第408回あんな本・こんな本(ひまわりno224)マスクはいつから?

2020.2.4寄稿

「新型肺炎①マスクを求め開店前から長蛇の列!②欧米で偏見」といった見出しの記事やら、テレビ番組の案内が毎日続いている。英語のmaskは小学館の「カタカナ語の辞典に①面②病菌の侵入、放出やほこりなどを防ぐために、鼻、口をおおうガーゼ製の衛生具とある。

それでこの衛生具、いつから日本にあるだろうと気になって、石井研堂の「明治事物起原1 」に当たってみた.第7巻、第13編の「病医部」の所にちゃんと出ている。「マスクの始め」がそれ以下の如し。「明治12年(1879年)2月、東京本町いわし屋の広告に”レスピラートル(呼吸器)の世に行なわるる久しく、或いは金属板を以して、或いは金線を以てし、或いは木炭を以てする等、その種類一ならず云々”とあり、風塵または寒暖の急変を防ぎ、呼吸系諸病を防止する功を述べあるごとく(文明開化)呼吸器病者のもちいたるはいと古し。また平尾岳陽堂は、松本軍医総監の伝法なる旨を広告せり」。このあと、堂々子なる人の「マスクを馬の真似かと初手思ひ」なる戯句を入れたあと、次の説明が続く。「大正5年の流行  感冒流行の際、陸軍にては外出兵士をしてマスクを掛けしめ、学生などもこれを用いる者多く、この度はマスクと称したり。マスクは英語仮面なりとふ。」

ところで、今度のウイルスは目からもうつるとて、マスクだけでは不十分、ゴーグルが必要だという。それで、このゴーグルの始め」も当たってみた。こっちの方は「明治事物起原8」の「第20篇、器材部」に出ている。「潜水眼鏡」がそれ。「”東絵”明治13年(1881年)4月21日紙上に”深川富岡門前町の高橋元義が発明したる水眼鏡といふは、河海の水底を清明に見る製(こしら)えにて、沈みたる品の所在を見極め、暗礁の模様を知るなど、航海諸船に最も有用の道具云々」とあり、「これは今にいふ潜水眼鏡あるいは魚ののぞき類いなるべし」。以上

この本には「インフルエンザ流行の始め」もあれば「ペスト流行の始め」もある。著者石井研堂(慶応元年、1865年〜昭和18年、1943年)は福島に生まれて「明治文化研究会」に属し、明治文化史研究にその生涯の大半を費やした碩学。我々の日常生活の諸所の渕源が何処にあるかを知るのは意味のあることだ。物(事)の始まりを知る事によって、今の在り方が正しいかどうかを知るためにも是非にもすすめたい名著だ。「明治事物起原」全8巻(ちくま学芸文庫)

無学の麻生がまたやらかした。新年明けての1月13日福岡は直方市(これナオカタではなくノウガタと読む)での国政報告会での演説がそれ。麻生が役員を務める「日本会議」誰ぞに吹き込まれた知識を持って、次のごとくに言い放った。「2000年の長きにわたって、一つの民族、一つの王朝が続いて国はここにしかない」。これに対して各方面から非難の声が上がると、またしても曰く「(発言に対して)誤解が生じているなら、お詫びの上訂正する」と。

聞いて本当にハンカクサイ(北海道弁で馬鹿)奴だと思うのみ。「誤解が生じているなら」というが、当方は「誤解なぞしていない」、「麻生とはいつでも馬鹿な事を言う、本物の馬鹿」ときちんと理解している。馬鹿そのものから「誤解が生じているなら」なぞと妙な忖度をされたくない。

土台麻生は、これまた誰に吹き込まれたか、一丁前に「万世一系、126代の天皇」なぞと言うが、桓武天皇(かんむ、第50代、737〜806)の生母が百済系の渡来人、つまり百済の武寧王の出身だった事は麻生並みの無知の輩は別として常識だ。おまけに日本書紀をちょっとでも読めば、ここに百済系◯百人、あそこに新羅系◯百人を移住させた、なんて記述に直ぐにぶつかる筈。知らないのは麻生の一派だけだ。中でも私が一番ハンカクサイんでないの(平たく言えば馬鹿じゃなかろうか)と思うのが、乃木希典(のぎまれすけ)の事。聖将と呼ばれた乃木陸軍大将の戦歴は今おくとして、この将軍は日露戦争後学習院の院長となった。さて、馬鹿の麻生は確か学習院大学卒の筈だ。いくら馬鹿でも出身校の院長に乃木がいたこと位は知っているだろう。そこでだ、実は乃木の先祖は朝鮮人なのだ。正確に言うと乃木は、かの豊臣秀吉が無法にも朝鮮を侵略した時に強制連行してきた俘虜(ふりょ=非戦闘員を含め無差別に拉致された人々)の子孫なのだ。どこをどう押せば「一つの民族」なんぞの妄言が出てくるのか。更に許しがたいのは、この「単一民族」を佳(よ)しとする思想がナチスの称えた「優生思想」と同一のものだと、本人が気づいていないこと。この「単一民族」=「優生思想」は障がい者を殺した植松聖の思想と同じだと気づいていないこと。

昔、と言っても太平洋戦争中、日本の軍政府はいわゆる「学童疎開」をしたが、この狙いは未来の「戦力」たる子供を確保するためで、この時成長しても「兵力」となり得ないと見放された「障害児」の学校はあとまわしにされた。この間のことを私は2015年10月号の本欄第173回(あんな本・こんな本第357)で取り上げ、ヒュー・ギャラファの「ナチスドイツと障害者”安楽死”計画2 」(現代書館96年刊)を紹介しつつ論じた。興味ある人はバックナンバーで読んでほしい。今回は中西喜久司の「ナチスドイツと聴覚障害者ー断種と”安楽死”政策を検証するー3 」(文理閣)を出しておく。一読すれば「単一民族」説をとる麻生の思想が、如何に非人間的かわかるだろう。

何に刺激されたのか分からないが、我妻さんが「キャッツ」を観たかったわねえと言う「キャッツ」と言えば昔札幌駅の裏手(と言うのか)に劇団四季の劇場があったのを見た覚えがあるが、私は浅利慶太が嫌いなので観に行く気は全くなかった。とは言え「観たかったわねえ」の我妻さんのために書庫から2冊出してきた。T・S・エリオット作、どちらも詩人、田村隆一訳、どちらもエロール・ル・カインの挿絵で①は「キャッツーボス猫・グロウルタイガーー絶対絶命4 」(1988年¥1,200)、②は「魔術師キャッツー大魔術師ミストフェリーズ、マンゴとランブルの悪がきコンビ」(1991年、¥1,140)どちらも(ほるぷ出版)。つまり「キャッツ」の原詩の訳だ。

 

  1. 石井研堂.明治事物起原 .ちくま学芸文庫(1997) []
  2. ヒュー・ギャラファ.ナチスドイツと障害者 []
  3. 中西喜久司.ナチスドイツと聴覚障害者ー断種と”安楽死”政策を検証するー.文理閣(2002) []
  4. T・S・エリオット.キャッツーボス猫・グロウルタイガーー絶対絶命 .(1988) []

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