十年程前の事だが、Kから聞いた話は耳新しくて面白かった。
何でもKの父親の右足だったか左足だったか、どっちか忘れたが、親指だったか小指だったかの付け根が腫れて痛いので、病院に行った所、「ナンデモナイ〜」と塗り薬を渡されて・・・治るかと思いきや,段々と黒ずみ膨れてきて・・・結論から言うと、オドロクナカレ壊疽と分かって、分かったのはいいが手遅れで、腿より下を切られちゃった。切られちゃったはいいが(よくないか)、その切られた腿は医者が片付けてくれるのではなくて,患者側が始末しなきゃならないとの事で、−この段階で私はびっくりした−となると、Kは父親の片腿を受け取って,焼き場に持って行かなきゃなんなくなったそうだ―本当か?と思って私は聞いていたが、嘘ではないらしくてKは,役場に行って届けを出して、次いでその許可証をもらって,焼き場にいって焼いたと言うのだ。Kは片足だけでも重いもんだと言ってたが,焼くのに棺が要ったのか?、矢張り骨は拾ったのか?その骨は自分の家に置いてあるのか,墓の中に入れてあるのか?、と細々した事を聞かなかったのか?、聞いても忘れちゃったのか、どうも今ではハッキリしない。とにかく医者が切った足を戻してよこしたと言う事にはビックラコイタ。あれ、まさかKの作り話じゃなかろうな、と最近思い出して聞こうと思っていたら,先々週、Kが足ではなくて自分丸ごと死んじゃったので確かめることは出来ぬ。
我が家では、母が死んだ時に、この際だからとてモトマリから墓を望洋台に移した。その時兄からTELが来て、新しくする墓石の字だが、何か素敵な字をさがせと言う。素敵と言われてもなあと思いつつも、私は、母への愛情を込めて、中国の辞典を初めとして種々さがして、これぞと思う所をを選んで出したら、また兄からTELが来て、あの字を墓屋(石屋が)エライ気に入ってなあ、その一覧表を見せてくれと言ってるぞーと。私は素っ気なく断った。何故って、調べまくった結果、オリジナリテイ(とまで言えないが)あふれる字体を選んだのに墓屋に使われて、そこら一帯の墓が、この字になってしまったのでは、その独自性が消えてしまうだろうに、何いってんだか?が私の考えだったのだ。
ところで、私は全く知らなかったが、墓のコンクールと言うものがあって、兄はこれに応募したところ、無事に金賞(だったと思うけど)をせしめて、金賞もらったと言う知らせは来たけど、金賞の分け前はこなかった。世の中は非常なものだ。これが銅賞だったら、分け前ないのか、ドウショウ!!で終わる所だが、金賞となると、アリャリャとなる。
①1
まあ、それはともかく、我々夫婦は,死んだら葬式はやらずに真直ぐ焼き場へと思っているが、片足でさえ書類が要るとしたら、全身となると、生干しのシシャモじゃないんだから、先ずは「お棺」がいるだろうな。何でも「お棺」にも、ヒノキ、モミ、桐とあって、それも彫刻入り、ビロード布張り、単なる布張りとあるらしくて、これが,結構な値段らしい。②2
③3
お棺で思いだしたが、どうしてもお棺が必要言うなら、私なら南アフリカはガーナのお棺がいいな。何故ってガーナの棺桶たるや、個人の職業を表するものをデザインするのが常道で、例えば、運転手で身を立てていたのなら、棺桶は自動車、漁師だったら当然船、ハンターだったらライオンやキリン、神父だったら聖書と言う具合。
私だったらさしずめ開いた本か?そのデザイン振りが余りに面白いので、近年では入る人がいるいないにかかわらず、一個の美術品と見倣されるようになって、美術館からの注文もある、と言うのだから,楽しい。
まあ、お棺が好みのデザインでバッチリ決まったとしても、雲上閣は遠いな、聖典閣は車の出し入れが難しいな、と思っていると、最近,都内では「移動葬儀車」と言うのが出現して、これ,何をするかと思ったら、そんじょそこらのありふれた葬儀場を使うのではなくて、個人が好きだった場所やら思い出がある場所へと、祭壇ごと移動するのだと言う。となると、プロポーズした場所とか、初めて唇を奪った、或は奪われた場所などと、成程、ロマンチックでいいのかも知れんなあ。
何しろこの節は、火葬場周辺の住民から、あの「金ピカ」の霊柩車は見るのもイヤ、との抗議が続出して、早くも今年の3月には宇都宮市が市営の火葬場に、あの金ピカ、正式には宮型霊柩車の乗り入れを禁止したと言う。
私は数年前、某社がキャデラック型(と思うが)金ピカ車を導入した時、知り合いを通じて、試乗させてくれと申し入れたら、まあそう慌てなくても、その中必ずお乗りになる機会が来ますからーと諭されて、それもそうだと心中うなずいて我マンして来たが、この動きが全国に波及して室蘭にも及ぶとなれば、夢破れてと言う事になりかねないが、その時は諦めて、外観はすこぶる地味と言う「移動葬儀車」がいいかも知れんな。
しかし、立ち止まってみるに、あの金ピカ=宮型は1910年代に日本で誕生した国産品で、元々は輿(こし)に遺体を乗せて担いだことから、発想された産物だ。一寸した日本文化だとおもわぬでもないけどなあ。
④4
ここで変わった事を思い出した。確か「赤い殺意」と言う映画、春川ますみ扮する主婦が、何かに思い余って鴨居に縄を描け、自らくびれようとするーと、体重があり過ぎて縄の方が切れてしまう。あきらめた春川が今度は卓袱台(ちゃぶだい)の前に座って、あごを支えながら両の肘をつくと、又又、その体重で卓袱台の脚が折れて、前につんのめる。その時の台詞が良かった。「私ってどこまでも不幸なのね」と言うのだ。
春川ますみは、日劇ミュージックのストリッパーから女優になった人で、むっちりと肥えて、トロンとした目付きの可愛い女だった。
もっともな、厳粛であるべき葬式にも笑いは結構あって、投書を2つ紹介すると、お経をあげている坊さんが、木魚を空振りしたというのがあったし、うちの子が、お経をあげているお坊さんに近寄ったかとおもったら、その頭をバット
(と言ってもプラスチックだろうが)でなぐった、てのもあったなあ。まあ葬儀の歴史、葬式のあれこれ、と考えていたら、忙しくて、おちおち死んでいられないわ。以上金ピカ反対の記事に触発されて・・・。