`07.2月寄稿
世に八卦(はっけ)判断と言うことばがあるが、この八卦をする人を,八卦見、或は八卦置(はっけおき)と言うらしい。そして八卦とは「うらない」即ち、「易」のことで、「易」とは、中国の思想書「易経」の説くところにしたがって、算木(さんぎ)と筮竹(ぜいちく)とを使って、吉凶を判断するうらないの方法で、古くから中国で行われた。これが広く民間に伝わったのは,この他に2つある「うらない」の中で、この方法が一番簡単だったからだと言う。
物の本によると,「易」なる字は蜥蜴(とかげ)の象形文字だそうで,蜥蜴の色が時によって変わるように、森羅万象(しんらばんしょう)=宇宙の一切のもの)が陰陽2つの気を元にして、千変万化(せんぺんばんか)することを意味するのだと言う。...ここまでアンダースタンド?
古代中国で起こったこの「うらない」が...因みに、3つの方法の創始者は、伏犠・文王・孔子...、日本に伝わったのは、もちろん帰化人たる百済(くだら)などの人によってであるが、この「うらない」が信ずるにたるものであるのか、ないのか、それは私には皆目わからぬ。
只、日本人がいたく愛読する...と言っても最近では、そうでもなさそうだが...ノーベル文学賞のドイツの作家へルマン・ヘッセが1943年に書いた「ガラス玉演戯」が私が高校3年の時に高橋健二によって翻訳され、河出書房の世界文学全集に入って出たが、その時の紹介に、ヘッセがこの作品の中で東洋=中国の易学に対して、人類が生んだ英知と言った意味合いの、高い評価を与えている云々と言った文章があって、私はこれに引っかかって、その時は読まず、これがたたって今だに「ガラス玉演戯」は読んでないから、ヘッセの評価云々の真偽は、はっきりせぬ。
しかし、何で私がこの個所に引っかかったか?と言うと、「易」と言う体系だった思想に対してどうのこうのでなくて、ごくごく浅い、低い次元での占い=人相見・手相見に、余り信を置いていないからなのだ。と言うのは、とるに足らぬ体験で、聞かせるのも相すまぬと言ったものっだが....小・中・高と我が家に遊びに来てた弁護士がいて、この人は巷では手相見・人相見が上手と言われていた人で、この人が当時、私(小学校5年)の人相と手相をとくと見た上で、「母さん、母さん、この子は高校3年迄もつかどうか危ないよ」と母に言ったのである。そして付け足して「だからよく養生させなくちゃ」と言ったのだ。
母がどう答えたかは記憶になく、言われた当人としてはショックでないと言えば嘘で、かなり気落ちしたものだが、母がその後、何か特別に美味しいものを喰わせ手くれたとか、湯治に行かしてくれたと言うことが全くなかったから、母は、この今にして思えば「ヘボ占師」の言を歯牙にかけなかったのだろう。そして私は今70歳だ。
もう一つ...大学1年の時、池袋の駅前で、大道野師が通行人に円陣を作らせて八卦の本を売っていた。今の高層ビルが林立する池袋とは違って、その頃の池袋は,音羽の方から来る?番線だかの都電の終着駅で[「人世座」]なる名画の劇場がある位で、もっとも西口には闇市が広がっていたが、その野師が本を売った揚げ句、ぐるりを見渡して「もっと広く己の行く末を知りたい方は?」とか言って,手を上げた2.3人をまとめて引率しようとして、何を思ったか私にも声をかけ...と言うことは,私も余程、間のヌケた顔をしていたのであろうが、そして、当の私も又、口車に乗せられて、ひょいと付いて行ったのだった。
行った先は仕舞屋(しもたや)で、そこで3帖間程の小室に別々に入れられて、違う男が出て来て、八卦見の図表みたいのを前に、ものすごい早口で予言された(らしい)。何を言っているのか全然分からず、ボーとしていると「はい終わり]とて、¥500だか¥1000だかを取られて外に出された。
この2つのアホ体験が、今だに私を[占い疑い人間」にしているのである。そしてそれに+(ぷらす)もう一つある。それは高島象山(しょうざん明治19〜昭和34 1886〜1959)のことで、この人は高島流易学の開祖高島呑象(どんしょう)の後継者を自称した人だ。呑象こと嘉右衛門は、北海道に関係がある人で、つまり「北炭」の社長などを勤めた実業家だ。
象山の方は、自称と言う位だから、もともと怪しかったのだろうが、この人昭和7年に神田の駅前に「高島易断総本部」を開いたのはいいが、ノイローゼーの青年によって刺殺された。これが私には一番解せぬ。人の運命を占う身が、どうして我が身の「険難(けんなん)」を予測出来ぬのだろう。そして、そんな易者の占いをどうして信用できようか。
ところで、今私が一番社会的に害悪ではないか?と思っている占い師は、細木数子だ。ナニカと言えば先祖供養がたりぬとか、墓相が悪いとか言って相手をおどかす話が終わると、隣室に墓屋が控えていて、と言うことは、細木とぐるになって墓を売ると言うことで、この墓石販売などの売り上げが年間24億だと言う。墓屋との結託振りは、柿田陸夫「現代葬儀考1 」(新日本出版社)を参照あれ!
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話を変えるが、山口組をテーマにヤクザの世界を告発し続けるルポライター溝口敦(あつし)の息子が、父親の代わりにヤクザに襲われ怪我をして、その犯人が先日”言論に対する暴力”として実刑を受けた。
その溝口が今度出した本が「細木数子―魔女の履歴書2 」(講談社)だ。
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溝口は細木とヤクザ―暴力団とのつながりを綿密に実証する。以前細木に右翼の黒幕・安岡正篤(やすおかまさひろ)が付いていると言うことをルポしたのは、確か「文春」の記者だったが、得意顔の石原都知事みたいのをば大いに褒め上げ,名もなき(イヤアルか)無力のタレント供を「ズバリ言うわよ」とおどかし...と全くやることがえげつない。
しかし、何でこう皆して占ってもらいたいのだろう。心の弱み=おそれ・うたぐり・怒りに付け込む占い師達がはびこるのは実に嘆かわしい。占いが流行るのと、幽霊・妖怪が流行るのとは、根が一緒ではあるまいか?。
今私は、妖怪と幽霊について講演を頼まれているのだが、妖怪もユーレイも、一つのことに執着する心の冥(くら)いしこりから生ずるものではあるまいか。
思うに、理性なき「瞋恚(しんい)の炎」ほど、自他共を害するものはない。「瞋恚]とは、激しい怒り、恨み、憎しみのことを言う。「妖怪事典3 」
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「妖怪百物語絵巻4 」
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「芳年妖怪百景5 」
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