第395回(ひまわりno211) 「曇らぬ目を開いて、丹念に歴史認識を」

2019.1.13寄稿

昨年8月だったか、我妻さんの希望で十和田湖へ2泊3日の旅をした。我妻さんは独身時代から一人旅が好きで、特に奥入瀬(おいらせ)の渓流が好きで何度も来たと言う。で今度の旅は、総秋田杉造りと言う十和田でも古株の旅館に泊まったら、あてがわれた部屋はナント昭和天皇の泊まった部屋だった。

帰路青森を出て汽車を待つ間、駅前の市役所も図書館も入っている大きなビルに行ってみると、核兵器反対の講演会が今始まると言う階に出た。ナントカ大学の教授の講演んで是非と勧められたが、時間ないのでと断って署名だけ参加した。受付係りが10人余りいるので、私は署名した後、「四國五郎と言う画家を知っているか」と言うと皆知らないと言う。私は四國五郎は手取り早く言えば、小学校の教科書にも使われている絵本「おこりじぞう」の画家であり、また峠三吉の「原爆詩集1 」の挿絵と表紙を描いた画家だ。受付の人にこの2点を言えば、「あーあの」と分かったかもしれない。


四國五郎については2017年の12月号のこの欄で「四國五郎詩画集・母子像」と、永田浩三の「ヒロシマを伝えるー詩画人、四國五郎と原爆の表現者たちー」を紹介している。その時もうすぐ刊行予定だという「わが青春の記録ー画と文、四國五郎〜」(三人社)(これが上下2冊の大冊)にも触れたがそれが、その後この上下2冊がありがたいことに室工大卒の建築家西方里見、耿子君夫妻の寄付で「ふくろう文庫」に収まったので、私は月2回載せている「ふくろう文庫から」で解説した(今は電子版)。

その後、「ふくろう文庫」には1999年刊の「四國五郎平和美術館①②」も入った。そしてこれらのことを耿子がブログとやらで語ると、それをたまたま目にした五郎の息子さんの光さんから、耿子を通して私に連絡が来た・・・とここまでがまあ前おき・で昨年の11月29日に、この大作「わが青春の記録2 」が「シベリア抑留記録・文化賞」を受けたと報じられた。この賞、シベリア抑留に関する優れた表現活動や記録を表彰するもので、今回で4回目の由。「わが青春の記録」は没後アトリエに保管されていたもので、これに注目した光さんが京都の「三人社」に働きかけて出版にこぎつけたと言う。受賞で光さんは「父は”自分の表現はじっくり眺めてもらうものではない。平和のために役立ててもらうものだ”と話していました。いろんな人に活用してもらうことでこの本の価値が決まります」と話した由。その言や善!!光さんも嬉しかろう、まことに目出度い。ここに改めて「原爆詩集 」のオリジナル版と、入手しやすい岩波文庫版を出しておく。上記の画集は図書館んで見てほしい。

ところで今「その言や善し」と言ったが、これと正反対の言い方がある。「荘子(そうじ)の「逍遥遊」(しょうようゆう)に出る言葉で「その言を河漢(かかん)とす」と言う。由来を書くと難しくなるのでその意味だけ書くと、「でまかせで取り留めなく、大げさで辻褄が合わないこと」だ。百田尚樹と安倍の対談本での「メキシコは憲法を400回以上改正した」だから「改憲しない日本の方が変」などとの論は正しくこれだ。早稲田の水島朝穂教授は、これを「国の事情も憲法の構成も違うのに数字だけ比べるとは無意味」と切り捨てる。

その安倍最たる御用物書きの百田尚樹が最近また、トンデモ本を出した。書名も上げたくない本だが、一応書く「日本国紀」がそれ。トンデモ本と言う意味は、百田が主張する事共がいずれも正当な歴史学者によってすでにデマと否定されている事だからだ。つまり、あったものを(事)をないとする、いわゆる歴史修正主義史観で成り立っている本なのだ。曰く、南京虐殺はなかった。曰く、太平洋戦争はアメリカが仕かけたものだ。曰く、日本はアジアを侵略したのではなくて解放したのだ。etc.

上にあげたものの中、例えば南京大虐殺否定に関しては昨年12月上旬に出た笠原十九司の「新版、南京事件論争史3 」(平凡社ライブラリー)を読めば、並みの知性の持ち主ならば、百田と笠原のどちらが正しいか直ちにわかる事だ。

だから、百田の主張の一つ一つに対して、正しい歴史の本を一冊宛あげていけば、百田の論は崩壊するわけだ。という訳で、ここで1点それをやる。百田は関東大震災では日本人による朝鮮人虐殺はなかったと主張する。それに対する堂々たる反論は、例えば雑誌「世界」(岩波刊)の2019年1月号に載った加藤尚樹の「歴史的デマコギへの対処法」と題する論文だ。「デマコギー」とはつまり「デマ」で、①政治的な目的で相手を誹謗し、相手に不利な世論を作り出すよう流す虚偽の情報、つまりトランプの得意とするフェイク=虚偽だ。②単なる悪口や根拠のないうわさ話。安部に加担する百田の論はもちろん①だ。さて、加藤は百田の主張はここ10年程にわたってインターネット上にあふれているもので、「朝鮮人が暴動を起こした」とか「朝鮮人が井戸に毒を入れた」とか、今では当時の単なる流言(とは言え悪意の)だと分かっている事を、百田は改めて並べ立てて事実だと主張すると指摘し、さらに百田らの目的は正史を否定するよりは、論じている事柄には2つの見解、学説があるんだから、そんな素人には判断できないような事を教育の場に持ち込むなと言う主張につながっていくと解く。そこで私は、ここに加藤の著書「九月、東京の路上で−1923年関東大震災、ジェノサイドの残響ー」を出す。「ジェノサイド」は「集団虐殺」の事。「世界」1月号の論文とこの本を手にして百田の本と向き合ってみれば百田が如何にデタラメ放題を言っているかがわかってくる。「そんな七面倒くさい事をやっておれぬ」と言う人もいいるではあろうが、この七面倒くさい事をせずに、百田の論だけを優先して我が身に取り入れるとなれば、それは間違った態度だと言わざるを得ない「論より証拠」と言う。議論ばかりしていても何の利益もない。議論を重ねるよりも証拠を出した方が早いと言う事だ。英語でも「The  proof   of   the    puddinng    is    in  the    eating(プディング=プリンの品定めは食べてみること)と言う。加藤の証拠百田の証拠を食べ比べよう。加藤の証拠でもまだ足りぬと言う人がもしいたら、西崎雅夫の「」を読んでほしい。百田の語る事実なるものの嘘なることがより判然としてこよう。権力者とそれにおべっかを使う連中が為に流す嘘八百にたぶらかされてはならぬ。曇らぬ目を開いて、丹念に疲れずに真の証拠に心を開こう。と午前中にこれを書いて午後本屋に行ったら、週刊誌に「日本国紀」はコピペだらけとの指摘がネット上に続出していると出ている。百田の正体はその程度だ。

  1. 峠三吉.原爆詩集.岩波文庫(2016) []
  2. 四國五郎. わが青春の記録.三人社 (2017) []
  3. 笠原十九司.新版、南京事件論争史.平凡社ライブラリー(2018) []

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