過ぐる3月7日〜11日迄、苫小牧の文化交流センター(愛称:アイビープラザ)で、「世界蔵書票展」が開かれた。
これは前号で紹介したように,私が10年来沼の端小学校の5年生を対象に「本への誘い」の一手法として、「蔵書票」の作製を通して,自分の本を持つことの楽しさに目覚めよう,強いては積読(つんどく)から実際に読むまでの嬉しさを自分のものとしようとの運動が、「日本書票協会」の知る所となり、沼の端小学校の作品と,日本・そして世界の、更には台湾の小学生の作品をも含めて,展示会をしようとの運びになって実現したものだ。
私は提案者として、この思いもしなかった「結実」に大いに気をよくしつつ、初日と最終日には,主催者にたのまれてミニ講演会なるものを開いて,来館中のお客さん50人余りに「蔵書印」と「蔵書票」について話をした。最終日の午前中には岩倉市長も観に来た。私は地元の「苫小牧ケーブルテレビ」の千葉さんからインタビューを受けている最中だったので,市長の説明役は、この展覧会の実行委員長・墨谷真澄さんがした。
私はインタビューを終えてから、墨谷さんの補足的説明をした。岩倉市長に対して私は、「紙の街」苫小牧に「紙の宝石」なる蔵書票が如何にふさわしいものであるかを説明したが、市長は「よく分かった。色々考えて行きましょう」と言って、墨谷さんと私の肩を叩いて帰っていった。・・・・で、そのあとのニュースだが、沼ノ端小学校の石川校長が苫小牧の図書館に行くと,上田館長が興奮の面持ちで出て来て「先生、大変なことになって来ましたよ」とて・・・何でも、展覧会中に開かれていた市議会で,或る市議が、「苫小牧の文化に対する市長の見解は?云々」と質した所,市長が答えて曰く、「私は”世界蔵書票展”に言って来た。蔵書票が「紙の宝石」と言われる所以もよく分かった。ついては”紙の街”にふさわしい”紙の宝石”の普及に力を入れて行きたい」〜云々と。ついでそのあと墨谷さんが図書館に行くと、又しても上田館長が嬉しい顔で「校長先生からお聞きでしょうが・・・」と前置きして,同じ話をしたと言う。「紙の宝石」、蔵書票が僅か方寸の紙片に,一級の芸術作品にも見まごう美の世界を現出するからで,実に云い得て妙の名称であるが,これは字句のみならず、その持っている意味、実体は正しく「紙の街」にふさわしいものと思われる。市長の以後の言動に期して待つこと大である。①1
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さて市長の言のあと、もう一つ面白い動きがあって、それは高踏的趣味誌にして、又生活に根ざした趣味誌でもある季刊誌「銀花」が、やはり沼ノ端小学校の取り組みに感じ入って、これを取材に来たことがある。3月19日月曜日、私は沼ノ端に出かけて、10時から16時30分頃まで、墨谷さん、石川校長、山崎先生、辻先生そして生徒達共々取材に応じたり、見学したりした。「銀花」の狙いは当然「日本書票協会」のものと違って、生徒の側からみた「蔵書票造り」を中心にこの運動の価値を見つめたいと言うもので、インタビュアーの矢島さんとカメラマンの伊藤さんとは児童一人ひとりに話を聞いて,丹念な取材だった。
伊藤カメラマンは,生徒達が各々自分の作った蔵書票を手にして、「館長さん、見て見て」と迫る場面を撮ったあと、「全道の小学校を歩いているが、こんなに素直な反応は初めてです。」の意のことを言っていた。
蔵書票体験のことを聞かれた生徒達は、交々(こもごも)いろんなことを言ったが中で一人が「自分で作った蔵書票を本に貼ったら、その本を大事にしようと思う気持ちがわいて来た」といって、聞いた石川校長は「この言葉は嬉しかったなあ」と言っていた。
又、台湾の小学生の作品をみての感想は?と聞かれると、大方の生徒が異口同音に「余り上手なのでびっくりした」「自分と同じ年の子の作品とは思えなかった」「かなわないと思ってガンバらなきゃと負けぬ気になった」。逆に、「かなわないと思って作る気が減った」「自分の入賞作品が幼く見えて展覧会で外して欲しくなった」などなどと述べて、これ又台湾に連絡して良かったなあと思ったことだった。
序でにもう一つ付け足すと、「紙の街フェステバル」の委員とも連絡がついて、今年のフェステバルには共済の形で如何か?との申し出があった。あれやこれやで、これからの蔵書票をめぐる動きが楽しみである。
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