第229回 「第九、喜びの歌」に関するおすすめ本

`04.7月17日

今はどうか知らないが、スターリンが支配していたソビエトは、かって「白樺(ベリョースカ)」なる名前の国営の商店を日本に出していた。池袋のデパートの中にもあったし、銀座にも、新橋にもあった。一度買い物したあとで、こちらが望むと、商品カタログを送ってくるのだったが、私はそれで、ソビエト産のウォッカとワインを、そしてブランディを全銘柄飲んでみたことがある。

今でも酒のディスカウント店に行くと、ズブロフカもペッパーウォッカも珍しくもない酒になりさがっているが、30年、40年前、ジョニー黒やカティサークがまだ高級品であった時代には、グルジヤ、アルメニアの酒は中々どうして、それらにまさる貴重な酒だった(話途中だが、カティサークなど馬鹿に値が下がってしまったものだなあ)。ポーランドのズブロッカもまあ珍しかったが、当時、入手に一番苦労したのは、93度か94度だかの強さを誇るポーランドの「スピリタス」(だったよな)で、これは、北酒連に特別に頼んで入手したものだ。もう一点苦労したのは、アイルランド産の「ミード」なる蜂蜜酒。これを埼玉の輸入商で見つけたのはいいが、バラ売りせず、とのことで、仲間を募って頼んだものだ。インターネットの今ならともかく、当時は手紙によるのが唯一の手段だから中々大変だった。と言うところで、ソビエトに話を戻すと、こちらは「べリョースカ」が扱う酒を順繰りに頼んで取り寄せれば言い訳だから、まあ至極便利だった。「べリョースカ」は酒のみならず、色々売っていたが、事、本やらレコードとなると、「べリョースカ」では物足りない面もあった。

ところで、スターリンとその国に関する本はかなり読んで来たが、それは、ヒトラーと並んで、私がこの男を希代の悪魔的人間だと思うからの興味で、そして又、ヒトラーやスターリンにくっついた役人共の作り上げた官僚的な国家と言う物が、どれ程ひどい様相を呈するかを知りたいためでもあった。

ヒトラーもそうだが、スターリンの方も、読めば読む程“あきれる事のみ多かりき”なのであったが、そのあきれる事には怒りを感ずるのが大半であったけれども、中には呆れたあと、笑えてしまうものも少なからざる回数あって、今でも覚えているのに、ベートーベンの「第九」に関する話がある。記憶だけで、確かめずに書くが、これは、モスクワに赴任した女の人(編集業の人だった筈で芦沢と言ったかな?)の体験談で、話は公務員が制度の上にあぐらをかいてしまうと、かくも途方もなくダメなことをやらかすぞと言う話であって...(思い出した。鈴木俊子の「誰も書かなかったソ連1 」サンケイ出版だ。)

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事はレコードの話で、彼女は或る時「第九」のレコードを買って来て、聞く。第一楽章、第二楽章と進んで、愈々期待の最終章、かの有名な「歓喜の歌」の箇所に近づくと思いきや、途中でレコードは終わってしまったのだーと言う。

この際、演奏時間が著しくとろくさくて、かていとかレコードの回転数とかが、どうかしてたのか?とか、七面倒くさい理由を考える必要は毛頭なくて、要は欠陥商品だったのである。

レコ―ド工場(と言うのか)は製作枚数のノルマさえ果たせばいい訳で、第三楽章でちょちょ切れようが、最終楽章が早く終わり過ぎて、無音のミゾがまわっていようが知ったこったちゃない、と言うことなのだ。と言う訳。いやあこれには驚きかつ笑った。だって、思ってもみなさい。“フロイデ―シェーネル ゲッテルフンケル”と高々と唱われるのを今や遅しと待ち構えているのに、いきなり尻切れトンボになるとは、甚だ妙チキリンなもんじゃなかろうか。ところで、スターリンの腕は不揃いで、彼は、その短い方を気にして、いつもポケットに入れてた、と言う話は有名だが、そのスターリンが、パレードの際不動の姿勢で長い方を同じ角度で斜めにあげている図あれ、よく疲れぬものだと思っていたが、実は竹を細工したもので、支えていると言う話がある...これ、あり得るよなあ、これで又思い出した話。

天安門広場でのパレードだ何だと、毛沢東のやらかす祭典の際、広場に居並ぶ面々は、トイレなど行く訳に行かぬから、何日も前から、飲まず食わずで、そなえて、それでもダメで、頑張った結果直立不動+尿意に耐えかねて卒倒するのが結構いるんだって、そして、賢い奴は、竹筒などを仕込んで事に望むのだ...と通訳がいっとたな。

繊細居士たる私は、この話身にしみる。私もこれから、何か始まるなんて事になると、途端にトイレに行きたくなる口だから,,,だから私は声には自信がないではないが、と言っても、交友ひさしきにわたる声楽家の立野了子先生が、私を「メダカの学校」はおろか「タナゴ」にも「シシャモ」にも誘わぬのは、私の声を認めていないのかも知れぬーと言う事は当面の問題ではないから置くとしてー私は「第九」の合唱にだけは出たくない。だってみてごらん。最前列に出て歌うソロプチミスト―ありゃ間違ったーソロの歌い手たちはいいよ。第三楽章が終わった所で、やおら出てくる訳だから、それまでにしたい事は、すべてして来れる。それに引きかえ、あの後方のその他多勢は最初から出ずっぱり。あれには私は耐えられぬと自覚する。竹筒を仕込むか、紙おむつをする出なければ、私は衆人環視の中、あんなに長時間立ってられぬ。私は「第九」は聞くだけでいい。「第九初めて物語り2

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と言う訳で、私は「第九」を聞きに四国は鳴門市まで行って来た。6月の第一日曜日のこと、「えっ?何故12月じゃないの?って?」あのね、年末に「第九」を演奏する、それも、そこでも、ここでも、と言うのは実は日本だけなのです。

「第九の里ドイツ村3

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毎年12月には全国で100回を超える「第九」の演奏会があって、と言う事は、毎日それも複数回、日本のどこかで「歓喜の歌」が聞こえる訳....もう一度言うけれど、これは、日本だけの現象。別に12月に集中する確たる理由はないの!!

「えっ?じゃ何で6月か???」。それは1918年6月1日、徳島は鳴門、鳴門は「坂東捕虜収容所」で、日本で初めて「第九」が「ドイツ人捕虜」によって演奏されたのです。そして、それを記念して、今毎年6月第一日曜日に「第九」が演奏される事になって、今年で23回目            「どこにいようと、そこがドイツだ4

私が6月の経暑を物ともせずに行って来たのはその為。この日歌ったのは600人聞いたのは私を入れて1600にん。いやあよかった。「ある歓喜の歌5

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「ベートーベン」本人の指揮ぶりは、“彼はよくディミヌエンドを示すのに、段々しゃがんで行き、ピアニッシモでは殆ど指揮代の台の下を這うようにした。音量が増すにつれて、あたかも舞台の仕掛けから、飛び出すかのように伸び上がった。楽団がトウッティになると、殆ど巨人のように身を大きくして爪先立ち〜”と言うものだったらしいいが、この日の地元の若き指揮者も、思い入れたっぷりにやてたぞ。と言う訳で「第九」に関するおすすめの本4冊をあげる。喜びをもって読んでたもれ!!


  1. 鈴木俊子.誰も書かなかったソ連.文藝春秋(1979) []
  2. 横田正一郎.第九初めて物語り.朔北社(2002) []
  3. 林啓介.第九の里ドイツ村.海鳴社(1982) []
  4. 鳴門市ドイツ館.どこにいようと、そこがドイツだ.鳴門市(2003) []
  5. 大塚茂樹.ある歓喜の歌.同時代社(1994) []

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