第276回 漢字の品格?、他 面白い本3冊

`08.8.5寄稿

常用漢字というものがあって、これは「社会生活における漢字使用の目安」として1981年に告示されたもので、目下,1945字で構成されているそうな。ところが、これが見直しが必要だとて、文化審議会の中のワーキンググループと思しき漢字小委員会が検討の結果、新たに188字を加えるべく、その追加候補の字を、文化審の中の、これ又国語分科会に報告したそうな。これ、今年6月から7月中にかけて新聞に出たもの。これを選んだときの基準と言うか、目安と言うか,,,は、仕様頻度によるらしく、「銃」「刃」などは外されて、逆に「藤」「誰」あいさつの「挨」「拶」や、「椅」などが加えられ、結果として、1945字から2128字に増えるらしい。

私は文章を書くに当って、この常用漢字なるものを参考にした、と言うより,見た事は一切なく、いつも思う通りに書いている.理由を言い出すと面倒臭いから、只、そうしているだけと言っておくが,例えば,自分の書いた文章が新聞に載る際に、「仲々入手しがたい」とやると、仲々(なかなか)、慈愛充溢とやると,充溢(じゅういつ),ご存知とやると,知(じ)、呆れたとやる、呆(あき)と振り仮名がついていて、いやまあ、御苦労なことよなあ、と思ってしまう。

ところで、今回の追加云々(うんぬん)で私が「何を言ってんだか」と呆れたのは「俺」(おれ)の字。何でも委員会では「俺は使用頻度が高いから,常用漢字にすべきだ」との意見に対して、「子供に使わせたくない言葉だから、あえて加える必要があるのか」との反論が出て,結局、結論は先送りされたとの事。

ここで思うに「子供に使わせたくない」と言うのはきっと「品が良くないから」との前提がついてんだろうなと言うこと。

しかし他は知らず,私は、ここ室蘭の地で幼稚園、小・中・高とやって来たが、「僕」なんぞは絶えて使ったことがない。大学に行っても「俺」だったし、相手に対しても「君』だなんて言った記憶は,2,3回あるだろうか?位のものだ。ずっと「俺」でやってるが,実際「俺」のどこが悪いんだろう。

ここで,面白いと「俺」には思える使用例を一つ紹介する。御存知「良寛」の話。良寛の行状を描いた「良寛禅師奇話1 」によると,良寛は、自分の持ち物、例えば法具とか笠などに、「良寛」所有とは書かず、全部、只「おれがの」或は「ほんとにおれがの」と書いていた由。後者は「これ、本当に俺のだぞ」との意味だ。これで良寛が下品になるか???

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「良寛のスローライフ2

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ここで突然思い出したが,小学校時代に「君、金玉出したまえ,僕ポッキリ切ってやる」と言い合うのが流行ったが,あれ,今思うに,田舎っぺが都会っ子のキザな言い草をからかう行為だったのではないかしらん。

「コタンの口笛3 」の著者・石森延男が、実は戦中、教科書の検定官だった,,,,と知ると名作と称される「コタン〜」の方も,何やら「ありがたみ」が薄れないでもないが、

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それはさておき、かの横尾忠則が,気の毒にもこの検定に引っかかった.今年の3月のこと.私自身は、横尾の作品を好きでも嫌いでもないが,,,,話はこうだ。

日本文化出版の高校用の「美術Ⅲ」に、横尾の1965年作のポスター,それは故土方巽等が主催した「暗黒舞踏派提携記念公演」用のものだが、「芸術価値を否定するものではなく,高校生の教科書として配慮不十分との判断」との説明がついて、「健全な情操の育成に必要な配慮を欠いている」として、不採用となった云々。

そのポスターは,ルーヴルにある「カブリエル・デストレとその姉妹」を主題(モチーフ)としたもので。絵の左上に「私の娘展示即売会場」の字があるのがいけぬのだと言う。横尾の言い分は、「作品はアーティストにとってある種の子ども.”私の娘”はそう言う趣旨で、舞踏を公演会場で売ると言う意味、それも読み取れないのは想像力の貧困のあらわれだ」だ。そのモチーフとなった絵は作者不詳。

私がこの絵に初めてお目にかかったのは、大学1年の時で、たしか荒城秀夫の「西洋好色画集」でだった。荒城は戦中、軍部にベッタリの卑劣な美術評論家だが、この絵を「同性愛」の絵と解説しとった。まあ、そんなトンチキの言うことはさておいて、この絵の持つ意味については中野京子が卓抜な解釈をしている。「怖い絵 4  」秘話に近いその解釈を、本を買いもせぬ人に、ここでしてしまうと,中野の営業妨害になるから止す。検定官のオタンコナスも,こう言う本を読んでりゃなあ。

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それにしても横尾にとっては降ってわいた災難だ。

拙著「本の話」もそうだが(??)「どこから読んでも面白い本」とは、長山晴生のような本だ「奇想科学の冒険5

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全8章で9人(作家の横光利一を入れると10人)の人と業績を語るのだが、中の一人西村真琴は、水戸黄門をやった西村晃の父親だ。

この父親、北大の水産学部の教授で,マリモを研究して、東大から博士号をもらったが、後にロボット作りに精を出した。

「ロボット」はチェコの作家カレル・チャペックリの造語とは常識だが、西村が昭和3年に作ったロボットは「学天則」なる名前を持つロボットで、その表情は「世界諸人種の特徴+キリストやら仏陀の表情で」で、このロボットが自身出来る事は、微笑むことと、字を書くことだったが、これが行方不明になってしまった。

それがこの6月に80年振りに復元された。大阪市立科学館で展示中.読むべし見るべし。

民主政権アジェンデが、チリの軍事政権に倒された時、アジェンデを支持し、愛と平等を歌い、不正を指弾する民衆派の歌手ビクトル・ハラは拉致されて、見せしめのために5000人の市民の前で、ギター弾くてを砕かれ、殺された。今年は没後35年だ。最新刊の「ビクトル・ハラ平和に生きる権利6 」音楽センター刊は¥3,500はCD付きだ。読むべし聴くべし。

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「終わりなき歌7  」

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これを書いている今日、庭に「ジョオビタキ」が来てヒッヒッと鳴いて餌を探している。これ、秋から初冬への鳥の筈。少し来るのが早過ぎないか。

  1. 解良栄重.良寛禅師奇話.野島出版 (1998) []
  2. 松本市壽.良寛のスローライフ.日本放送出版協会(2008) []
  3. 石森延男.コタンの口笛.偕成社(2000) []
  4. 中野京子.怖い絵.朝日出版社(2008) []
  5. 長山晴生.奇想科学の冒険.平凡社新書(2007) []
  6. ジョーン・ハラ.ビクトル・ハラ平和に生きる権利.音楽センター刊(2008) []
  7. ビクトル・ハラ.終わりなき歌.新日本出版社(1985) []

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