第407回あんな本こんな本(ひまわりno223)捏造されたベートーヴェン回想録。他4冊

2020.1.7寄稿

言われるまで気付かなかったが、今年はベートーヴェン生誕250年だそうな。それで「皇帝」を初めとしてピアノ協奏曲全曲をアンドラーシュ・シフが演奏すると新聞に出ている。成る程な!

「皇帝」と言えば、昔アラ・ケンイチ(と言ったか)が文化センターに来てこれを弾いたことがある。アラ・ケンイチは身振りの派手なピアニストだが、この時も当人にはその意識がなかろうが外連味(けれんみ)たっぷりに弾き始めた。途端に前の席に並んでいた4人の小学生が吹き出したのを覚えている。ところで今、ところで今、記憶があやふやで「アラ・ケンイチ」と書いたが、この人その後耳にしないが健在なのかな。スマホとやらで直ぐに確かめられるだろうが、私は持っていないのでできない。

さてベートヴェンと言えば、私は昨年5月11日(土曜日)付けの室蘭民報連載の「本の話」第778回「喜ぶべし!名著復刻」で、室蘭出身のバッハ学者小林義武(本町にあった造り酒屋の息子)のバッハ研究所他に触れたが、その時文中に次の如き一文をはさんだ。「これで連想されるのが、昔柿沼太郎の訳で出たシントラーの「ベートーベン回想1 」(音楽文庫)

シンとラーはベートーヴェンの秘書だったが、ベートーヴェンに関する逸話の多くは、主としてこの男が捏造下もので、つまりはこの男ベートーヴェンの伝記を粉飾し、更には難聴のベートーヴェンが使った会話帳の一部を破棄したりもした。結果シントラーの伝記は信憑性に乏しいものとなってしまった。」〜以上、冒頭の「これで連想されるのは」というところの意味は、バッハの2度目の妻マグダレーナの「バッハの思い出」なる名著があるが、これは実は偽書だ、と言うことからの連想という意味だ。と言う訳でシントラーの本は偽書に近いものなので、今や誰も読むまいと思いきや、それがそうではなくて大いに読まれる。面白いからだとはいえ、恐れ多くも生誕250年という賀すべき年に、いくら面白いからといって、その「札付き」の本を進めるのもナンダシ、それに今では「音楽文庫」も入手し難いであろうから、代わりにその偽書(?)が成る似ついての一部始終を語った、これまた滅法面白い一冊を出しておく。「かげはら史帆」著「ベートーヴェン捏造ー名プロデューサーは嘘をつくー2 」がそれ。

私は見ていないが、年末に放映された歴史番組に「テレサ・テン」が登場するものがあったそうだ。それを見た女の人から「ナンダカ偽パスポート事件にからんでドートカと言う記憶はあるけど、どんな人か全く知らなかった。彼女についての本が何かあるか」と聞かれた。テレサテンについては後に国会議員になった有田芳生の「私の家は山の向こう」なる評伝があるが、残念ながら私は持っていない。私の棚にあるのは平野久美子の「テレサ・テンが見た夢ー華人歌星伝説3) 」(晶文社1996年刊)と、1996年5月20日夜STVで放映された「テレサ・テン」のカセットで、これはテレビのない私のために当時同じ職場にいた井村優子女がダビングしてくれたものだ。テレサが死の直前まで使っていた手帳などの遺品を紹介しつつ彼女の素顔と生涯を語るものだ。(今このカセットを改めて見たいが見るための機会がないのが残念)。本の方には「1996.5.21(火)雨、雨、雨の毎日、リ・トウキの初の演説に中国の反応うるさし。ポチャコ「救援美術展`96」のヴィディオ持ってくる。STV「テレサ・テン」優子女がダビングしてくれた」とのメモがある。

リ・トウキは台湾の李登輝総統のことで、司馬遼太郎が「街道をゆく40」の「台湾紀行」でべたほめしたひとだ(ちょっとほめ過ぎのきらいがあったな)。ポチャコは室工大の山口格教授の事で、色白ポッチャリなので私がつけたあだ名。(私事だが私と同じ歳の奈良出身で、室工大に着任したものも同じ年で気が合って、お互いの家に行ったり来たりで35年つき合ったが、定年退職した途端にガンであっけなく亡くなったのには驚いた。奈良と室蘭と随分離れていたのに高校時代に読んだ本が奇妙な程に傾向が同じだった。)閑話休題

さて、テレサ・テンがぜんそくで42歳で死んだ。父親は毛沢東(=共産党)に追われて台湾に逃げ込んだ蒋介石(=国民党)の軍人だ。それ故テレサ・テンが死ぬと、「愛国芸人」として国葬級の葬儀が行われたたが、これは彼女が望むものではなかったろう。事程左様に彼女の生涯には多くの政治的事件が絡まり続ける。例えば天安門事件、例えば精神汚染一掃キャンペーン。事対中国となれば、この複雑さは現今の香港、台湾、中国を見ていればよく分かる。ー歌姫の伝記ながら、これ程個人と国家を考えさえられる本もない。話を変える。「笑点」は知らぬ者とてない人気落語番組だ。落語だから、やる方も見る方も笑いの一点張りだ。細面で色黒の円楽(と言ったか)が、政治的な事でチクリとやっても笑いで終わる平和な(?)時代だ。しかしかつてこの落語家達が、何をとち狂ったか(と言っても彼らだけの責任ではないが)自分で自分の喉をしめる事をやった時がある。

他ならぬ「太平洋戦争」の最中だ。で何をやったか?落語家達はいわゆる「戦意高揚」にはならないからとて、戦時にふさわしくないと彼らが思う落語53話を自ら選び出し口演禁止としたのだ。ふさわしくないとはどんな話か。それは吉原をテーマとする、つまり廓物、間夫だの間男だのという浮気話、そしてそれと逆の心中話。おまけに「口演禁止」では気が済まなくて、53話の台本などを浅草本法寺に建立した「はなし塚」に埋葬したというからーつまり、とち狂っている。こうした軍部対落語家の諸々の出来事を描いたのが柏木新の「はなし家たちの戦争4 」(本の泉社、2010)ところで昨年の8月12日、私は見てないがBSフジとやらでこの本に基づいた(であろう)落語家たちの戦争ー禁じられた噺と国策落語の謎」が放映された。この中で林家三平が、軍部の命令で作らされた「国策落語」を演じた由。ホホーえらいなと思っていたら、この三平が「桜を見る会」に子供まで引き連れて、安倍の真隣でカメラに収まっていたと知ってガッカリした。三平の母の香葉子が東京大空襲で家族の殆ど失ったのはよく知られた話だ。その子が憲法改正にやっきで好戦的な安倍所にはせ参ずるとは!!酷なようだが根性のない奴だ。

今年は在日朝鮮人作家の金達寿(キムダルス)の生誕100年の由。私が在日文学を初めて読んだのは彼の「わがアリランの歌5 」(1977刊)ではなかったろうか。今では「日本の中の朝鮮文化」をはじめとして20冊程が本棚に並んでいる。金は「多くの朝鮮人の渡来人が古代の日本に住んでいた証拠が全国にあります。宮中に朝鮮の神社が祀ってあると”延喜式”にもあり、日本は朝鮮なしでは考えられないが、今日でも歴史は歪曲されている。それを是正し、人間関係も正したい」と1985年のインタビューで言う。正論だ。「私の少年時代ー差別の中に生きる6 」を出しておく2020.1.7(明日はゴーンの会見だそうな)

  1. シントラー.ベートーベン回想.音楽の友社(1970) []
  2. かげはら史帆.ベートーヴェン捏造ー名プロデューサーは嘘をつくー.柏書房(2018) []
  3. 平野久美子.テレサ・テンが見た夢ー華人歌星伝説.晶文社(2015 []
  4. 柏木新.はなし家たちの戦争.本の泉社(2010) []
  5. 金達寿.わがアリランの歌.中央新書(1977) []
  6. 金達寿. 私の少年時代ー差別の中に生きる.ポプラ社(1982) []

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