第405回(ひまわりno221)R・シュトラウスと近衛秀麿 木村梢と邦枝完二

2019.11.10寄稿

今年はドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスの没後70年にあたるとの記事を読んだ。英国のオスカー・ワイルドの戯曲を元にしたオペラ「サロメ」で知られる人だが、日本にもいささか関わりのある人だ。

いい機会だからそのことをちょっと書いてみよう。現在2月11日は「建国の記念日」として祝日になっているが、これ昔「紀元節」と言った。明治5年(1872)に「日本書紀」の伝える神武天皇即位の日に基づいて決められた祝日だ。戦後の昭和23年(1948)に「事実にあらず」として一旦廃止されたが、昭和41年に復活したものだ。

我々は今、日常ほぼ西暦で暮らしていて、これはキリスト誕生の年を元年とするのは常識だ。ところが戦前の日本は違った。戦前の日本では「皇紀」なる言い方があって、これは前記した神武天皇の即位がキリスト誕生より早い。つまり紀元前の660年とするもの。これは神話で「事実にあらず」なのだが、この辺りを喜んで我が物顔に語るのが、例えばオタンチンパレオロガス的な百田尚樹で、彼は今や「悪書」の見本とも言うべき「日本国紀」の中で、「日本ほど素晴らし歴史を持っている国はありません。〜神話と共に成立し依頼2000年近く、一つの国が続いた例は世界のどこにもありません」などと嬉々として書く。しかし、百田はまだ遠慮している.と言うのは、戦前わが国では先の「皇紀」で年代をはかっていたから、いつも「西暦」にBC660年が加わった物の言い方をしていた。その例が、昭和15年(1940)に行われた「日本建国二千六百年」の祭典だ。つまり、1940年に660年を足せば「2600年」になる勘定だ。世界史を無視して臆面も無く「日本建国二千六百年祝典」作曲を最初にあげたR・シュトラウスに依頼した。何故シュトラウスだったのか?事の次第は「第三帝国のR・シュトラウス1 」の著者、山田由美子によると、「1934年年にベルリンにおけるシュトラウス生誕70周年記念演奏会が日本に同時中継され、その際シュトラウスが近衛文麿の弟で音楽家の近衛秀麿の指揮を称賛した。その縁もあり、奉祝準備委員会が39年に日本大使館を通して依頼してきたものである。同盟国に捧げたものにしては、軍国主義的な色彩の薄い曲であった」云々。

この辺を大野芳著「近衛秀麿ー日本のオーケストラを作った男ー2 」で確かめると「昨夜、音楽界の第二部シュトラウスの”ドン・ファン”が終わった瞬間、偶然にも会場に居合わせた作曲家の老シュトラウスは長身を舞台に運んで、僕を軽々と抱くようにして、コン・マスと握手をさせた。そして”正確だ。素敵素敵。私の考え通りだ”と何度も繰り返した」が、それに当たろうか。

で1940年「祝典音楽」は完成し。6月11日に授与式が日本大使館で行われ〜となる。「祝典音楽」の原譜は羊皮紙で製本され、最初の頁には天皇への献辞と「日本帝国二千六百年を機にR・シュトラウスによって作曲された」とだけ書いてある由。演奏されたのは昭和15年(つまり皇紀2600年)の12月7日、場所は歌舞伎座。R・シュトラウスに話を戻すと、従来この作曲家はヒトラー政権下で「帝国音楽局総裁」を務めた事が仇となって、親ナチの作曲家とみなされた。そのため、先の「祝典曲」は永いこと演奏されることはなかったが、1990年(だったか)来日した「ベルリン・オペラ・オーケストラ」によって半世紀ぶりに上演された。

その時のオペラ総裁ののゲッツ・フリードリッヒの言葉が実にいい。曰く、「ドイツでは一定の作曲家の作品の演奏が禁止される時代があったが、いかなる場合でも政治的理由によって作品の演奏が禁止されてはならない。そういう意味で今回の演奏は日本へのプレゼントと考えている。」(下線山下)当節「あいちトリエンナーレ2019」を初めとして、文化庁側の補助金不交付が続いているが、安倍一党にもこの言葉に耳を傾けてしかるべきではなかろうか。

10月末に木村梢の死が報じられた。エッセストで92歳とある。ーと聞いても、知っている人は少ないのではないか。この人俳優の木村功の奥さんだ。ーと聞いても、その木村功を知る人も、もう少ないのではないか。この人邦枝完二の娘だ。ーと聞いても邦枝って誰?と言う人が多いのではあるまいか。とは言うものの、私がここにとりあげる理由は功なる旦那にあるのではなく無く、父なる完二の方にある。

まず功について知りたい人は、功が死んだ時に出した「功、大好き3 」なるベストセラーになった本が(1982刊)があるからそれを見てほしいい。私が言いたいのは父親の小説家邦枝だ完二と、彼と組んだ挿絵画家の小村雪岱(せったい)のことだ。邦枝完二(1892−1956)は、今読むことは無理だろうと思う。というのも本がないだろうと思うからだ。しかしこの人、江戸情緒と、江戸、明治に生きた濃艶なな女を書かせたら、この人をおいてなしと言うすご腕の作家だった。代表作は歌麿(1931)それにお伝地獄(1934)。

前者は無論浮世絵師の喜多川歌麿が、後者は首切り浅右衛門の手にかかって処刑された毒婦高橋お伝が主人公。(因みに私は、大学時代群馬を旅行中、このお伝の実家を表から見たことがある。確か説明板が立っていた。)さて、梢の本「竹の家の人々4 」はこの時代もの作家として一世を風靡した男の一生と、その時代を語ってなかなか面白いのだ。

それに巻末に書影がついた完二の著作一覧がついているのがありがたい。話を変える。装丁研究家、臼田捷治の「美しい本 」にある文章だが、「我が国の”美本”の歩みをたどるとき、必ずと言ってよほど名前が挙がるのが小村雪岱(1887−1940)画伯による麗しい装丁本〜邦枝完二の時代小説”おせん”(1934、新潮社)〜文中に多数挿まれたれた挿絵〜これもまた目蕩けるほど江戸情緒を盛り〜本著はかつて春信らが極めた多色擦り木版画よる書物の最後の光芒を放っている。まさしく美術作品の如き逸品」云々。これで分かるように完二を語ったら雪岱を語るのが普通。私が雪岱の画集を買ったのは大学一年の時、竜生閣版の「小村雪岱画譜」。全部で150画①から⑳が「おせん」65から114が「お伝地獄」つくづく魅了されたただ先に書いたように完二の本は今はないだろうし(講談社の「大衆文学体系」や徳間文庫にあったような気がするが)、雪岱も形象社版があったと思うが入手可能かどうか。それで木村梢が「古い東京を読む」で一番に推した本、星川清司の「小村雪岱5 」を紹介しておこう、梢はこの本について「私は父の思い出と重ねて最も大切な本としたい」という。絵もたっぷり入っている。

前号「あんな本・こんな本」の文末で「林羅山」とあるのを「林信篤」と訂正します。

  1. 山田由美子.第三帝国のR・シュトラウス.世界思想社教学社(2004) []
  2. 大野芳.日本のオーケストラを作った男.講談社(2006) []
  3. 木村梢.功、大好き.講談社 (1982) []
  4. 木村梢.竹の家の人々.リビングマガジン(1984) []
  5. 星川清司.小村雪岱.平凡社(1969) []

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