「スバル・サンバ」というボンゴ型の軽自動車を知っていますか。腰痛が持病で、腰をかがめるのが、辛い私は、スイッと乗り降り出来るので昔はこの車を使っていました。真黄色の車体でした。或る時、隣家の小学生の長男坊が、如何なる連想からか、いまだに私には想像がつかないのですが、「おじちゃんの車は、仔豚みたいだね。」と言いました。「豚か?豚ねえ?」と答えた私に、隣家の奥さんが後で言うには「息子は悪気があって言ったのではないので、勘弁して下さいね」。
この人は、マドリッドに2年間住んでいた人なので、恐らく、普通、欧米人が豚に対して良からぬ印象を持っていることを知っていて、それ故、息子の言葉と、私の受け取り方が気になったのでしょう。ところで「日欧対照イメージ辞典」というすこぶる便利で有益な本がありますが、①1
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これによると...。「豚=HOG・・・は不潔な場所を好むという印象から汚物や不潔を表わす。怠惰で愚かで大食であるとされ、不純な欲望の象徴と考えられている。〜
〜豚はそのほか、利己主義や忘思をも表わす。〜とあって良いイメージは皆無です。これは果たして正しいのでしょうか?
H.D.ダネンベルクの「ブタ礼讃」を読むと、そうではないことがわかります。ドイツでは食糧として、一日に実に20万頭の豚が屠殺されているそうですが、これ程、「豚」を食べるドイツ人が書いた「豚百科」とも言うべき、この本は、言うならば、人間が豚に押し付けてきた積年の冤罪(えんざい=無実の罪)をはらす本です。一読、先に引いた豚に対するイメージが、人間の側の偏見によるものである、と理解出来ます。②2
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理不尽(りふじん=むりむたい)惨酷なイメージを与えられた豚にしてみれば、さげすみの言葉として「人間のようだ」とでも言いたい所でしょう。と書きながら、私は、小学生の時の同級生に、色白で、今なら肥満児に入るであろうHがいて、あだ名が、「Hの白豚」であったことや、大学生の時の下宿の女主人Kが、意地が悪い上に、とてつもない醜女(しこめ=ブス)だったので、下宿人一同、陰では、彼女を「トン(豚)コ婆ア」と呼んでいたことなどを思い出しています。
そうなのです。「豚」に対しては、日本人も欧米人におとらず、かんばしからぬ感じを抱いていて、先の事典には、次のように出ています。
「〜悪口、罵言、他者を軽蔑する表現にはしばしば、豚が比喩表現として用いられる。「豚まんじゅう」「豚のようだ」「〜ブタ」といった表現には〜勤勉に対する怠惰、美に対する醜、清潔に対する不潔といった非常に広い概念が含まれている。
いわば、人間の生活における負の側面を象徴する動物として、豚はイメージされているわけである。いやはや、散々の為体(ていたらく=ありさま)です。
この文章のまえには、実は面白い指摘がなされています。つまり、肉食を禁じた仏教のせいで、日本では家畜としての豚はなじみがなかった。しかし、江戸時代に「西遊記」が紹介されて、人気を得たが、登場人物の一人「猪八戒」なる大食漢で好色な豚の化物のおかげで、豚の不定的なイメージが一般的になった・・・と言うのです。
「何?何?」「日本では俺のおかげで豚のイメージが悪いものになったと言うのか?何でも他人にかずけるのは、悪い癖と言うものではなかろうか」・・・と猪八戒がぼやくかも知れません。
我々とても「猪八戒」が本当に「ダメ豚」なのか、大いに気にかかります。不定的なイメージの墓になったなどと言うのは、ひょっとして、これ又、免罪なのでは
ないか?そこで、武田雅哉の「猪八戒の大冒険」を読んでみることにします。いや、おどろいた 呆れた 何に?児童をも含めて、日本人に広く普及されているという「西遊記」そして、なかんおく(特に)「猪八戒」について、自分が何にも知らないと言う事実におどろいて、呆れたのです。早い話が、「猪八戒」は白豚にあらず、黒豚であるぞということ貴方知ってましたか? ③3
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自分の無知を恥ずしてダメだグウダラだと猪八戒をおとしめ(=みさげる)ておいていいものでしょうか?よくはありません。猪八戒を食べ、中国文化を食べてみましょう。
真の意味で精神の大食漢にならねば、あなどっていた豚にも笑われるというものです。猪八戒は断じてダメ豚ではない・・・ないどころかとわかって、気分も昂揚(こうよう)したところで筆を置きそうだ、今から「ベイブ」を観に行くことにしよう。「純粋な心の持ち主の仔豚ベイブが勇気をもちベストをつくして、」との歌い文句を見ただけで、真実の豚にお目にかかれるとわかると言うものです。