第194回 和気清麻呂と道鏡

`02.1.17(木)寄稿

私が昔付き合っていた女の妹の名が雅子だったが、今回話題にしようとする雅子さんは、そんなどこの馬の骨かわからぬ雅子さんではなくて、誰もが知っている

由緒ある雅子さんで、,,,そう、先日無事出産を終えた雅子さんその娘御、つまり皇孫の名が「愛子」と決まったと聞いて、私が連想したのは「和気清麻呂」(わけのきよまろ)のことだった。ナンデカを説明する前に,,,

和気清麻呂なんて名を、今時言ってみたとて、大方の人は”ナンテ読むの?ワケわからない!”となるのでは?と心配して、私は来合わせた淑女2人に聞いてみたら、ちゃんと知っていて,きよまろさんとはになる「道鏡(どうきょう)」の名もあげることが出来た。

しかしこの2人はすこぶるつきの読書家であるからして、ゆえにこの2人を標準とするワケには行かぬ。と言うワケで、いささかの解説をするが、

先ず

きよまろさん 733(天平5年)〜799(延暦18)この人は奈良時代末期のお役人さんで孝謙天皇(こうけん)に可愛がられた。しかし,孝謙が気に入った人物がもう一人いて、それが後で説明する「弓削道鏡=ゆげどうきょう1 」なる怪僧だった。先程きよまろさんとどうきょうさんが対になると言ったのは、こう言う事情からだ。

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さて孝謙天皇は718〜770(養老2〜宝亀1)実は女帝で,46代、48代と2回天皇をつとめた。一旦位を退いた天皇がもう一度位につくことを重祚(ちょうそ)と言うが,言うなれば,今、流行の一般からは批判かまびすしい公務員の再任制の皇室変型版と言ったところか?

重祚した彼女は,名を称徳天皇(しょうとく)と改めた。称徳天皇が道鏡をひいきにしたのは,彼女の病気が,道鏡の呪力で治ったからだが,彼女の引き立てが度が過ぎて、今度は道鏡を皇位につけようと言う次第に相成った。

道鏡を皇位につけるには,大分県は宇佐八幡宮の御神託が必要だ。神託とは神のお告げだ。

この時道鏡は,清麿呂に、自分の気に入る神託を伝えれば汝の出世は思いのままだぞと言った。ところが正直者の清麿呂2 その手にのらず,使者として神託を聞いたあとで、”我が国は臣(しん=家来)を君とすることはない、天皇には天皇の血筋の者を立て,無道(無道=道理にはずれたもの)の者は早く掃除せよ”との意見を述べた.ヤッタネ!!

結果,掃除されそうになって怒り狂った孝謙、いや称徳と道鏡は和気清麻呂(わけのきよまろ)を別部麻呂(わちべのきたなまろ)と(エゲツナイネエ!!)名を変えて流罪にした。何故に?九州は大隅にである。

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流される清麿呂さんは足の病を得て立つことが出来ぬ。そこで,宇佐八幡宮に祈って平癒(ひいゆ)を願おうと輿にのって大分に向かったが,宇佐郡の楉田村(しもだむら)についた時いづこからともなく現れた野猪(いのしし)が路の両側に300余頭も並び迎え、10余里ほどの路の前駆をつとめて,輿を守り、やがて山中に消えた。

このことあってから、この霊猪は清麿呂の随身(ずいじん)とされ清麿呂を祀った神社では拝殿前に,石彫りの猪一対が狛犬(こまいぬ)がわりに置かれている。

「十二支い3 」にはこのことに触れて,京都の護王神社をあげ,狛犬がわりの猪一対があるのは,全国この一社のみとしているが、これは間違いで.私の記憶では鹿児島県は霧島温泉の付近の牧園町にある「和気神社」にも置いてある。しかも、ここには一頭の神々しい白猪が鳥居の脇に飼われていて,その名がなんと、「愛ちゃん」と言うのであるぞよ.真白イノシシだぞ。

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この辺で、私が皇孫の命名をきいて「和気清麻呂」を連想した、その筋道がたどれるだろうか。

ところで,悪役の道鏡(?〜772,?〜宝亀3)だが、この怪僧は”祈りによって人の運命を掌る星の動きを変える”ことが出来る「宿曜秘法(すくようひほう)」なる呪法を身につけていた。この秘法によって,自分は死から救われた寿命をのばしてもらったとて,称徳の道鏡への思い入れが始まったワケだが、世に伝わる所では,称徳の熱の上げようには別の要因がある,,,,と言うことは,歴史好きなら皆承知のことで、しかし又清らかな人はこの別なる要因を聞けば、そんなキタナマロ、いやキタナい話しは聞きたくないと眉を潜めるだろうが,この話しはさけて通ることはできない。,,,のだ。

第一例えば、「道鏡」は日本歴史学会編纂と銘打った歴とした学術書だが,にもかかわらず著者,横田は,はしがきで”道鏡は俗説では古今無難の巨根の人のように言っている,,,〜巨根説の方は、もっといろいろ後代の俗説や,川柳、絵巻物などに通俗的興味そそるのがあるが〜”と述べるようにこれはふれずにはおれぬ話し柄なのである。

そこであっさりと角川の「日本伝奇伝説大辞典4 」を引いておこう。”「道鏡は座るとひざが三つ出来」女帝はその巨根をなお不足に思われて薯類(しょ=甘藷)をもって陰茎を造り用いたところ折れてこもり,引っぱりだそうとしたが,とれず、それが原因で没したことを記すー古事談巻―第一話によるーと。

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イヤハヤ!!サテサテ!!            上記川柳をもっと知りたい方は「川柳性風俗辞典5 」をどうぞ

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  1. 横田健一.道鏡.吉川弘文館(1988) []
  2. 平野邦学雄.和気清麻呂は.吉川弘文館(1986) []
  3. 江崎公朗.十二支い.中日出版社(1994) []
  4. 乾克己他.日本伝奇伝説大辞典.角川書店(1986) []
  5. 山本成之助.川柳性風俗事典.牧野出版 (1982) []

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