.ジェルミナール.岩波文庫(1954) [↩]
- 稲葉三千男.ドレフュス事件とゾラ創風社 (1996) [↩]
- A.ドレフュス.ドレフュス獄中記.中央大学出版局(1976) [↩]
- 平野新介.ドレフュス家の一世紀. 朝日新聞社 (1997) [↩]
- モーリス.バレス.国家主義とドレフュス事件.創風社(1994) [↩]
- シャルル.ペギー.もう一つのドレフュス事件.新評論(1981) [↩]
- シャルル.ペギー.われらの青春ードレフュス事件を生きた人々.中央出版(1976) [↩]