第249回 コレクションと美術館

昨年の2月に、東京都美術館で「ニューヨーク・バーク・コレクション展」なるものが開かれた。観に行きたかったが、そうおいそれとは行けぬので、図録でがまんした、、、、が、それを観、感嘆するよりも殆ど呆れた。と言うのは、これはメアリー・バークと言うアメリカの女性が一代で蒐めたコレクションなのだが、その収集の視野の広さと、蒐められたものの質の高さは言わずもがな、、、、、だが、、、いくらアメリカ人が金持ちだからと言っても、これ程の財力とは一体何だろうと言うことと、財力はともかくとして、これだけの逸品が、まだ売り買いの対象とて国内にあるのか、と言う点に呆れたのである。メアリー夫人は、鉄道やら銀行屋らの実業家の奥さんで、、、、それはそうだろうが、これにかかったお金の総体はおおよそ想像を絶する者であるに違いない。

お金には終生縁がない私だから、想像する前でやめておくが、その作品の凄さと来たら、例えば俵屋宗達の「伊勢物語図色紙(宇津山図)」だの、池大雅の「蘭亭曲水秋社図屏風」だの、曾我蕭白(そがしょうはく)の「石橋図」だの,伊藤若冲(じゃくちゅう)の「月下白梅図」だの、、、と、えっ、これ皆アメリカに売られているの?、いや,売っちゃっていいの?と思わざるを得ないような作品が、ズラリと並んでいるのだ。そりゃまあ第二次大戦の敗戦後間近の日本から蒐めたのだから、蒐める側にとっては絶好の時代だったろうが、それにしても、これだけの質と量のものが一代で成されたとは、やはり呆れに近い感想が正直な所だ。断っておくが、私はこれ、つまり、日本から持ち去られた結果のコレクションがケシカランと言いたいのでは毛頭ない。よくもまあ、売りも売ったり、買いも買ったりと思いつつ、その蒐められた心意気と言うか、情熱と言うか、そして又、周囲の助けもあったにしても、婦人自身の勉強・研鑽の結果の目利き振りとに三嘆しているのである。偉いものだ。

丁度同じ頃、「プーシキン美術館展」もやっていたが、私は昔この美術館に行ったことがあるので、図録はとらなんだ。さて、昨今各地の美術館や博物館が軒並み経営困難となって、中には閉館に追詰められてしまった館もすくなくない。これは、私営の所ばかりでなくて国立のものでも、入場者減で先行きが危ぶまれている所があちこちにある。何でも入場者数、つまり効率一点張りで判断する行政に対して、美術館や博物館にはそうした考え方はふさわしくないとし、それこそ有識者たちも声を上げ始めて居るくらいだ。それが、不思議なことに展覧会は大いに盛んの様子だ。しかし残念なことに、この展覧会の殆どが東京・大阪を初めとする大都市中心なことだ。

話を変えるが、昨年1年間でコンサートなるものが、1万回ひらかれたそうだが、その中ナント6000回は東京・大阪を会場としたものと言う。つまり圧倒的に地方が少ないと言うことだ。して又、つまりこれは、「文化の格差」と言うことだ。これは江戸の昔から変わらぬことだから、と言ってしまえばそれまでの事だが、この格差が一向に縮まらぬどころか、大きくなっているのが気にくわぬ。展覧会にしてもそうだ。全く同じ状況で、田舎住まいでは観るに値する展覧会を、居ながらにして観ると言うことは先ず完全に出来ぬ.それじゃどうにもならぬから、図録が必要となり、写真集が必要となる。ところで又話を変えるが、御存知のように「ふくろう文庫」は美術書を中心に蒐集している。この「ふくろう文庫」について、先日変わった質問をする人がいた。それは「ふくろう文庫」は何冊になったら終わるのか?と言うもので、私はこれには本当に驚いた.「コレクションと言うものに終わりがない」と言うのが、コレクションのコレクションたるゆえんだが、その人はどうもそうは思わぬらしい。例える相手が大き過ぎて,例えが悪いと言割れればそれ迄だが、例えば「ルーブル美術館」が何点蒐めたら終わりと言うような事を考え、そして言うだろうか?。又メトロポリタン美術館が建物が狭くなったので、蒐集を止めますと言うだろうか?。「ふくろう文庫」とて同じ事で,終わりはないのである。しかも、ルーブルもメトロポリタンも、そして,「ふくろう文庫」も我が身一人のための蒐集ではないのであって、人類が遺した美しいものを一人でも多くの人に見てもらいたい、との、つまり公共のための蒐集、展示なのだから、これを途中で止めようと言うことは、そもそも有り得ないのである。

話がそれた。各地ですぐれた展覧会が開かれ、それを実地に観る事が出来る人は幸いなるかな。しかし、それがかなわぬ人に図録と言う手段がある。画集と言う手段がある。「ふくろう文庫」はその手段を最大限に伸ばそうと考えるものだが、今回はそうした最近の展覧会の中で私が自分で取り寄せたものを何点か紹介する。

① は「亜欧堂田善の時代展」(でんぜん、1747-1827)は江戸中期の銅版画家。司馬江漢に破門された男。日本洋学史上逸すべからざる存在。

② は名古屋の名コレクター木村定三(1913-2003)が愛知美術館に寄贈した3000点の中から、江戸時代を代表する画家の作品120点(殆どが初公開)を展示する「江戸絵画展」図録。

③は「スイス・スピリッツ・山に魅せられた画家たち展」図録。18世紀の山岳画家ヴォルフから現代までの作品125点。

④はドイツ・エデイトリアルデザイン財団主催の「国際造本コンクールでの1991〜現在までの受賞図書、図録。

私は「本の話」第408回で、今橋映子の「展覧会カタログの楽しみ」を紹介しがてら、図録の重要性を説いたが、以上4点の他、各地の展覧会が出している図録は、今の所、秀逸なものばかりだ。大いに購うべし、観るべし!!

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