第247回 音楽の役割は?ヒトラーとマーラー

`06.1.14

昨年(10月だったか)「室蘭民報」の創刊60周年記念祝賀会の会場で、(株)「エルム楽器」の小鷹室蘭支店長から、来春(即ち今年)にピアノの個人教授をしている先生方を対象に、講演会をして欲しいと頼まれた。20代から40代位迄の殆ど女の先生達だと言う。「内容はおまかせします」と言うことなので、私は引き受けたが、今年に入って細部の打ち合わせに、小鷹さんが来館した時に、私は「演題」を「悪人でも音楽家たり得るか?」にすると告げた。これは講演を引き受けた時、私の頭に瞬時に浮かんでいたもので、ピアノの先生達はいったいどのような気持ちで音楽を学び、又それを人に伝えるのだろう、と言うような疑問がいつも私の関心のなかにあるからだった。

これは、何も音楽に限った話ではなく、文学においてもそうで例えば、革新的な文学作品を読み研究している人が、その生活やら思想やらにさっぱり、その影が見えて来ないと言う人もいて、そんな時は、この人は、只読んでいるだけで、「文学してないんじゃないの?」と言った気分になるからだった。

モーツアルトは善人だったか?、ベートーベンは偽善者だったか?、ワグナーは、碌でなしだったか?と言うようなことは、一概に言えないにしても、聞く耳に限りなく心地よく響く音楽を創る人が、限りなく、悪魔的な人であったら,事はどうなるのだろう、,,,と言った疑問が絶えず頭にあるので、それを話してみたいと思った訳だ。

この辺りから話に入りたいが,貴方は,ナチスの時代を扱った映画や,写真集で囚人服を着せられやせおとろえたユダヤ人の音楽家達が,これ又労役に出かける囚人達や,点呼を受ける囚人達や,或は収容所に到着したばかりの囚人達の前で,クラシックを演奏している場面を見たことがないだろうか?

ここで囚人達と言ったのは、もちろんナチスの側からの名称で,この人達は,強制収容所に集められたユダヤ人や,ロマ(ジプシー)や,政治犯(これもナチスからみ手の)達であったことは言う迄もない。

ヒットラーは600万人のユダヤ人を焼き殺したが、その焼き殺すと言う行為の最中においてさえ,焼き殺される人間達の中から選んだと言うよりも,名乗り出た音楽経験者を集めて,楽団を編成し,耳に妙なる音楽を奏でさせたのであった。そして、そのあと、この音楽経験者と言う特技で生き延びた人も入れば、病み衰えて殺された人もいたのだった。「ユダヤ人音楽家1

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今、私の前に一枚の写真がある。それは1994年4月8日の新聞に載ったもので,「バイオリンを奏でるジャックストロームザさん80歳」と説明してあって,この人は,この日ユダヤ人大量虐殺を意味するホロコースト追悼の日にポーランドの、かつて悪名高き「アウシュビッツ収容所」のあった場所で犠牲者を悼んで,バイオリンをひているのだった。因みにこの人は,バイオリンの腕に救われて焼却炉に送り込まれることからまぬがれることが出来た一人なのだ。

人間を焼き殺している場所でこれから焼き殺す人間に、音楽を演奏させる神経、思想と言うものは如何なるものでああろうか。そんなことは有り得る筈がないと言う人もいようが、この想像するも難しい事実を描いたのが、原題を「死の国の音楽隊」とする、「アウシュビッツの奇跡2 」だ。

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ところで貴方はワグナーが好きだろうか?嫌いだろうか?、いやそう問いかける前に、貴方は、ユダヤ人達を次々と焼却炉、或はガス室に送り込む際に、バックミュージックとしてしいばしば、やせおとろえたユダヤ人達によってワグナーの音楽が演奏されたことを御存知だろうか?

レース生き延びたユダヤ人達がワグナーの音楽を耳にした時の苦しみに満ちた複雑な思いを御存知だろうか?こう言うことを知った上で、貴方は、未だ、そんなこと、音楽とは関係ない,,,ワグナーはワグナーだと言い得るだろうか?

ワグナーは実は、極め付きのユダヤ人嫌いだった。極め付きのユダヤ人嫌いと言えば、宗教改革の大立役者、かの、アルチン・ルターもそうであったが。

それはともかく、ここに上げていないが、そのワグナーのユダヤ人嫌いを扱ったものに、ワグナーの曾孫、ゴットフリート・ワグナーによる「ワグナーと人種差別問題 」(BOC出版部`95刊¥700)があるので、一読をすすめたい。

さて、以上の理由からして、ワグナーの音楽はユダヤ人の音楽の耳に快良い筈はない。為にワグナーの音楽は第二次大戦後のイスラエルでは禁止曲であって,一切演奏されていなかった。私はこの処置を正しいとみる。しかし,1990年代になって,新しい動きが出た。日本でも有名なダニエル・バレンボイム(当時47歳)が4月,日本は東京で,「ワグナーの音楽史上の重要な位置から見て、いつかは演奏されねばならぬもの」と強調した上で1991年1月にイスラエルフィルを指揮して,ワグナーを解禁するーと発表したのだった。

さて,ヒトラーが好んだのはワグナーや,ブルックナーや,R・シュトラウスだったが、嫌ったのはユダヤ人のグスタフ・マーラーだった。このマーラーに関しても,象徴的な出来事があった。それは,1969年の9月9日のことだが,ベルリンに作られた「ユダヤ人博物館」のオープン記念式典で,マーラーの交響曲第7番が演奏されたことだ。「マーラーとヒトラー3

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この博物館の館長はアメリカ人(もちろんユダヤ人)のブルーメンタールだが、彼はマーラーの第7番のをば「希望に満ちた楽観的な楽章で終わっている」とし、こうした名曲を創ったのが他ならぬ「ドイツ語圏の文化に貢献したユダヤ人の典型的」な作曲家であるマーラーだと強調し,ドイツ人とユダヤ人との平和共存を望んだのだった。

私は,音楽なるもののあり方は,フランスの人文主義作家、ジョルジョ・デュアメルの述べる如く「慰め」にあると考える者だが,違うだろうか?「慰めの音楽4

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皮肉なことに,デュアメルの名著を訳したのは詩人尾崎喜八だが,このチョビヒゲの小柄な男は,又、戦争中、軍部に協力した便乗主義者だった。この事については拙著「本の話」第265回を読んでいただきたい。人間憎悪の音楽を創った人も,それを楽しんだ人も,音楽家たりうるのだろうか??

  1. 牛山剛.ユダヤ人音楽家.ミルトス双書.(1991) []
  2. 大久保喬樹.アウシュビッツの奇跡.音楽の友社(1974) []
  3. 二見健二.マーラーとヒトラー・生の歌死の歌.二見書房(1988) []
  4. デュアメル.慰めの音楽.白水社(1963) []

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