第391回(ひまわりno207回)繰り返される人権侵害の歴史

2018.9.10寄稿

政治家の知性が劣化していることは、トランプや安倍政権を観ていると如実にわかる。まあ、この問題は今に始まった事ではないし、それに知性にあふれた人も稀とは言えないでもない。とは言っても、その知性ある政治家は例えば誰だと問われても直ぐには誰と思いつかぬ所が問題だが。その知性劣化が南米チリにも一人いた。ロハス文化相がその人。文化相と言うのが笑わせてくれるが、この男何をしたか.1818年スペインから独立したチリには1970年にアジェンデを大統領とした人民連合政府が出来たが73年にピノチェトがクーデターを起こして軍事国家となった。ピノチェトは90年まで軍事独裁を続けたが、その間数々の人権侵害を犯した。序でに言うとピノチェト陸軍司令官のクーデターを後押ししたのは言うまでもないアメリカだ。人権侵害と一口に言うが、その実態たるや90年の民政移管まで続けられた弾圧で死亡もしくは行方不明となった者、実に3,200人。その調査はまだ終わっていないが、2011年までの結果では、拷問、投獄での被害者総数は4万人超。で今、その人権侵害が如何なるものであったかを各資料で説明する「記憶と人権の博物館」なるものが設置されている。そしてここから本題、先記の知性劣化の文化相ロハスが、この博物館を指して「これはでっちあげ」と言い、更に「この博物館の目的は、観る者にショックを与え、おびえさせ、その結果、理論的思考をやめさせてしまうことだ」と発言したのだ。論理的思考が停止しているのはどう見てもロハス本人だと思うが、そうした自覚のない所がトランプや安倍と共通する所だ。このたわごとに対して「記憶と人権の博物館」の理事会が反論を出した。それは「でっち上げ発言はチリの歴史を醜悪なやり方で否定するもの、侮蔑的で受け入れられない非難だ」。これと共に俳優や演劇労働者のシダルテなる団体や文化省職員労組がロハスの辞任を要求した。シダルテの声明は「ロハスがこの発言で、チリの歴史における多くの犠牲者たちの痛みを踏みにじることは容認できない。」で8月中旬の報道によると、このロハス就任わずか4日で辞任と相成った。さて、この人権侵害の一つに軍政に抗議して虐殺されたビクトル・ハラの事件がある。ビクトル・ハラ(1938〜1973)はフォルクローレの歌手だった。Folkloreは民族音楽、特にラテン系アメリカの先住民の音楽だ。(カタカナ新語辞典、学研)

1973年9月11日ピノチェトがクーデターを起こすと、アジェンデ大統領は「市民は持ち場に着くように」とラジオで訴えかけた。それでビクトル・ハラは国立工科大学に行った所逮捕され、チリ・スタジアムに連行される。ビクトル・ハラは・・・此処からは八木啓代(のぶよ)の「禁じられた歌1 」から。


「ハラは逮捕者を励まそうとしてスタジアムでギターを取り、人民連盟のテーマ曲”ベンセレーモス”を歌いはじめた。軍人たちは怒って彼のギターを取り上げた。彼は今度は手拍子で歌い続けた。怒り狂った軍人は、銃の台尻で彼の両腕を砕いた。彼はそれでも立ち上がって歌おうとした。すると軍人は彼を撃った。まるで生き返るのを恐れるかのように、数十発の銃弾が彼の身体に打ち込まれた。その時軍人は行ったという”歌ってみろ、歌えるものならな”」

さて過ぐる7月初旬、チリの裁判所はピノチェトと戦った国民的歌手ビクトル・ハラの虐殺者として8人を割り出し、禁固15年の刑を、またこの殺害を隠蔽したとして他の一人に禁固5年の刑を言い渡したと報道された。更にまた裁判所は虐殺された犠牲者遺族らに2億3千万円の補償金を支払うよう政府に命じた由。この判決が虐殺後45年間にわたる調査の結果だという。司法の姿、かくあるべし!

傑作「ホテル・ルワンダ」のテリー・ジョージ監督による新作「The Promiss-君への誓いー」のDVDを観た。「今世紀最初のジェノサイド(民族皆殺し)」として知られるアルメニア人虐殺を扱ったもの。殺したのはトルコで、つい最近もアルメニアからこの虐殺を歴史的事件として認めよとの要求がなされたが、トルコは否定したとのニュースが出ていた。このDVDを観て30年も前に読んだ本を書庫から出してきた。「アルメニアの少女」だ。この本の巻頭にいきなり、恐るべき文書が引かれている。次がそれ「1916年9月16日、ーアレッポ政府(シリア)へー、先にわが政府はイティハト党の命にによって、トルコ在住のアルメニア人を一人残らず撲滅することを決定した旨、貴殿に通告したい。いかなる犯罪的手段を用いようとも、彼らの存在に終止符を打たねばならない。その際、年齢、性別を考慮したり、良心の呵責に決して耳を傾けてはならない(トルコ)内務大臣タラート・パシャ」これによってトルコはアルメニア人150万人を殺した。これは1895年と1909年の2度のが虐殺を加えれば、200万人超の被害者となる。それでも、未だにトルコ政府は先述した如くこれを認めない。

この虐殺を逃れた人々の多くがアメリカはカリフォルニアのフレズノという町に住んでいる由。「わが名はアラム」や「人間喜劇」で名高い作家、ウイリアム・サロイアンも此処の出身だ。映画「The  Promise」の最後にはこのサロイアンの長いコメントが字幕に出る。要略するなら、「誰かがアルメニア人とその文化を消そうとしても消せる筈がない」と言うもの。さてアルメニア人虐殺をテーマとした「アルメニアの少女2 」は主人公の少女ヴェロンの実体験談だ。ヒトラーのユダヤ人虐殺に比べて世に知られることの少ないアルメニア人虐殺・・・知るべし!

noose(ヌース)を辞書で引く(引けば締まる結び方の投げ縄、輪縄)と」出る。この穏やかな説明とは異なって、この縄、実は「縛り首の縄」なのだ。そうアメリカ映画で殊によく見るリンチの際の黒人がぶら下げられるあれだ。ついでに言うと「リンチ」とは「集団で残酷な暴力的制裁を加えること=私刑」だが、これ、実はこれを好んだアメリカ、バージニア州の治安判事C・ W ・Lynchの名に由来するのだ。さて、この「ヌース」が、或る日突然、黒人の家の前の樹に下げられている、という不気味な事件がペンシルベニア州のピッツバーグで頻発しているとの報道が6月中旬に出た。人種差別を公言するトランプ下、ヘイトクライム=憎悪犯罪があらわになっているのだ。このニュースを見て暫くして私はサンダンス映画祭でグランプリと観客賞をダブル受賞した「バース・オブ・ネーション」(国の誕生)を観た。見始めてすぐにこれは黒人奴隷の反乱の指導者ナット・ターナーの話だと気付いた。これはアメリカ史から抹殺に近い扱いを受けている事件で・・・1831年、ナット・ターナー達は自由を求めて一揆を起こすが弾圧され、ターナーは処刑後皮をはがれ、それで財布が作られたという逸話を残した。今抹殺に近いと書いたが、今事件の主たる資料は「トーマス・R・グレイの記録せるナット・ターナーの告白原本」(学芸書林「現代世界文学の発見〜黒人と暴力ー」に所収)のみなのだ。しかしこの原本に基づいて書かれたピューリッツア賞を受賞したウイリアム・スタイロンの大作「ナット・ターナーの告白3 」がある。48年前に読んだそれを書庫から出してきた。映画では最後にあのビリー・ホリデイの暗い上にも暗い「奇妙な果実」が流れる。これ「ヌース」にぶら下げられた黒人達を木の実と見做しての歌で悲痛極まれりだ。2018.9.10  厚真地震の余震のあった日

  1. 八木啓代.禁じられた歌.晶文社(1991) []
  2. 越智道雄訳.アルメニアの少女.評論社(1990) []
  3. ウイリアム・スタイロン.ナット・ターナーの告白.河出書房新社(1970) []

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